嘆きの色は、赤。
「あのひとがいないとおれは生きてはいけない。あのひとが死ぬと言うなら、代わりにおれが死ぬ。お願いだ。バンシー、その涙を止めてくれ」
懇願を幾度となく繰り返し、子どもはバンシーに縋る。バンシーの燃えるような赤い目は子どもの青を映し、嗚咽を漏らし、喉を震わせる。震える手は黒鷲を踊らせ、その度に赤が水面へと流れて融けていった。
「…あなたの悲しみはおれの悲しみだ。お願いだ。涙を止めてくれ」
爛れた頬を撫でる。その頬を伝う涙に子どもは口付けを落とし、彼女を抱き締める。月の光がざわざわと揺れ、風が木の葉を鳴らす。すべてが泣いている。悲しんでいる。
やがて来る、プロイセンの死を。
それをどうして受け入れられよう。例え逃れることの出来ない定まった悲しい未来だとしても、自分は受け入れられない。その死を乗り越えていけない。いつまでも想い、嘆き、悲しみ続けるだろう。このバンシーのように。
「…泣かないでくれ。お願いだ…」
子どもの青にバンシーの赤い瞳が映る。子どもはバンシーの頬を撫でる。その撫でた頬が白くなだらかなものへと変わり、伏せられた金の睫毛、撫で付けられた金色の髪、胸元を飾る鉄十字、喪服に身を包んだ青年が視線を上げる。重なった青年の瞳は深く悲しみに沈んだ青をしていた。
「…嘆き、悲しんでいたのは、おれ、だ」
自分の目に映る青年に子どもは未来の自分を見た。自分の存在が「プロイセン」を死へと追いやる。それを心の奥底では理解し、仕方がないことだとどこか解っていた気になっていた。プロイセンがその運命をすでに受け入れているのだということも解っている。それが、「国」だ。でも、「人」の心がそれを拒む。嫌だと、失いたくないと叫ぶのだ。
月明かりが遠くなり、空が白み始める。青年の頬を流れる涙は途切れることを知らない。薄く立ち始めた霧に子どもは瞳を閉じた。
「…バンシー、泣かないでくれ。あのひとはなにがあっても、おれが守るから」
青年の青い瞳が揺らぐ。瞳の縁に溜まった涙に子どもは口付ける。青年は涙を止め、子どもを見つめた。
「…プロイセンは死ぬ。これは、誰にも止められない」
未来の自分の姿をした青年は子どもに告げる。それに子どもは首を振った。
「「プロイセン」は死ぬ。でも、おれの「兄さん」は死なない。おれが死なせるものか」
子どもの言葉に瞬き、色を変え、燃えるような赤い瞳をした青年は口元に淡い微笑を浮かべた。
「…それが、お前の願いか。ならば、叶えよう」
日の光が満ちていく。その光に青年の姿は輪郭を溶かしていく。やがて、その姿は完全に消えて、子どもは水面に反射する陽光に瞳を瞬いた。それと同時に、名前を呼ばれ、振り返る。
「ルッツ!いないから、焦ったじゃねぇか。勝手にいなくなるなよな!」
眉を寄せたプロイセンはつかつかと子どもの前に歩み寄ると、子どもを睨む。本気で怒っている風ではなく自分を見つめるプロイセンの慈愛に満ちた赤い瞳はやさしい。バンシーの赤く燃えるような瞳が重なる。あの目は深く辛い底の知れぬ喪失の恐ろしさに嘆き、悲しみの色になってしまったのだ。でも、最後に自分に微笑んだあの目は今のプロイセンと同じ、やさしい色をしていた。
「兄さん」
「おう。何だよ?」
胸に飛び込んできた子どもをプロイセン抱きとめる。子どもはプロイセンの届かぬ背に腕を回す。
「プロイセン」の死は避けられない。でも、「兄さん」の死ならば避けられる。
おれが強く、大きくなれば、きっと。
「どうした?」
胸に縋りつき、離れようとしない子どもの髪をプロイセンは撫でる。子どもは答えず、そっとプロイセンの胸に耳を押し当てた。
おれが守る。何があっても…。
子どもは目を閉じる。確かに響く鼓動は嘆きの声を掻き消し、心地よい音となって子どもの耳に響いた。
おわり