ケンカした
授業を終えた生徒達の騒がしい声が廊下から聞こえてきた。雨の所為かグラウンドで練習できないのか、廊下を走る運動部の掛け声まで聞こえてかなりうるさい。
「そろそろかね」
シャマルが、ドアを開けて廊下を覗く。昇降口脇で練習の準備をしている野球部員の中に目当ての人物を見つけて声を掛ける。
「おい、そこの…山本? だったか。そこの野球少年」
別の野球部員が気付いて山本の肩を叩く。山本が振り返り、自身の顔を指差す。
「そうそう、お前。ちょっと来い」
手招きをする。山本が怪訝そうな顔をして保健室に向かって走ってきた。
「何の用っすか? 保健のおっさん」
「あー、大した事じゃねえけどちょっと話がある。中入れ」
「話? 今部活中なんすけど」
「すぐ終わるからいーから入れ。ほれ」
山本の腕を掴んで中に引きずり込む。きょとんとしている山本を、机のそばに置いた丸椅子に座らせて、シャマルは自分も向かいの椅子に座って嘆息した。
「あの、何の用っすか?」
「ったくよ、何でオレがこんな事してんだか……」
バリバリと頭を掻きながら独り言を呟くシャマルに、山本は訝しげな目を向ける。シャマルはそれに構わず一通り愚痴を吐き出した後、漸く本題に入った。
「面倒だからさくっと聞くぞ。お前、隼人と喧嘩したのか?」
率直に訊ねる。山本はバツの悪そうな顔をして目線を逸らした。
「まあ、喧嘩っつーか、オレが一方的に怒ってるっていうか」
「ほー、何で怒ってるんだ?」
「何でって……」
山本が言いづらそうに頬を掻く。いきなり第三者にそんな事を尋ねられたら、誰だって言いづらいだろうとは思うが、聞き出さない事には話が進まない。
「時間ねえんだろ、さっさと言え」
シャマルが促すと、山本は決心したのかシャマルの顔をキッと見て話し始めた。
「いつもの憎まれ口だと思うんですけど、あいつがオレの事どーでもいいみたいな事言ったんで。あと目障りだとも。んで、何かそん時はすげームカついて。すぐ収まると思ったんですけど、やっぱ顔見るとムカついて。それに獄寺もオレの顔見てすげー顔するし。引っ込みつかなくなって」
「あーそう、典型的なコドモの喧嘩だな。んで、仲直りする気はあんのか?」
「あります」
「じゃあさっさと話して仲直りしちまえ」
「それは、ツナにも言われたんすけど……」
山本の顔が段々俯いていく。シャマルは何も言わず、山本が再び話し始めるのを待つ。
「そのー、あれなんです」
「何だ? はっきりしねえなあ」
「本気でそう思って、言ったのかなと思って。本気だったら、何でどーでもいい目障りなヤツとキ……いや、何でもないっす」
「まあな」
途切れた言葉の続きを何となく想像して、シャマルは頷く。二人の関係は、本人達や誰かから聞いた訳ではないが、見ていれば予想が付く。伊達に場数は踏んでいない。
「んで、それでもお前さんは仲直りする気はあるんだな?」
「あります」
「だとよ、隼人」
シャマルがカーテンの向こうに話しかける。突然出た獄寺の名前に、山本は目を丸くする。
「ほれ、いつまでもふて腐れてねえで、さっさと出て来い」
シャマルの手が勢いよくカーテンを開けた。獄寺は所在無さげにベッドに座り、掛け布団を握り締めていた。
「五分やるから仲直りしな」
シャマルがそう言い残して保健室を出る。予期せず二人きりになってしまい、二人は黙ったままお互いの顔を見据える。
さすがにもう涙は乾いていたが、獄寺の目はまだ真っ赤に腫れていた。その上耳まで真っ赤にしている。
「獄寺、あのさ」
話し始めたのは山本からだった。
「獄寺はさ、どーでもいい目障りなヤツとでもキスするの?」
獄寺は首を横に振る。
「本気で、どーでもいいって言ったの?」
「本気、じゃない」
「じゃあ何で、あんな事言ったんだよ」
「……つい、口が滑った」
「でもさ、獄寺が軽い冗談で言ったつもりでも、オレはすげームカついた。だってそうだろ? オレは誰よりも獄寺のこと大事に思ってるんだよ。なのに冗談でも『どうでもいい』とか、目障りとか言われたら、さすがにオレだってムカつく。分かるよな」
獄寺がこくりと頷いた。
「……悪かったよ」
獄寺の謝罪の言葉に、今度は山本が頷く。
「オレも変な態度取って悪かった。これで仲直りな」
そう言って、山本はニッと笑った。二日ぶりに見れた山本の笑顔に、獄寺はほっとしてまた泣きそうになる。
「わーっ! 獄寺泣くなって!」
山本が手を伸ばし、獄寺の眦に滲んだ涙をごしごしと擦る。そしてそのまま近づいてくる山本の顔に、獄寺は泣くのを忘れて眉を顰めた。
「オイ、何してんだよ」
「何って、仲直りのキス。嫌か?」
「……仕方ねえな」
獄寺が目を閉じる。山本も目を閉じ、そして二人の唇が触れようとしたその時―――
「はい、五分経ったぞー」
シャマルが勢いよく扉を開けて保健室に入ってきた。二人は慌てて顔を離す。
「なっ! 邪魔すんなクソジジイ!」
獄寺が怒鳴る。シャマルは平然とした顔をして椅子に座り、山本に立つように促した。
「保健室内での不純な交遊は禁止。ほら、用が済んだんならさっさと出てけ」
シャマルが親指でドアを指す。
「お前が言うな! エロオヤジ!」
そう言い捨てて、二人揃って保健室を出る。
「なあ獄寺、今日一緒に帰ろうぜ」
山本が笑顔でそんな事を言い出した。獄寺は片眉をひょいと上げて山本を睨む。
「はぁ? お前部活だろ、待ってろっていうのか…オイ!」
獄寺の話を聞かずに、山本は部活に戻っていった。獄寺は嘆息して煙草を取り出し、歩き出す。
「ったく、何で待たなきゃいけねえんだよ」
ブツブツと文句を言いながら、獄寺は何処で待っていようかと、階段を上がりながら考えを廻らせた。
END