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ケンカした

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別に、本気でそんな事を思った訳ではない。
つい、いつもの口調で言った一言で、そんなに怒るとは思わなかった。というよりは、山本が怒るとは思わなかったのが本当のところで。
獄寺は途方に暮れていた。山本が怒ったという事実と、そんな事に戸惑ってどうすればよいか分からなくなっている自分自身に。

***

事の起こりは放課後の事だった。
帰りがけにいつも寄るファストフード店で、獄寺と山本はハンバーガーを頬張りながら他愛もない話をしていた。話すといっても一方的に山本が喋っているだけで、獄寺は適当に相槌を打つか、聞こえない振りをする位であまり口は開かない。たまに話しても一言二言、しかもやたら不機嫌そうで、はたから見ると決して仲が良いようには見えないだろう。
こいつは自分と一緒に居て楽しいのだろうか、獄寺はたまに疑問に思う。けれど一緒に居ると大体笑顔でいるので、話が成り立たなくてもそばに居られるのが嬉しいらしい。
いつしかそれが当たり前になって、いつの間にかキスをするような関係になって。山本は何をしても怒らない、と勝手に決め付けるようになっていた。
「あのさ、今週末映画見に行かねえか? ツナとかも誘って。招待券貰ったんだよ」
山本がバッグの中からチケットを取り出す。誇らしげに掲げられたそれをちらりと見て、獄寺は面白くなさそうにジュースを啜る。
「あー、別にいいけどよ。つーか、お前他に友達いねぇのかよ」
「いるけど、そいつらと行くより獄寺と一緒に居るほうがいいもん、オレは」
山本は平然とそんな台詞を口にする。いつも、獄寺はどう対応していいか分からず、呆れたように「アホか」というのが精一杯である。
恋愛というものに今まで縁がなかった。誰かを『好き』だと思う感情も、山本とそれらしい関係になった後でもよく分かっていない。
山本は『好き』という言葉を惜しげもなく獄寺に言ってくる。本人も言葉の意味を分かっているのか定かではないが、言われるのは悪くないと思い始めていた。だが返す言葉が上手く見つからずに、悔しさと恥ずかしさでいつも怒鳴ってしまう。当の山本は全く懲りていないようで、何度怒鳴られても『好きだ』と言ってくる。
しつこいのか何も考えていないのか、にこにこと笑ってこちらを向く山本の顔を見て、獄寺は気付かれぬように小さく嘆息する。
がやがやと騒ぎながら制服の一団が店に入ってきた。同じ並盛中の制服を着ている。一団の中に友人が居たのか、山本はひょいとそちらに向かって手を振った。
「あっれ、山本と獄寺じゃん。何してんだよ」
一団の一人が、シェイクを飲みながらこちらに近づいてきた。同じクラスの奴だった。鬱陶しいのが増えたと獄寺が睨みつけるが、全く気にしない様子でテーブルの横に立った。
山本と一緒に行動するようになって、困った事が一つ増えた。クラスメイトの一部が、獄寺を怖がらなくなったのだ。前は軽く睨んだだけで怯んでいたのに、今は平然と声を掛けてくる。山本が一緒に居る時は特に。別に迷惑を掛けられるわけではなく、ただ鬱陶しいだけなのだが、これもまた、今までずっと一人だった獄寺を惑わせる一つだった。
「何って、ハンバーガー食ってる」
山本がテーブルのハンバーガーを指差す。「見りゃあ分かるよ」とクラスメイトが笑う。
「つーか、またお前ら一緒かよ。ホント仲いいよな」
クラスメイトに言われ、山本が獄寺の顔を見る。獄寺はふいっと顔を逸らすと、吐き捨てるように言った。
「別に、勝手にこいつが付いてきてるだけだ」
「えーでもさ、いっつも一緒じゃねーか」
「るっせえな、オレはこいつの事なんでどうでもいいんだよ。目障りな位だ」
いつもの軽い気持ちで言ったつもりだった。だがクラスメイトは、獄寺と山本の顔を見比べて、しまったっという顔をして頭を掻いた。
「ワリイ、俺なんか不味い事言ったっぽい。じゃあ、また明日」
クラスメイトがそそくさとその場を去る。
何が「不味い事」なのか分からず、獄寺は首を傾げる。この程度の台詞はいつもの事で気にする程でもない。そう思いながら山本の顔を見る。どうせまたヘラヘラ笑っているのだろうと。
山本の顔は、いつもと違っていた。
笑顔はいつの間にか消えていた。その代わり、初めて見る表情をしていた。
一文字に結んだ口、少し吊りあがった眉。こちらを見据える瞳に映る色は、いつものものとは違う。
野球をやって居るときの真剣な表情とも違う、これは明らかに―――
その事に気付いた時には、山本は席を立っていた。残っていたハンバーガーを口に放り込むと、乱暴にごみを纏めて、何も言わずに帰っていってしまった。
「何で、怒ってんだよ……」
一人残された獄寺が呟く。
立ち上がって追いかけようと思ったが、体が動かなかった。追いかけて謝ればいいのかもしれない。けれど、怒った理由が分からなければ謝りようがない。
予想外の出来事だったけれど、きっと明日になれば山本もけろっとしているだろう。そう思い、苛立った気持ちを抑える為に残ったコーラに手を付ける。
炭酸が抜けて味が薄まったコーラはひどく不味かった。苛立ちも消えなかった。
「くっそ、むかつく」
山本が座っていた椅子を思いっきり蹴飛ばす。ガンッという派手な音を立てて椅子が倒れ、周囲の客が驚いた顔でこちらを見た。
気分は晴れなかった。周囲から感じる怪訝そうな視線の所為で、余計に苛立っただけだった。
作品名:ケンカした 作家名:伊藤 園