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スズメの足音(後)差分

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 頷けなかった。恋人などではない。でも、今となっては友達かもわからなかった。
 答えないままいる俺を見上げていた男が首元を押さえて息を整えながら質問を重ねる。
「…………もしかしてお前、アサヒってヤツ?」
 スガはどう話していたのだろう。否定しようと口を開くより先に男は自ら首を振った。
「いや、違うな、……ダイチの方だろ」
 言い当てられて驚いた。表情で正解を悟った男は嬉しそうな顔ひとつせずに前髪を掻き上げて「当たりかよ」と吐き捨てる。
「おトモダチだからってこういう話にでしゃばって暴力?」
「何とでも言えよ」
「お前な……」
「ちょっと、ササヤマくん……」
 女が止めに入るのと、トラブルに気づいた店員が駆けつけてくるのが目に入って、男が舌打ち一つで荒くなる語気を抑えた。店員に片手を上げて二人の席を離れる俺に、少し落ち着いた調子で男が投げかける。
「孝支にチクるのか」
「スガが知らないことならわざわざ言わない。でも、俺はお前を許さない」
 背中で二度目の舌打ちを受けた。新しい客が入店した音が響く。それで完全に男は黙った。人目のあるところで騒ぎの的にはなりたくないらしい。
 仕切り壁の向こうの席に置きっぱなしだった荷物と伝票を掴んでレジに向かう。右往左往していた店員が俺の動きを見て会計に走る傍らで、女がポツリと言うのが聞こえた。
「あの人、ササヤマくんと声そっくり……」

 一秒でも早くスガに会わなければいけなかった。会って謝らなければ、あの男を蔑む資格もない。
 外はいつの間にか雨が降り出していた。傘はない。それでも気にせず急ぐ途中で駅に着いた旭から着信が入って、早足で歩きながら受けた。
『あれ?大地今走ってる?外?』
「走ってない、歩いてる」
『どのみち店にいないんじゃないか!』
「ああ、そうだな」
『俺、もう駅から向かっちゃってるのに』
「…………途中にコンビニあるか?」
『あー今傘を買って出たところ』
「じゃあ…………」
 一つ頼み事をしてすぐ通話を切った。もうスガの部屋が見えていた。

