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君といるということ

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空は一面、灰色がかった白。
雨が降っている。
そんな中、岩鳶高校の夏服を着た男女がそれぞれの傘をさし、肩をならべて川沿いの道を歩いていた。
岩鳶高校二年の橘真琴と一年の松岡江だ。
ふたりは水泳部の部長とマネージャーの関係だ。
いや、それ以外にも、江の兄の凛が小学六年生のころ卒業までの三ヶ月間だけ真琴のクラスメイトかつ同じスイミングクラブに所属していたという、つながりもある。
あのころ、真琴は凛や幼なじみの七瀬遙や一歳年下の葉月渚とともに競技大会にリレーで出場して優勝した。
それに。
それよりもまえに。
真琴はまだ自分が幼かったことのことを一瞬思い出した。
「雨、なかなかやみませんね」
隣で江が言った。
それで、真琴は現実に引きもどされた。
ふたりは高校からの帰りで、今日学校を休んだ遙の家に向かう途中である。
真琴は優しい微笑みを顔に浮かべて江のほうを見た。
江も真琴のほうに顔を向けている。
明るい笑顔だ。
江はたまに落ちこんだりするが、たいてい元気いっぱいだ。
その江の笑顔の向こうに凛の今の姿を思い浮かべる。
小学生のころの凛はよく笑っていた。大きな夢を語るロマンチストで、三ヶ月しか在籍していなかった小学校の卒業式で六年生の中で真っ先に泣いた泣き虫でもあった。
それが、凛がオーストラリアに水泳留学し、中学生のころはまったく会うことはなく、高校二年生になって再会した今、凛の雰囲気はまったく変わってしまっていた。
凛は笑わなくなった。真琴たちに対して突き放すような態度を取るようになった。
だから真琴は心配している。
もちろん凛に対してもだが、凛のことを気にしている遙のことを心配している。
遙とは長いつきあいで、無口で無表情な遙の気持ちを真琴は言い当てることもできる。
ハルがいなきゃ、ハルじゃなきゃダメなんだ。ハルと一緒に泳ぎたいんだ!
そう遙に言ったこともある。
真琴と遙の関係を、まわりは真琴がマイペースすぎる遙を支えているように見ているかもしれない。
だが、真琴本人は逆だと感じている。
自分は遙の存在に支えられていると思う。
実は真琴は恐がりだ。
水が恐い。いや、海が恐い。
それは幼いころの思い出が原因だ。
冬だった。
冷たい風が吹いていた。
遙とふたりでいるときに、出くわした。
広い道を白い着物を着たひとたちが、五十人ぐらい歩いていた。
みんな、うつむいて、黙って、ゆっくりと歩いていた。
歳を取った者もいれば当時の真琴と同じ歳ぐらいの子供もいた。
あのひとたちはどこに行くのか、なにをしているのか、真琴にはわからなかった。
わからないまま、おびえた。
恐くて、いつのまにか遙の服の裾を握っていた。
集団の中から嗚咽のような声が聞こえてきて、ますます強く遙の服の裾を握った。
やがて遙は服の裾を握る真琴の手をひいて、その集団から真琴を遠ざけるように走った。
遙は自分の心の支えだ。そう感じる。
「そうだね」
ハルがいなきゃダメなんだ。
江に返事しながら、真琴は別のことを考えていた。
けれども、そのことに江はまったく気づいていない様子だ。
「早くやんでほしいですね」
「いや、でも、この季節だから植物は喜んでいると思うよ」
「ああ、たしかに、そうですね」
そういう考え方もあるのかと気づいた様子で江は明るく同意したあと、しかし、ほんの少し表情をくもらせた。
「でも、降りすぎで、川の水かさがすごく増してきてるのが心配です」
江はその眼を道に平行して流れる川のほうへとやった。
つられるように、真琴も川を見た。
川の水かさは驚くほど増していて、恐いぐらい勢いよく流れている。
「あ」
江が短く声をあげた。
しかし、真琴は江のほうを見なかった。
眼が見つけていた。
水かさを増して勢いよく流れる川の中に、幼稚園生ぐらいの少年がいる。
川に落ちたのだろう。
おぼれて、真琴と江がいる方向へと流されてきている。
真琴と江からは少年よりも後方の土手下の川岸を女性が走っている。少年を追っているようだ。母親なのかもしれない。必死の形相で少年のものらしい名前を叫んでいる。
バシャッ……!
近くで、なにかが落ちた音がした。
ハッとして、真琴は音がしたほうを見た。
雨が篠突いている道に、傘が落ちていた。
江の傘だ。
真琴は江を見た。
江は大きく眼を開いて一心に川を見ている。その両手は口にあてられている。
顔面蒼白だ。
肩がこきざみに震えている。
それに気づいた瞬間、真琴は自分の胸がなにかに刺し貫かれたように感じた。
真琴は腕をあげた。
そして、その手を江のほうにやった。
江の背中へとまわし、自分がいるのと反対側にある江の肩に触れる。
一度強く江の肩をつかんだ。
震えているのを、おさえるように。
それから真琴は言う。
「大丈夫」
できるだけ優しい声で続ける。
「待ってて」
江が真琴のほうを見た。
その視線を受け止め、真琴は微笑んだ。
そして、微笑んだまま眼をそらし、川のほうへ顔を向けた。
傘を道へと捨てる。
足を進める。
雨の降る中、夏草の生い茂る土手へとおりていく。
俺はバカだ……!
土手を駆けおりながら真琴は思った。
自分が海が恐くなった原因。
幼いころに見た白い着物のひとたちが歩いていく光景。
あれは、漁港から三キロぐらいの沖で大きな漁船が沈み、その遺族の行列だった。
その行列の中には当時の真琴と同じ歳ぐらいの少年もいた。
その少年も白い着物を着て、うつむきながら小さな女の子の手をひいていた。
ふと、少年が顔をあげて振り返った。
自分たちを見ている同じ年頃の少年たちがいるのに気づいたらしく、左腕で涙をぬぐい、そのあと、にらみようにこちらを見てきた。
小学六年生のころに出場した競技大会のリレーの決勝のまえに、その少年が凛であったことがわかった。
次のレースが泣いても笑っても最後になるかと言って、凛が話してくれたのだ。
凛の父親はこのスイミングクラブの一期生で、競技大会のリレーで優勝した。
水泳選手としてオリンピックに出ることを将来の夢としていたが、オリンピックの選手にはならなくて漁師になった。
そして、その乗った漁船が漁港から三キロも離れていないところで沈んでしまった。
遺族の行列の中にいたのは、父親を亡くした凛だった。
そして。
凛に手をひかれていたのは、江だ。
そんなこと、自分は凛が話してくれたころから知っていたのに。
凛が父親の夢を引き継いで水泳に打ちこんでいたから、江がいつも元気いっぱいで水泳部のマネージャーを明るく務めているから、気づかなかった。
真琴は江が泳げないのも知っていた。
運動は全般的に不得意だと江本人が言っていたから、それをそのまま受け止めて、深く考えることをしなかった。
自分はあの遺族の行列の光景を見て、海が恐くなった。
だったら。
だったら、江はどうなんだ……!
自分の父親の乗った船が沈んで、父親を亡くした江はどうなんだ。
船が沈没したときの父親の様子を想像したりもしただろう。
なによりも、家族思いの江だ、父親を失って、つらかっただろう。
江が平気そうにしているから、いつも元気いっぱいだから、気づかなかった。
自分と同じように、いや、自分以上に、江が海を恐く感じていてもおかしくはなかった。
作品名:君といるということ 作家名:hujio