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たとえばこんな未来の話

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岩鳶町にある七瀬家は昔ながらの和風建築である。
その縁側から見える庭は夏の陽ざしを浴びて輝いている。
正午をすぎた。
遙は自分で作った昼食を居間で食べていた。
大学三年生で、現在は夏休み期間である。とはいえ、大学の水泳部に所属していて、平日は毎日のように練習があるのだが、今日は休むことにした。
何気なくテレビをつけると、ちょうど、画面によく知った顔が映しだされた。
「ッしゃあ!」
凛がプールの中でゴーグルをはずしつつ、笑顔で声をあげているシーン。
これまで何度もテレビで流されたシーンだ。
世界水泳男子百メートルバタフライ決勝で、凛がトップでゴールした直後の場面である。
続いて、金メダルをかけた凛が表彰台にいるシーンが映しだされた。
これも何度もテレビで見たシーンだ。
さらに続けて、凛が昨日凱旋帰国したときの空港での様子が映しだされた。
報道陣とファンらしきひとびとがたくさん集まっていて、彼らが凛に向けるカメラのフラッシュがまぶしい。
それからスタジオの光景に切り替わった。
スタジオには司会者とコメンテーターがいる。
司会者によると、今日は松岡凛特集を最初にやるそうだ。
「松岡選手は水泳の才能があれほどあるうえに、あのルックス! 今、女性を中心に、たいへん人気があるんですよね」
そう司会者の男性アナウンサーは説明した。
特集では凛の過去も紹介される。
凛は父親を海難事故で亡くし、その父親の夢を引き継ぐ形で、オリンピックの競泳の選手を目指すようになった。
小学生高学年のころには大会で優勝するようになっていた。
小学校卒業後にはオーストラリアに水泳留学をした。
高校二年の春に帰国し、水泳の強豪校である鮫柄学園に転入。
高校三年の夏には全国高等学校水泳競技会のバタフライで優勝。
その後は飛ぶ鳥を落とす勢いで成績をあげていき、学生レベルから日本レベル、さらに世界レベルに到達し、ついに世界的な水泳の競技会で頂点に立った。
「まさに、天才、という感じですね!」
女性コメンテーターが顔を輝かせて言った。
その直後。
居間にだれかが入ってきた。
遙はそちらのほうに眼をやる。
年季の入った生活感の漂う和室に、テレビでスターのように紹介されている男は、ミスマッチのように感じた。
凛が畳へと足を踏み入れ、そのままどんどん進んできた。
そして、遙のすぐそばまで来ると、無造作に畳に腰をおろした。
その切れ長の眼が机の上の皿へと向けられる。
「……おまえ、またサバ食ってんのか」
「ああ。悪いか?」
「悪いなんて言ってねーよ」
いつのまにか身についたらしいスターのオーラを漂わせつつ、凛はその眼を今度はテレビのほうに向けた。
「趣味悪いもん、見てるな」
凛は机の上にあるテレビのリモコンを手に取り、断りもなくテレビの電源を切った。
それを遙は無表情のまま眺め、いつもの落ち着いた声で言う。
「自分の姿を趣味悪いもの、とはな」
「そーゆー意味じゃねぇよ!」
噛みつくように凛は反論してきた。
趣味が悪いと言った凛の本音を、遙は本当はわかっている。
自分がテレビでアイドルのように特集を組まれているのが、それを見るのが、決まり悪いのだろう。
つい、遙は少し笑ってしまった。
そのあと、凛のほうにふたたび眼をやると、凛は妙な表情をしていた。
「?」
どうしたのかと思い、遙はじっと凛を見る。
遙の視線を受けて、凛はハッと我に返ったような表情になり、それから、なぜか真剣な顔つきになった。
「なあ、ハル」
凛が呼びかけてきた。
「おまえ、大学卒業後、どうするつもりだ?」
「ああ、そろそろ就職活動を始めないといけないな」
「会社に勤めるつもりなのか?」
「ああ」
「おまえが会社員とか、想像できねぇんだけど」
「なにを言ってる。俺はこれまでも普通に学生をしてきたんだ」
「どこが普通だ。自分がつかれるぐらいの水を見たら、すぐに服を脱いだりするくせに」
「おまえには言われたくない」
「それで、どの業界を目指してるんだ?」
「それはまだ決めてない」
「……じゃあ」
凛の眼差しがよりいっそう真剣なものになる。
「卒業後の進路の候補に、オレんとこも入れてくれ」
え、と遙は戸惑う。
少しして、言われたことの意味を理解して、遙は眼を細めた。
遙は口を開きかけた。
けれども、遙が言葉を発するよりも先に、凛が言う。
「オレは今、スポンサーついてるし、CMとかも出てるから、おまえひとりぐらい充分養っていけるぐらいの甲斐性はある。おまえが、その、養われる、とか嫌かもしれねぇけど、養われてるとかぜんぜん思わなくていいし、オレがそうしたいからそうしてるだけで、おまえに一緒にいてほしいだけだから」
あせっているような早口だった。
その凛の顔を、遙は無表情で眺める。
遙は口を開いた。
「さっき、テレビで、おまえは女性を中心に大人気なんだと紹介されていた」
すると、凛は眉をひそめた。
けれども、遙は怯まずに冷静な声で続ける。
「その女性の中に、競泳の松岡選手をしっかり支えてくれるようなひともいるんじゃないか」
凛は、本人がその状況に決まり悪い思いをしていても、すでにもうスターだ。
これまでは一緒にいたいから一緒にいた。
でも、もうそろそろ、それは通用しないころになってきていると思う。
一緒にいたいという気持ちだけでは一緒にはいられない。
そんなこと、天然と言われる自分でも、わかる。
それが凛のためであるならば、もう会わない。
たとえ凛の結婚式に呼ばれても、学生時代の友人のひとりとして出席する。
遙は凛の鋭い視線を受け止める眼の力を強くした。
本気だと、眼で伝える。
凛は軽く息をのんだ。
苦しそうに顔をゆがめる。
その口が開かれる。
「オレは天才じゃねぇよ」
さっきテレビの中で女性コメンテーターが言っていたことを否定した。
遙は、それでも天才だと思う。
天賦の才が無ければ、世界の頂点には立てないだろう。
だが、凛が否定した意味もわかる。
天才のひとことで片づけてほしくないほど、凛は努力している。ストイックなまでに自分を追いつめ、身体をつくり、何時間も練習している。
「おまえには、みっともないところも見せた。無様なところも見られた」
さっきテレビの特集で紹介された凛の経歴の中で、水泳留学してから高校三年までのあいだの成績が抜けている。
本人としても触れられたくない過去だろう。
高い目標を持ち、大きな夢に真っ直ぐ進んでいった凛は、海外で壁にぶつかり、大きな挫折を味わい、高校二年の夏まで悩み苦しんだ。
留学まえの凛はあれほど笑っていたのに、高校二年の春に再開した凛は笑わなくなっていた。
「ずいぶん自分勝手なこともした。まわりに迷惑もかけた」
あのころの凛は、水泳をやめるとも言った。
本気だったのだろうと遙は思う。
自分の思い描いた夢は大きすぎて、しかも現実に壁にぶつかって、心に大きな傷を負い、本当に自分が目標としているところまで到達することができるのか不安だったのだろう。
これ以上続けていれば傷が深くなるだけかもしれない。
やめたい、と思っても、しかたないだろう。
「おまえを振り回した」
凛の表情が揺れた。
しかし、すぐにその眼差しを強くして、遙を眼を真っ直ぐに見る。
作品名:たとえばこんな未来の話 作家名:hujio