 階段が音を立てるのも気にせず駆け上って呼び鈴を押す。まだ眠っているかもしれないと思ったが、もう一度と呼び鈴のボタンに指をかけたところで扉が勢い良く開いた。
「…………大地!」
 シャツに下着だけの薄着のままチェーンもかけずに出てくることはまったく想定外で、扉を開けてもらうために部屋の前で土下座も辞さなかった覚悟は行き場を失った。それどころか、開口一番に謝る予定さえもスガに先制される。
「大地……、ゴメン!」
「何でスガが謝るんだ」
「だって、俺が……」
 途中で道を歩いていく学生のしゃべり声が聞こえ、顔を見合わせて、部屋に上がってから、ということになった。
「ほら、タオル」
「悪いな」
 この部屋の中で距離をとって話すというのは難しくて、スガはベッドの頭の方で正座をして、俺は足元の方に腰掛けた。頭に掛けたタオルからはちゃんとスガのにおいがする。
 起きたばかりなのか、スガはシャワーも浴びていないようだった。テーブルの上の空き缶や弁当のゴミをまとめて口を縛った袋も出た時のままだ。ただひとつ変わっていたのは、バレーボールがベッドの上に移動していたこと。
「あの、昨夜は俺……酔っ払ってさ」
「うん、だから俺が謝るつもりで来たんだ。ごめん」
 座ったままでできる限り深く頭を下げた。ベッドに正座したスガが慌てるのが揺れで伝わってくる。
「ちょ、ちょっと、大地が謝ることじゃないだろ!俺が……」
「最終的に手を出したのは俺だろ?」
「そんな、さ、誘ったのは俺だし……」
 尻すぼみに小さくなる声が涙で潰れる。潰れながら「ホントは……」と呟いたきり堪えきれなくなって乱暴に目元を腕で擦ったまま唇を噛んだ。
 俺は卑怯だな。スガが責任を感じないよう、もっと上手く立ち回れたら、喋れたらいいのに。
 静かに泣くスガに手を伸ばして触れる前に引き戻した。スガには見えない。躊躇った手も今の俺の表情も。
「スガ、すごく情けない話、聞いてくれるか」
 涙で濡れた腕が僅かにずれてぐしゃぐしゃの顔が見えた。こういうスガを久しぶりに見る。やや間があって、しっかり頷いた。
「あのな、スガは、昨日は気持ちが弱くなってて、酒も入って、寂しかったからああいうことになったんだと思う」
 じっと黙って聞いていた。縦にも横にも首を振らなかったけど、潤んだ目を逸らすことはなかった。
「でも俺は違う。ああいうタイミングになったのは酔ってたり、いきなり色んなことを知って混乱してたせいもあるけど、それだけじゃないんだ。スガのこと、好きで……誰かに、それも男と付き合ってたって思ったら、我慢できなくなった」
「待て大地」
「ごめん。本当に酷いことしたと思ってる。でも、自覚した気持ちをすぐに忘れて元通りにはなれない」
「待てって」
「悪い」
「だから待てって!」
 もう一度深く下げた頭を遠慮無く叩かれて顔を上げると、正座からそのまま両手を前について身を乗り出したスガが、驚きや悲しみや怒りや何だかわからない色んな感情を混ぜっぱなしで顔に乗せて唇を震わせていた。
「何で大地が俺を、す、好きなんだよ」
「理由、説明するか?」
「え、いや、え?……しなくていい」
 首から、耳の先から、鼻から順に赤みが差して真っ赤になった。さっきまでまっすぐ向けられていた目が泳ぎだす。
「…………それ、大地責任感強いし、ヤったから一時的に勘違いしてるとか、責任取ろうって思ってるんじゃないのか?」
「違うよ」
「大地が男を好きなんて聞いたことなかったし」
「俺だってスガがそうだとは知らなかったし、わかってたらもっと早く自覚したかもしれない」
「いや、基本的には女子の方が……あ、いや、そうじゃなくて、……あーもうわけわかんねー!」
 顔面を両手で覆って布団に転がってしまった。真剣に謝りにきておいて不謹慎ながら、丸くなって唸るのが可愛いだとか、下着しか穿いていないせいで隠されていない内腿を気にしてしまう。この期に及んでこの無防備さ。高校時代によく何事も無く過ごしていたものだ。
「…………スガが、下心を抱えたままの俺でも縁を切らないでいてくれるなら、それでいい。距離をおいた方がいいと思うなら――――」
「やだ」
 急にハッキリ聞こえて、煩悩から目を逸らすために背を向けていたスガに振り向いた。体を起こすとグッと近づいて、簡単に触れる距離になるのが悪い気がして仰け反ったのに、スガの方が手で一歩踏み出してシャツの裾を引く。
「スガ?」
「大地より俺の方がバカで情けないんだよ。しかもズルいから、嫌われたくない。ちゃんと、全部話すけど嫌わないでほしい」
 引いた上半身を戻すと、尚更シャツを強く引いて肩に額をぐりぐり押し付けられた。本当にズルい。嫌うなんて無理なことをわかっているくせに。
 待ち受けているかもしれない後悔を引き受ける覚悟をして肩を抱き寄せた。
「つまんない心配すんな」
 返事の代わりにそっと顔を上げた。間近で赤い目をして。
「俺も、ずっと大地が好きだよ」
「!」
「細山さんに会う前から。でも、俺もそれが自覚できなくて、あの人ちょっと大地に似てるから」
「似てない」
「え?会ったの?」
作品名:スズメの足音(後)差分 作家名:3丁目