風邪ひき一号。そして二号
1.かぜひきいちごう
非常に珍しい情報が手に入った。
初めに聞いた時はそれこそガセかと思ったが、池袋を安全に歩ける日々が数日続けば確信が持てる。
シズちゃんが、風邪をひいた。らしい。
その情報の真意を確かめる為、俺は今こうしてシズちゃんの家までやってきている。
記憶を探ってみても、あの体力馬鹿が風邪をひいたという事実は記憶されていない。これはレアだ、見に行こう。と此処までやってきたのだけれど、はたから見たら心配してお見舞いに来たように思えるんじゃないかと、我ながら最悪の想定をして踏み進める足が止まったワケだ。この俺が、シズちゃんのお見舞い!なにそれ、ギャグにしかならないよ。ああ。でもシズちゃんすっごく嫌がるだろうな。そう思えばフルーツの詰め合わせと鉢植えでも持って本格的なお見舞いも悪くないかもしれない。勿論、鉢植えは「病気が根付くように」という趣旨の暖かいメッセージがこめられている。嫌がらせの基本だよねぇ。
そんな事を考えている間、ただ古びたアパートの前で立っているだけじゃ手持無沙汰だったから、シズちゃん家のポストにいかがわしい系のチラシを詰めれるだけ詰めこんでみたりしてた。うん、いい溢れっぷりだ。
―――ゴホッ…、
「…………」
古過ぎるシズちゃんの家は、二階の音をそのまま地上に伝える機能を有しているらしい。どんだけ防音を無視した構造なのだろう。あれくらいの咳の音がここまでしっかり聞こえるって事は、普通の会話だって外にだだ漏れって事じゃないか。情報が売れる時代だって言うのに、呑気な家に住んでるよねぇ。
カン、カン、カンッ
耳触りな音を立てる階段を昇って、突き当たりの部屋。近付く程に聞こえてくる咳の音。愛想の無い文字で書かれた表札を確認する必要すらない。
触れるだけで、あっさりと道を開けた存在意義が希薄なドアを潜り、締め切ったままで淀んだ空気の中へと身を滑らせる。
「しーずちゃんっ」
「…………なんで此処にっ、…ゲホッ、」
大声を出そうとして咳込むシズちゃんを無視して窓を開けた。
だってこの部屋相当強力なウイルスに占領されてる。あと、煙草。
「なーんで喉痛めてるのに煙草吸うかなぁ?シズちゃんは俺の予想以上に馬鹿なの?」
「―――っせえ。帰れ」
人を殺しかねない視線を向けられるが、赤い顔を枕に埋めるシズちゃんじゃ残念ながら俺は殺せない。だるいのかベッドから起き上がろうとしないシズちゃんは無視して、勝手に台所を拝借する。
外の風がようやく部屋の中から淀みを取り除く頃、布団に丸まったミノ虫シズちゃんがポツリと「…寒ぃ」と零したので、窓を閉める。
「シズちゃんの家、玉子ないから梅粥でいいよね?」
「…………は?」
ポカン、とした顔が俺を見る。
熱の所為か状況把握に時間がかかっている様子のシズちゃんは放っておいて、粥の入った鍋と、小皿にスプーンをお盆に載せてベッドサイドに腰掛ける。
掬いあげた粥に、わざとらしくゆっくり息を吹きかけて
「はい、シズちゃん。あーん」
「…帰れよ、馬鹿」
「食べたら帰るよ。ほら、あーん?」
満面の笑みで、憎らしく。
青くなったり、赤くなったりする顔が面白いなぁ、と思っていれば
「…………自分で、食える」
そう、寝ぐせをつけた男が申告してきたので大人しくスプーンを渡す。
「美味しい?」
「……味がしねぇ」
「さっすがシズちゃん。風邪の時でも最高に憎らしいよね」
ただ米を水でふやかして塩で味付けしただけの料理に元々感想なんて求めていなかったが、せめて皮肉を言えばシズちゃんがちょっと慌てたのが分かる。
「シズちゃん」
「…んだよ、っ……!」
シズちゃんの口の中は、予想以上に熱い。
易々と侵入出来た舌で、シズちゃんのそれを探り当てわざと水音がするように絡め、時折甘噛みすれば掴んでいた首が大げさに揺れた。
両手は、シズちゃんの首を絞め。
唇は、シズちゃんの息を奪う。
すごいよね、今なら俺がシズちゃんを殺せるんだ。
「―――優しくされて、勘違いしちゃった?」
俺の身体を押し返そうとしていた腕の力が抜けかけた頃、ようやくシズちゃんを解放すれば馴染んだ視線が俺に突き刺さる。
「…いざ、……はっ、手前……っ、ゴホッ…ゲホっ…!!」
「忘れてるなら何度でも言うよ。シズちゃん、俺はね。君の事が――
大嫌い。そう囁きながら、唾液で濡れた唇に触れるだけのキスを落とす。
シズちゃんの目に映った俺は、ぞっとするくらい穏やかな微笑みを浮かべていた。
「世界で、シズちゃんだけが、大嫌い」
(ねぇ、忘れないで)
作品名:風邪ひき一号。そして二号 作家名:サキ