私のお兄ちゃん
妹、か。
何故だろう。嬉しいはずなのに、胸が痛い。
妹じゃ嫌なの? アイドルとプロデューサーという関係でギクシャクするのが嫌だから、お兄ちゃんと自分から呼んだのに。
不満? 何で?
「でもまさか、あの天真爛漫な女の子が、久しぶりに会ったら仏頂面だもんな。流石に驚いた」
それはきっと、いきなりいなくなった人が原因だ。
「そ、それはすまなかった。でも同時に、すごく可愛い女の子になったんだな、とも思った」
ドキッとした。
可愛いなんて、前から何度も言われてるのに。
「誰にも渡したくない。絶対に俺の物にしてみせる。成長した凛を初めて見たとき、そう思ったよ」
どんどん顔が熱くなっていく。見なくてもわかる。絶対に今真っ赤だ。運転しているから気付かれていないみたいだけど、こんな顔、絶対に見られるわけにはいかない。
なのに、私の目は彼に釘付けだった。
私の事を話す目が。表情が。まるで妹に話しかけるような、優しい顔で。
私はどうしようもなく、打ちひしがれるしかなかった。
お兄ちゃんが見ている私は、妹なんだ。
プロデューサーが見ている私は、アイドルなんだ。
私がショックを受けているのは、女として見られていないからなんだ。
だって私は――。
「さ、着いたぞ。っておい、凛、どうした!?」
「……え?」
ものすごい剣幕で、私の顔を見ている。
一体どうしたの?
着いたんだよね。なら仕事しなくちゃ。
そう思った瞬間、手の甲に何かが落ちた。
それは透明で、酷く温かった。
「私、泣いて……?」
「どうした、具合でも悪いのか?」
心配する彼が、顔を近付けてくる。手を私の肩に乗せて。もう一つの手が私の額に伸びてくる。
何が何だかわからず、混乱する。何で、何で近付いてくるの?
兄なのに。妹なのに。
私の思考は、滅茶苦茶になる。
そして私は、考えるのをやめて、目を閉じた。
「熱はない、みたいだな」
いつの間にか触れていた手が離れて、また何かが触れた。
「うん、やっぱり大丈夫そうだ」
そっと目を開くと、そこにあったのはプロデューサーの顔だった。触れているのは、プロデューサーの額。
鼻が、唇が。今にも触れそうなとこにある。
気付いているのは、私だけ? そう思ったときには、もう触れていた。
「ん……はむ」
「!?」
親鳥にエサを求める雛鳥のように、唇を求める。
プロデューサーが戸惑ってるのなんかお構いなしに、ただ只管に求め続ける。
どうしよう、止められない。離れられない。
止めたくない。離れたくない。
そう思うと、私の手は勝手に彼の首に回されて、きつく引き寄せていた。
妹でもいい。
アイドルでもいい。
――だから、私をもっと見てほしい。
●
仕事が終わって、帰りの車の中。
行きとは違い、私たちの間に会話はなかった。
あのキスのあと、我に返ったプロデューサーが無理やり私を引きはがして、仕事に向かわせた。怒られるものだと思っていたけど、そのことには一切触れずに。そのあとの仕事もずっと無言だった。
私はなんてことをしてしまったのだろう。
プロデューサーに、兄にキスなんて。
私は――。
でも、唇の感触は、忘れられない。自然と自分の唇に、手が伸びる。
でも、触れることはなかった。
プロデューサーが、口を開いたから。
「なあ、凛。お前にとって俺は、何なんだ?」
「そんなこと聞いて、どうするの?」
「わからん。けど、聞かなきゃいけないだろ」
そうだ。私は言わなきゃいけない。あんなことをして、冗談でしたで済むはずがないんだから。
「うん。私にとってのプロデューサーはさ、プロデューサーで、お兄ちゃんで。同時に私の好きな人、なんだよ」
暫くの沈黙の後にそうか、と行ったのを最後に、また無言になってしまった。
それは結局、私の家に着くまで続いた。
「ありがと、それじゃまた明日」
そう言って降りようとする私の手を、彼が掴んだ。
それから引っ張られ、唇を奪われるまで、私は何も出来なかった。
唐突の出来事。
今度は彼からキスをされた。
長い、永いキス。
何度も息が詰まりそうになる。その度に一瞬だけ離れて、またすぐに塞がれる。
それを、幾度となく繰り返して。
終わった時には、私の頭は蕩けきっていた。
「ん、ふあ」
そんな私を見る彼の顔は、とても優しい笑みを浮かべていた。私の頭を撫でて、抱きしめて。
「もっろ」
呂律の回らない口から、そんな言葉が漏れる。するとちゃんと強く抱きしめてくれる。
あったかい。
彼の胸に頬を擦りつけて、そっと彼の顔を見上げる。
そしたらまた唇が塞がれて。
今度は舌が入ってくる。
唇と唇が。舌と舌が触れ合う。
「んあ、ふあ……」
抱きしめられて、キスをして。それだけで言い知れぬ快感が、私の身体を駆け巡る。
もっと。もっと欲しい。
そう思っているのに、彼の唇は離れていく。
「な、んで」
きっと今の私は、物欲しそうな顔をしているだろう。
いやらしい女の子だと思われただろうか。
嫌われたりしていないだろうか。
こんなにも彼が欲しいのに、想いとは裏腹に離れていく顔。
でも、抱きしめながら撫でる手は、そのままだった。
「本当は、こんなこといけないんだろうな」
言いながら、今度は頬と頬が触れ合う。
耳元に、息が届く。
「でも無理だ。あんなことをされたら、いくら俺でも理性が利かない。言っただろ? 誰にも渡したくない。絶対に俺の物にしてみせるって」
「で、でもそれは、アイドルとしてで」
「そりゃそれもあるけどさ。トップアイドルになった暁には、身も心も俺の物にしてしまいたい。それくらいのことは思ってたんだ」
そ、んな。
今度ははっきりと分かる。
頬を伝う雫が、滴り落ちるのが。
――泣いてる、のか?
うん。
――嫌、だったか?
ううん、嬉しかった。
もっと、してほしい。
――また今度な。ご両親が待たせてるんだからさ。
そう、だね。
それから私たちは離れて、もう一度だけ唇を重ねて、車から降りた。
また今度。
私たちは通じ合ったのだから、そう遠くないうちに、また。
去っていく車を見ながら、誰にも聞こえないくらいの声で。
「大好きだよ。プロデューサー」