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祈りの声は響くとも

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 土井は怒っていた。
 さもなければこう早く学園を出ることはなかった。休みが始まったとはいえ、日常のごたごたのうちに積もった仕事は少なくはなかったのだ。それらすべてをなげうって学園を出たのは、きり丸の進路希望書を見たからだった。用紙が返ってきたら別の用途に使おうとでも思ったのだろう、隅に小さく書かれた文字は『戦忍』のみだった。
 確かに、戦忍は最も金になる。だが、それはきり丸が何よりも嫌いな行為、『捨てる』ことを余儀なくされるからだ。
 そこで捨てるのは良心であり善意であり……また、何にも変えがたい『命』でもある。
 冗談じゃない、と土井は思った。基本的にきり丸は話術に長けている。この5年間で他の技術もずいぶん成長したとはいえ、体術を主とする職につくという選択は賢明からほど遠いものだ。
 あいつは本当に目先の金にとらわれる。
 土井はため息と共に怒りを吐き出した。
 夏休み中の今、きり丸は都の家にいる。到着する夕刻ごろにはアルバイトも終わっているだろう。
 土井は編み笠を目深にかぶりなおし、足早に都へと進んだ。



 陽が沈み、空がすみれ色になる頃、土井は借りた部屋のある長屋に到着した。
 夕餉の頃のせいだろうか、古ぼけた長屋のあちこちから淡い煙が立ち昇っている。それは土井の部屋も同じことだった。夕方になっても収まらない暑さのせいもあってか、部屋の戸は開け放たれていた。中からは人の気配が感じられる。きり丸はどうやら帰っているようだ。
 眉間を寄せ、部屋の中へと入る。
「あれー、ずいぶん早かったっすね」
 きり丸はいつもの調子で土井を迎えた。その気軽さは土井の眉間のしわをさらに深くさせた。
「きり丸、お前、ちょっとそこに座れ」
 怒りを抑えた声で言う。
 きり丸はおとなしく従い、囲炉裏端に座った。怒られる理由は指折り数えられるほどあるのだろう、顔色を伺うような面持ちで上目遣いに土井の方を見る。
 土井は草履を脱ぐと、きり丸に対座した。
 ふところから進路希望書を取り出し、それを床に置くと、難しい表情のまま口を開いた。
「きり丸、この希望だが……」
「何事かと思ったら、それですか。もー、脅かさないでくださいよ」
 きり丸はいつもの調子で、茶化すように笑顔で答えた。冗談じゃないんだぞと脅すように言うと、しゅんとした表情で口を閉ざして見せる。
 それが用意周到に作られたものであることはわかっている。かといって、かわいげがないと言って怒鳴るのも大人げがない。やるかたなく、苦虫を噛み潰したような顔で土井は大きなため息をついた。
「おまえ、戦忍になるってことがどういうことかわかってるのか」
 問うと、案の定というか、きり丸は表情を苦笑に変え、胸元で手を振った。
「先生、オレ、もう六年ですよ。実戦経験豊富で有名だった一年は組出身、高学年になってからは実習だって行ってんですから、知らないわけないっしょ」
 きり丸の口調はあくまで軽い。
 軽い胃痛を覚え、土井は腹の辺りを押さえた。
「向き不向きってものを考えろよ。確かに、戦忍は実入りはいいが危険も多いんだ。お前は諜報みたいな仕事の方が……」
「利吉さんみたいな?」
「あの人のは戦忍と同じようなもんだ。そうじゃなくて、地元にまぎれるような……」
「いやですよ、そんなの」
 きり丸はやれやれといった表情でため息をついた。
「そういうの、一生そこで生活する可能性あるじゃないですか。いつ帰って来れるかもわかんないんですよ」
「だが、だからといって戦忍を選ぶのは……」
「だって、戦忍なら戦が終わればここに帰ってこれるでしょ。終わってなくても、一定間隔で休みが貰える。オレに向いてんですよ。草みたいな仕事だって、別に絶対安全ってわけじゃないし。なんかあったら一番に切り捨てられちゃうじゃないですか」
 喉元まで『生きて帰れるとは限らないんだぞ』という言葉がこみ上げる。口にするのも忌まわしいセリフを無理に飲み込むと、土井は、
「向いてない。オレは、許さんぞ」
とだけ低くつぶやいた。
 子供じみた態度であることは重々承知していた。が、あの場に……殺し、殺されるためだけの場に……手元に置いて育てた子供を出したくはなかった。教師として幾人も、戦忍となる子供を見送っておいて、と侮蔑を受けてもかまわない。わかった、と頷いてやることはできなかった。
「これは、なかったことにする。新しいものを提出しろ」
「無理ですよ」
 返ったきり丸の声は、あくまで明るいものだった。
「先に山田先生に相談してるから。戦忍で提出します、ありがとうございました、って笑って言っといた。もちろん、乱太郎やしんべヱに、進路希望は見せてある」
 きり丸の言葉に、知らず落ちていた視線が上がる。
 視界に写ったきり丸は、笑顔のままだった。
 土井は言葉を失った。そうだ、この子はずっとこういうことには聡く、いつだって自分の先回りをした。
 胃ではない部分に尖痛が走る。それから土井は、こんな思いをするのは随分久しぶりだということに気づいた。
 多分この子は、今では完璧に立ち振る舞えるのだ。自分にまだまだ子供だと思わせて安心させておけるほどに。
 視界が緩む。涙を落とすわけにはいかない。土井は再び視線を落とした。
「なんでそんな、ここに執着するんだ。どうしても帰ってこなきゃならない理由なんてないだろう」
 声は震えていた。抑えることはできなかった。健やかであれと祈ることが罪である己の職業の業に、今更のように痛みを感じる。だが、ここに命を天秤にかけてまで戻ろうとする理由などあるはずもないのだ。
 茶化すような声の、用意周到な答えが返ってくるとばかり思っていた。けれど、きり丸は何も言わなかった。いくらか開いた間を不審に思い、土井は顔を上げた。
 きり丸は苦笑を浮かべていた。視線に気づいたのだろう、ふと息をつくと口を開く。
「だって、帰ってこなかったら、土井先生忘れちゃうでしょ、オレのこと」
 きり丸は表情を隠すように、顔を伏せた。
「ひとりっきりになって、寂しくなって、穴埋めるみたいに誰かと恋をして結婚して、子供とかできて。忙しくしてる間に、多分オレのこととか、いい思い出になっちゃうんでしょ」
 膝の上に乗せられた手が、握りこぶしを作る。
「そういうの……やなんだよ……」
 何かをこらえるような声は震えていた。
 土井は直前の自分の言葉を恥じた。天涯孤独なこの子供にとって、この場所は……根無し草の自分たちにふさわしい、いつ追い出されるかすらわからない、この長屋の一部屋が……唯一無二の場所なのだ。同じ境遇の自分だけは、気づいてやるべきだったのだ。
「……ごめんな」
 顔を背けるようにしているきり丸に近づくと、ゆっくりと頭を撫でてやる。きり丸は、何かをこらえるように眉を寄せ、ぎゅっと目を閉じた。
「忘れないよ」
「ウソだよ」
「忘れない」
「ウソだ!」
 反射的に上げられた顔から、涙のしずくがこぼれた。
「絶対信じない! 土井先生には無理だもの。無理だよ!」
 落ちた涙はもう止まりようがなかった。次々とあふれ出て、頬を伝いあごの先から落ちて、板の間の床を叩く。
作品名:祈りの声は響くとも 作家名:ミシマ