君にひだまり
この家を終の棲家だと思ったことはないし、現実がそれを許さないことも知っていた。シリウスも、リーマスも、ひとつところに留まるには難しい身の上だった。それはつらくはない。相手につらい思いをさせているのではないかという危惧があっただけだ。けれどリーマスの提案は逃避ではなく、憧憬でもなかった。ドアを開くような、高らかで力強い宣誓。なにものにも蹂躙されない、夢と呼ぶにはあまりにまっすぐな誓い。
空の高いところから陽は降って、屋根の端をかすめ、木の葉を透かして、窓ガラスに反射し、足下にちいさく濃い影を作る。差し出したてのひらにも惜しげなく降ってあふれる。目を灼くほどの強い光は世界に満ち、そのちからゆえに世界を鈍い白に沈める。その中で空だけが不自然なほどに青い。誇りに満ちた気持ちでシリウスは空を仰ぐ。これほどの青を享受できることの幸福。共有できることの幸福。
風をはらんで膨らむ布は船の帆を思わせた。じゃあこの古ぼけた浴槽は帆船だ。風任せの航路。ちいさな雲は白いまま流れる。
「…どこへ、行こう?」
「どこへでも。地球の裏側でも、世界の果てでも」
リーマスは即答した。シリウスと同じように空を見上げて、それからふと笑った。
「あ、でも英語が使えるところだと助かる」
「おい、いきなり範囲が狭くなったぞ」
「フランス語でギリギリ。他の言葉は君に任せる」
「へいへい。」
なおざりに返事をするシリウスに、リーマスがくすくすと笑う。本当だよ。本気だよ。シリウスは答える。わかってる。わかってる。
ひらりひらり。風をはらんで帆は揺れる。芝の波を蹴って進んだ先、楽園はいつだって地上にある。天上はただ青いままであればいい。
「じゃ、荷造りでもするか」
シリウスは立ち上がり、組んだ指をぎゅっと空へ伸ばした。光を受けた手をほどいて、リーマスに向ける。差し出された手を受け取ってリーマスが訊ねた。
「トランクには何を詰める?」
「パウンドケーキとティーバッグ、ポットとカップと、チョコレート」
「食べるものばかりだ」
「クッキーも持っていくか?」
「トランクよりバスケットの方がお似合いだね」
「じゃサンドイッチも持っていこう」
「ピクニックだね」
「ピクニックだろ?」
「もちろん」
楽しそうにリーマスが笑うから、シリウスは嬉しくなる。バスケットにはラズベリーのキャンディを入れておこう、と思う。風を受けて帆船は進む。空は青い。