FATE×Dies Irae3話―5
廊下は惨憺たる有様だった。
窓という窓は砕け散り、壁も床もそこかしこが罅割れ、崩れ落ちている。
ライダーが『何か』を解き放ったあの瞬間、
咄嗟に反応したセイバーが士郎を床に押し倒していなければ、自身もまた、この惨状の一部となっていたことだろう。
「――やれやれ。ライダーめ、よもやこれほどの切札を隠し持っていたとはな」
同じように凛に覆いかぶさっていたアーチャーが、立ち上がりながら天を仰ぐ。
崩れ去った壁の向こう。
血色の空に浮かぶその威容が、起き上った一同の視線を釘付けにする。
「幻想種……!」
呟きは一体誰のものだったか。
上空にてライダーが跨るその生物は、天馬と呼ばれる空想上の存在だった。
神代の時代に存在し、今や物質界から姿を消した生粋の神秘。
「魔眼封じの眼帯にペガサスの召喚……なるほど、ここまで揃えばあいつの正体は明らかね。だとしたら、あの破格の魔力にも得心がいくわ」
「だな。元来ペガサスはそこまで高位の幻想種ではない。だが、あの天馬に限って言えば話は別だ。アレは、下手をすれば竜種にも匹敵するぞ」
凛とアーチャーが厳しい面持ちで上空の敵を検分する中、ライダーは空にとどまったまま、こちらを誘うように、くいくいと手招きをする。
「表に出ろってことか……!」
アレだけの魔力を内包した天馬だ。
ライダーにしてみれば校舎など砂細工も同然であり、士郎たちを追い詰めるにあたって何の障害にもなるまい。
漆黒のサーバントの誘いは、校内にいる生徒たちを慮ってのものだった。
もっとも、その配慮は間違っても倫理道徳に基づいたものではあるまい。
貴重な餌を粗末にしたくない。つまりはそういうことなのだろう。
だが、事情は違えど人的被害を出したくないのはこちらも同じだ。
「アーチャー、凛。士郎を任せます。アレは私が引き受けます」
言うが早いか、セイバーは崩れ落ちた壁面から外へと身を投げ出した。
地上三階の高さから苦も無く飛びおり、そのまま校庭へと疾走する。
そこに天馬が襲いかかった。
流星じみた超高速。はるか上空から地上までを瞬く間に走破する。
あれだけの霊格に、あの速度。
いかに頑強なサーバントでも、あんなものの突進をまともに受けたら、血肉も残さず四散するに違いない。
身を投げ出して躱したセイバーの矮躯を、すれ違いざまの風圧がごみくずのように吹き飛ばす。
「アレがライダーの宝具……!? 何だよアレ! でたらめにも程があるじゃないか!?」
思わず身を乗り出す士郎の腕を、アーチャーが押さえる。
「落ちつけ。貴様が行っても足手まといになるだけだ」
「くっ……! けど、このままじゃセイバーが――!」
小回りが利かないのか、それともセイバーの反撃を恐れてのことか。
ライダーは一撃を躱されるごとに天高く舞い上がり、そこから再びセイバー目掛けて急降下を繰り返している。
徹底したヒット&アウェイ。
上空の敵を撃墜するための手段をもたない時点で、セイバーはほぼ詰んでいる。
今はまだ辛うじて回避に成功しているが、反撃が封じられているのではどうしようもない。
このままでは斃されるのも時間の問題だ。
だから――
「――アーチャー。あんた、アレを射落とせる」
今この場でライダーを斃し得る者がいるとすれば、それは目の前の弓兵をおいて他にはなく――
「無理だな」
だというのに、赤衣の騎士はあっさりと匙を投げる。
「いくら私でも、あんな速度で動き回る標的を射抜くのは不可能だ。私の保有する矢の中には標的を追尾するものもあるにはあるが、天馬の速度が矢のそれを上回っている以上、奴を仕留めることはできまい」
「そんな……!」
絶句する士郎。
「だが――」
そんな士郎をからかうように、アーチャーはしれっと言葉を継ぎ足す。
「矢を当てるのは無理だが、アレを地に叩き下とすのは可能だ。もっとも、そのためには条件が二つある。一つは時を稼ぐこと。そしてもう一つは凛――君の許可だ」
◆◆◆
冬木ハイアット・ホテル。
およそ十年前、爆弾テロの標的となり全壊の憂目にあった彼のホテルは、その後装いもあらたに再築されて以来、冬木一の高級ホテルの座を、今に至るまで不動のものとしていた。
「うわー! すごいすごい!」
長旅を終え観光バスから降り立つや、カレンはキラキラと目を輝かせ、眼前にそびえる高級ホテルを見上げた。
ショートカットの栗毛に溌剌とした目鼻立ちをした少女は、日だまりのような屈託のない笑顔を傍らの友人たちに振り撒く。
「修学旅行の行き先が、聞いたこともない地方都市に決まった時はショックでテンションだだ下がりだったけど、いざ来てみると結構悪くない感じよね。ホテルは超豪華だし、道すがら見えた橋向こうの景色も、風光明媚で異国情緒溢れる感じだったし」
が、はしゃいでいるのはカレンばかりで、友人たちの反応は芳しくない。
「そりゃホテルは豪華だけどさー」
「ぶっちゃけ風光明媚だの異国情緒だの、今時のJKはそういうのノーサンキューって言うか」
「だよねー。どうせならディ●ニーとかユニバ●ルとか、もっとがっつり遊べるところが良かったよねー」
「あーあ。何で今年からいきなりこんなところに変わっちゃったのかなー。奈良とか京都とかなら分かるけど、観光地でもない地方都市なんて、ホント誰得よ?」
「っていうか、うちの学校って色々おかしいよね。行き先のチョイスもそうだけど、二年のこんな時期に修学旅行なんて」
「そう言えば何で行き先変わったんだっけ?」
「さあ。何か先生があれこれ説明してたのは憶えてるけど、あの時ってみんな騒ぎまくってて良く聞き取れなかったのよね」
不満タラタラの一同を、カレンはぴしゃりとたしなめる。
「もう! いつまで不貞腐れてるのよ、みんな。何はともあれ高校生活最大のイベントなんだからさ。ここまで来たら楽しまなくっちゃ損だよ、損!」
「いいよねー、部長は。単純でさ」
「むっ……! 素直って言いなさい、素直って! それだとまるで私がバカみたいじゃない!」
『……………………』
「ちょっと何か言ってよ! どうして黙っちゃうわけ!?」
「いや、だって……」
「実際バカだし」
「うん、バカ。剣道バカ」
「今さらよね」
「知らぬは当人だけってね」
「そんなだから部長、影でバカレンなんて呼ばれるのよ」
「えっ!? ちょっと待って! 私、影でそういう扱いなの!?」
「それはともかく、部長だって学校出るときはえっらいブルーだったじゃん。っていうか、うちらの中で一番テンション低かったし」
思わぬ指摘に、カレンはきょとんと目を丸くした。
「えっ? そうだったっけ?」
「そうそう。何か心配事でもあるんじゃないかってくらい、元気無かったよ」
そこまで言われ、カレンはようやく合点がいった。
「――ああ。なるほど、そういうこと。……あのね、違うの。元気が無かったのは私じゃなくて、お母さんなの」
「えっ? あのおばさんが?」
誰もが不思議そうに首を傾げる。
ここにいるのは中学時代からの同級生ばかりで、みんな母のことは良く知っていた。
作品名:FATE×Dies Irae3話―5 作家名:真砂