君にひだまり
良い天気だからね。
そう言ってリーマスは家中の窓からカーテンを外して歩いた。彼がそれを両腕に抱えて裾を引きずって歩くから、なんとなくシリウスはその後をついて歩いた。リーマスは文字通り忠犬のように付いてくるシリウスを時折ちらりと見ながら、けれどカーテンを外すのを手伝ってくれとか半分持ってくれとかそういうことは一言も言わず、迷いのないさっぱりした顔でとことこと家中を歩き回った。
やがて足下が見えなくなるほど大量の布を抱えて、リーマスは庭に出た。見慣れた庭には見慣れない古い浴槽が、漂着した船のようにぽつんと置いてあった。こんなものをどこから拾ってきたのか、これで何を始めるつもりなのかと訝るシリウスの前で、リーマスは腕に抱えた布のかたまりを、その浴槽に投げこんだ。ぱちゃんと涼しげな音が上がって、あふれた水が庭に染み込んだ。リーマスは腕捲りをして水の中に手を入れ、ぎゅうぎゅうと押さえては引き出し、じゃぶじゃぶと音を立ててそれに水を吸い込ませた。やがて水の中でくったりと身を丸めたカーテンをしばらく眺めて、彼はふいとどこかへ行ってしまった。どこに行ったんだろう、と思いながらシリウスは浴槽に近寄り、リーマスの跡を継いでちゃぷちゃぷと水を掻き回した。水を回すだけだ。カーテンに触れてなにか働きかけるようなことはしない。水に浸している手で、ぱちゃ、と飛沫を作った。真南よりもまだ東にある太陽に反射して水がちかりと光った。楽しくて、また水を跳ね上げる。水は律儀に光をはねかえす。面白がって繰り返すうち、ふと傍にあった粉に気付いて、それを水に投げ込んでみた。掻き回すとぶくぶくと泡が立った。調子に乗ってばちゃばちゃとてのひらを叩き付けると、小さな泡がはぐれてふわふわと風に流される。もっと粉を入れたいという誘惑に駆られて、粉の入った箱に手を伸ばしたところで、その手をぺしんと叩かれた。
「こら。」
上目遣いに見ると、リーマスがしかつめらしい顔でシリウスを見下ろしていた。
「なにを、してるのかな?」
「ええと、洗濯?」
「どうして疑問文なのかな?」
まじめな顔をしようとしているけれど、リーマスの目は笑っている。泡を彼のほうに弾いて寄越すと、彼は苦笑しながら浴槽の中にカーテンを追加した。それほど広くもないこの家のどこにこんなに大量のカーテンがぶら下がっていたのだろう?少しも気付かなかった。シリウスの前でリーマスは新着のカーテンに水と泡を馴染ませた。シリウスは子供じみた仕草でそれに参加した。
「なんでこんな面倒なやり方で洗うんだよ?」
他にいくらでも簡単で便利なやり方はあるじゃないか。積まれたカーテンをぎゅうぎゅうと押しながらシリウスは尋ねた。時間旅行者のような自分でも、これがひどく時代錯誤で原始的な方法だと言うことは分かる。いや方法や道具はともかく、我々には自身に備えられた、もっと便利な力があるじゃないか。そう願えばソファに座ったままでカーテンを綺麗にすることさえわけもない。どうしてわざわざこんな?リーマスを見ると、彼はちいさな染みを見つけてそれを指でこすっていた。シリウスは指先でぱちゃんと水を跳ね上げた。水面は不規則に模様を変え、日差しはそこで柔らかく弾かれ、リーマスの目の中に飛び込んでゆらゆらと揺れた。
いっそと思い、裸足になってその上に乗り踏みつける。ぎゅ、と音がしてまた泡が増えた。
「なんで、って言われても」
バケツに汲んでおいた水をつぎ足しながらリーマスが笑った。
「楽しいかなって、思って」
・・・確かに。
・・・でしょう?
汚れた水を捨てるのに、浴槽に付いていた排水口はとても都合がよかった。シリウスが足で踏んで水を絞り、そこにリーマスが新しい水を足した。ぎゅうぎゅうとカーテンを踏みつけるシリウスを羨ましそうにリーマスは眺めていたけれど、ついに彼も靴を脱いで浴槽に飛び込んできた。
冷たくて気持ちいいだろ。自慢げにシリウスがそう言うと、リーマスは笑みを浮かべて頷いた。邪気のない顔でシリウスの真似をして、カーテンを踏みつける。ぎゅ。ぎゅ。ぎゅ。
きれいにすすいだのを見計らって、リーマスは浴槽を出て、布を1枚ずつ引っ張り出した。水を含んだ布地は案外と重たい。大きな布相手に悪戦苦闘するリーマスを見かねてシリウスも浴槽から足を抜き、2人掛かりで布地をカーテンの形に整えた。それを物干しにかける。ひらり。風に揺れる。それを確認して、2人は次のカーテンに取りかかった。広げて、伸ばして、引っかける。浴槽にうずくまるカーテンの枚数を思うと少しだけうんざりした気持ちになったけれど、いまさら引き返すことはできないし、なにより発起人がとても楽しそうにしているから、本当はすこしも文句などないのだ。シリウスは1枚ずつカーテンを引き出して、その端をリーマスに手渡した。広げて、伸ばして、引っかける。
すべてのカーテンを風にさらす頃には、2人はすっかり汗だくになっていた。それでもひとつのことを成し遂げた達成感に風は心地よく、2人は目を合わせてお互いの功績を讃え合った。ひらひらと揺れるカーテンの下、古い浴槽も誇らしげだ。
リーマスは空になった浴槽に入って、そこに座り込んだ。彼は膝を立てて、自身の右側を開けるようにして座っていた。招かれるまでもなく、シリウスは彼の隣に身体を入れた。
「ほらね、できるんだ」
納得した顔で、リーマスは笑う。彼は額の汗を袖で拭った。
「うん?」
「面倒だけどね、洗濯、できるもんだよ」
「そうだな」
リーマスはすっかり干されてしまったカーテンを見上げる。あとは太陽が水分を蒸発させ、午後にはぱりっと乾いたカーテンに仕上がって部屋の窓に収まるだろう。ひらり。揺れる。
「観覧車って、乗ったことある?」
カーテンを見上げながらリーマスは言った。脈絡のない質問に、シリウスは一瞬答えに詰まる。
「ない」
「わたしもない。あれは何が面白いんだろう?」
「さあ、なんだろうな」
「乗ってみたら分かるだろうか」
「乗ってみるか?」
「うん、今度」
彼の思考がどこに帰結するのかシリウスにはさっぱり分からなかったけれど、こうして彼の隣で彼の話を聞いているのは悪くなかった。こんな話し方をするときのリーマスは、心に何か結論を持っている。シリウスはそれを辛抱強く待つだけだ。
「昨日はパンケーキを焼いたよ。レシピを見ながらだけど」
「食った。うまかった」
「ほんとうに?よかった」
ほっとしたようにそう言って、リーマスはシリウスを振り返る。
「たとえどこに追われても、どんな力をなくしても、わたしたちは暮らしていける。どこへだって、行けるよ、シリウス」
風が吹いてたくさんの広い布がひらりひらりと揺れる。
リーマスは晴れやかな顔で笑う。