スズメの足音(後)差分
「………………」
「大地」
「…………ちょっとな」
「別に怒らないって……」
やっと少し笑った。
「顔とかじゃなくて、雰囲気とか似てるんだ。生活はだらしないけど、バイト先ではバイトのリーダーみたいな人で頼られてて、俺も助けられてたし」
「……あんまりアイツを褒めるなよ」
つい口を挟んで、カッコ悪いな、と思ったけど、スガが嬉しそうに表情を緩めたので帳消しになった。
「でも一番似てるのは声かな」
「………………」
「自分じゃわかんないだろうけどさ、兄弟とか親子かってぐらい似てるんだよ」
少し話した時のことを必死に思い出すがさっぱり納得いかなかった。録音した自分の声が違って聞こえるみたいに、自分の思う自分の声と他人が聞く声は違うということか。
「バイト先の他の人とちょっとモメてた時に庇ってもらって、親しくなって、大地とおんなじ声で優しくされて、口説かれたらもう何だかわかんなるぐらいドキドキして、細山さんが好きなんだと勘違いして…………付き合ったけど、段々そうじゃないってわかって別れてもらった。最悪だよな。大地はあの人の方が悪いと思ってるかもしれないけどさ、俺が勝手に勘違いして振り回したんだ。しかも説明できなくて追い出すみたいにした直後に大地が来て、やめとけばいいのに引き留めて……あ、一応家に上げたときはそのまま帰したくないってだけだったんだけど」
「うん」
「近くにいるうちにチャンスじゃんって、もう今までみたいじゃいられなくなるかもしれないのに、一度でもヤれたら少しは報われるような気がして。寝て起きたら一人だったから夢かと思ったけど、体もその辺にあるゴミも全然夢じゃなくて、また最悪な判断したって後悔したのに、大地が途中で萎えたりしなかったのすげー嬉しかったから後悔しきれなくってさ」
徐々に俯きがちだった頭を胸に引き寄せて、これ以上無理というほど強く抱きしめた。体勢が悪くてそのまま二人で布団に転がって、苦しそうに顔を上げたスガの目元に口づけた。
恋人同士だと当たり前にキスをするものだって知識はあっても、映画で見るような「気持ちが昂ってしてしまう」というのがわからなくて、他人ごとのように思っていた。でも、どうしようもないぐらい可愛いと思ったら体が動いた。少しでも近づいて、触れ合って、一ミリでも多く自分のものにしたいけど、他人を取り込むなんてできないし体を繋ぐのは簡単じゃない。だから抱きしめたり、指を絡ませて、皮膚の薄い唇で触れ合う。
友達と思っていた時だって確かに好きで、大事だった。でも、理屈じゃなく触れたいと思ったら、それはもう。
卒業式の帰り道に前触れ無く手を掴まれて、卒業の感傷的な気分が吹き飛ぶほど心臓が大きく鳴ったのを覚えている。掴んできたスガ自身、どうしたいのかわからず戸惑っているようだった。そのまま間違いとして流したってよかった。でも、俺の方が離したくなくなって、正面から握り直した手をずっと離さなかった。スガの方から手を解かれたのが名残惜しくて、一晩中そのことを考えていた。
ひとしきりじゃれ合ってから乱れた呼吸の間でスガがいたずらっぽく言った。
「これってさ、両思いじゃん」
「うん」
「ホント俺バカだ」
「俺“ら”がな」
スガはまだあの男に悪いことをしたと悔やんでいるようだったけど、向こうだって一途じゃなかったのだから痛み分けだ。わざわざ告げ口する気はないが、スガが自分を責めるたびに「あっちも悪い」と言い張るのは憚らない。
話しながらお互いの体を確かめるみたいに触っていたけど、昨夜みたいな興奮よりも安心が勝って、疲れが残っているらしいスガのまぶたが静かに落ちる。
外は雨が降り続いていた。雨の音は落ち着くから好きだ。腕の中には暖かい体があって、頭を埋めた布団からはスガのにおいがする。
やっと昨夜から一睡もしていないのを思い出した。スガの髪を撫でている途中でゆっくりと記憶が途切れた。
――――ピンポーン。
「おーい、スガー!大地ー!…………あれ?……おい、開けるぞー?」
解錠音なしにドアノブを回す音がして雨の音が近くなる。
「鍵かかってなかったぞ、不用心――――」
買ったばかりのビニール傘を玄関の隅に立てかけた旭が部屋の奥を見渡して絶句した。跳ね起きたスガも絶句した。
「おい、返事する前に開ける奴があるか」
「……え?あ、わ、悪い………え?」
旭を上げるには散らかりすぎているので、寝起きに面倒だと思いながらもスガのものではないと思われる荷物を雑に拾い集めて一箇所に積み上げた。ものの種類ごとに山にするなんて丁寧なことはしない。自分のものは自分で片付けるべきだし、まして他人の部屋に無遠慮に置きっぱなしたものをどう扱われようが自業自得というものだ。俺は部屋の主じゃないが。
「頼んだもの、書かせてきたか?」
「あ、ああ……」
手を出して三枚ほどの着払い伝票を確認する。住所が実家なのか新しい寄生先なのかはわからないが、とにかく届け先の郵便番号から番地、部屋番号まで記入してあり、受取人に細山と書いてある。
「…………三枚じゃ足りなかったか」
部屋を振り返って呟いたところでようやく察したスガがそばに来て手元を覗きこんだ。
「荷物、送るの?」
「取りになんか来させるか。二度と会わせないし、大体こんなだらしない奴がすぐに取りに来るとは思えないからな」
「二度と会わせない、って言ってもバイト先一緒なんだけど……」
「ああ、それなら……」
旭がスガに向いて、この季節にしては非常に薄着で露出が高いことに動揺してサッと目を逸らした。
「えーっと、『来週からタカノさんの店に本移動だから安心しろって伝えて下さい』ってさ」
「敬語?」
「え?」
スガが俺を見る。
「なるべく眉間にしわ寄せてタメ口でいけ、とは言った」
「うわ、年下と思われてないな、それ」
「そういう風に俺を便利に使うのヤメロよ大地」
「それより腹減ったな」
「ええー?」
ファミレスは鬼門なので反対方向の店に行くことに決め、スガが大量の洗濯物を回しながら浴室に入っている間に掻い摘んで旭に事情を説明した。百面相していたが、案外驚いた素振りは見せなかった。
「それってさあ、これから俺が、二人のこと誘いづらくなるじゃん」
「そういうことになるな」
「否定しろよ!そこは、『気にすんな、親友だろ』とかさあ」
「旭は元々無駄に人を呼び出し過ぎなんだよ。ちょっと遠慮するぐらいでちょうどいいべ」
「ひどい!昨日大地に取り残された俺がどんだけ寂しかったと思ってんだ!」
俺には文句ばかりだった旭だけど、スガにはこっそり「よかったな」と耳打ちしていた。丸聞こえだったが。
玄関を出ると止みかけの小雨になっていた。音もなく注ぐ雨の向こう、雲に透けて太陽が輝く空をスズメが群れをなして渡っていく。
細道を縦に並んで順に水たまりを飛び越える。少し行くと坂道があって、ジャージ姿の男子高生が三人競いあうように駆け下りていった。
作品名:スズメの足音(後)差分 作家名:3丁目