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シノ@ようやく新入社員
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本の海

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 シグルドが贈り物には必ず一級品を選ぶのは、ただたんに好いている人間にはより良い物を、と思ってのことだ。だが、古びた服をどんなに気に入っていようと、真新しく綺麗な服を着なければ外聞が悪いことも事実である。シグルド自身も、貴族のステータスというのはつまるところ、地位や名誉だけでは収まりきらないのだ、と言っていた。
 兵士寮とは違い、上官の部屋は頑丈な扉で閉ざされている。数度ノックすると、落ち着いた重い音がした。
「ハーヴェイか。入れ」
 野太い声に促され扉を開いたハーヴェイは、何度見ても慣れない光景に、僅かにたじろいた。大理石の天井から毛足の長い絨毯へと届く巨大な軍旗が、装飾窓の大半を覆って壁に掛けられている。掲げるべき自軍の旗といえど、いつまで経ってもこの旗が好きになれなかった。ルビーレッドの背景にロングソードが刻まれているそれは、近くで見るとグロテスクな印象しか与えない。
 誇り高く軍旗を背負う男が、ゆるりとデスクから顔を上げた。
「遠征が決まった。君に先遣部隊の陣頭指揮を任せたい」
「この時期に遠征…? 目的は何っすか? 一体何処に」
 ハーヴェイが言い終わるか終わらないかのうちに、上官が双眸を眇めて言った。
「隣国に侵攻する」
「は!? まさか、そんな。有り得ない」
 上官が他国侵攻を率先して推奨していたのは知っていたが、この国には軍事予算に回す余裕などない。犠牲になるのは国民だ。
「民が飢える。国王が了承するとは思えませんけど」
「ああ、だから王は今まで国を大きくすることに消極的だった。だがね、状況は変わったのだよ。ハルモニア神聖国が協力してくれるそうだ」
「ハルモニアが?」
「無論、見返りは大きいがね。この国は支配権を残し、ハルモニアの属国となる」
「馬鹿か」
 上官は部下の暴言を鼻で笑い飛ばし、数枚の書類を取り出した。
 手渡された書類に目を通したハーヴェイは、その字が酷く見覚えのあるものだと気付く。
「君が、よーく知っている人物が書いたものだ。素晴らしい論述力だと思わないか? 国王や議会に、事の重要性を知ってもらえたのは彼のおかげだよ」
 ハーヴェイ上官に掴みかかった。左手で襟元を掴み、握り締めた右拳をかざす。
「アンタが書かせたのか」
 上官は薄ら笑いを浮かべた。穢らわしいものを見るような目で、ハーヴェイが掲げた右腕を一瞥する。
「後の世は、君のような下郎の衆が成り上がることはない。非常に残念だ。その篭手、よくお似合いだよ」
 一層拳に力を入れると、まるでハーヴェイに訴えかけるようにガントレットが軋んだ。
 ――ああ、そうかよ。シグルド。
 奥歯を噛みしめ、静かに拳を解いた。


 会議室に戻ると、そこは相変わらずの散乱状態だった。
 山と積まれた本の隅で、シグルドが長机に突っ伏して眠っている。
 片付けの最中にまた本に熱中していたらしく、傍らに開かれたそれは先刻の歴史書だ。女海賊が描かれたページを開き、栞代わりに眼鏡を置いている。窓から吹く風にパラパラと踊らされたページが、シグルドの眼鏡に覆い被さっていた。
 ハーヴェイは隣の椅子に腰掛けた。起こさないようなるべく静かに椅子を引いたが、一度がたりとぶつけた音にシグルドが身じろぐ。
「ハーヴェイか?」
 目を覚ましたシグルドが眼鏡を取る前に、素早くそれをかっ攫った。
「……なにやってる」
「まだ起きるなよ。寝てないんだろ」
「寝てる」
「今はな。そのでっかい隈は、論文発表の予行練習でもしてる所為だと思ってた」
 顔を上げようとするシグルドの頭を、強引に押さえつける。
 シグルドはくぐもった声を上げ抵抗したが、やがて諦めたのか力を抜き、腕を枕にして机に伏した。
 ――気付くべきだったのだ。
 この異様な本の海を見た時点で、シグルドが何に苦しんでいるのか。
 ――いや、もっとだ。もっと前に。
 ハーヴェイが去った後も、活字に溺れて必死に自我を保っているシグルド。そうなる前に。
 頬杖をついて、シグルドの黒髪を撫でる。
 情けなさに焦燥が沸き起こったが、さらさらと指から零れる髪に随分と安らいだ。
「お前は、俺が知ったら上官に殴りかかることくらい簡単に予想してたのにな。剣まで取り上げてよ」
 長机に置かれた剣を取り、剣の鍔を確認した。会議室は一向に片付いた形跡がないのに、鍔にはしっかりと、ガントレットと同じデザインの装飾がはめ込まれている。
「なあ、ハーヴェイ。海賊に憧れる兵士は、問題だと言っていたよな」
 シグルドがハーヴェイの腕を掴む。溺れた海の中で、縋るように。
 捕まれた腕に爪が食い込んだ。
「いっそ、海賊にでもなってしまいたかったよ。偽善にもエゴにも、正義にすら縛られないなら」
「もういい。何も考えるな」
 ゆっくりと顔を上げたシグルドを抱きしめた。おずおずと縋り付く手を背中に感じる。
 罪に戦慄くシグルドの唇に口付けて、息継ぐ間もないキスをした。机上に押し倒した拍子に、積み重ねられた本の山が床の海へと沈んでいく。
「イイモノをやるよ、シグルド」
 ハーヴェイはシグルドの腕を取った。白皙の肌に欲情しながら、肘から手にかけて舌でなぞっていく。
 はだけた胸に添えた掌の下で、シグルドの身体がびくりと震えた。
 もどかしく揺れる黒曜の瞳と視線を合わせながら、そっと手の甲に口付ける。
「祖国と自由、どっちがいい?」

 従属するか。裏切るか。
 ――選んだものがどちらだろうと、俺はお前の傍で、溺れる身体を引き上げてやるよ。

 遙か昔、書物に刻まれた彼が そうしたように。
作品名:本の海 作家名:シノ@ようやく新入社員