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オリーブと酒

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■オリーブと酒


 イミテーションの軍勢と幾度かの戦いを終えた後、コスモス陣営は一晩野営することになった。
 別々の次元を複雑なパズルのように繋げて出来たこの世界だが、キャンプに適した場所を探すのは、実は比較的容易い。イミテーションの好まない空間がいくつか存在するからだ。
 今夜テントを張り終えた青葉の茂る野原も、前線の目と鼻の先ではあるがイミテーションが嫌う空間の一つだった。
 森を抜けた先にあるので、カオス陣営に見つかる可能性も低い。
 久しぶりに、安穏とした夜が過ごせそうな気配に、皆心が沸き立った。
「ったく、みんな気抜きすぎ」
 野原で焚き火をしながら馬鹿騒ぎをしている集団を遠巻きに眺める。
 早々に夕食を終えた後、オニオンは一人、野原の隅にある常緑樹の下にいた。
「オニオン、何一人でそんなとこに突っ立ってんだよ」
 こちらに気付いたジタンが、橙色の液体が入ったボトルを抱えて近付いてくる。
「……少し、一人になりたかっただけですよ。このオリーブの木、綺麗だし」
 些かぎこちない笑みを浮かべて、オニオンは樹木の根元に腰掛けた。
 一人になりたかったのは本音だが、オリーブに関しては咄嗟についた嘘だった。「思ってもいないことを言うな」と指摘されるかと思ったが、ジタンは「ふーん」と呟いただけで、腑に落ちない様子だったが深くは追求してこなかった。
「知ってます? とある国では、オリーブは力と勇気、知恵と平和の象徴なんです。この樹があるから、イミテーションは近付いてこないのかもしれませんね。実には油が含まれていて食用にもなるし、薬用にも使える万能植物なんですよ」
 嘘をもっともらしくできないかと、脳の隅からオリーブに関する知識を引っ張り出す。
 本から取り入れた知識なら、こうもすらすらと流れ出るのに。
 ジタンには悟られぬようにしながら、胸中で深く溜息を吐いた。
「万能ねえ……」
 樹木の根元に座っているオニオンの隣に腰掛けて、ジタンが何ともなしに空を見上げる。
 葡萄に似た紫の実を、たわわにつけたオリーブの木。
 足下にも、いくつか紫の実が転がっていた。
 オニオンが手持ち無沙汰に、オリーブの実を手のひらで転がして遊んでいると、「ホラ」と。目の前にグラスが差し出された。橙色の液体が並々と注がれている。
「飲めよ」
「? なんですか、それ。さっきから少しずつ飲んでたみたいですけど」
 オニオンが話している最中も、沈黙しているときも、ジタンは休むことなくちびちびと飲み進めていた。
 愛嬌のある可愛い顔が迫ったと思ったら、ニヤリ、と。
 ジタンが悪巧みをした悪代官みたいに笑う。
「酒」
「……イリマセン」
「いいからいいから」
「見て分かるでしょ!? ボク未成年ですよ。いりませんってば! ていうかアナタも未成年だし。お酒は二十歳からです」
「いいんだよおれは。結構強いし。じゃあコッチ飲めよ、オレンジジュース」
「……ありがとうございます」
 不満げに差し出されたそれに、なんとなく理不尽に思う。
 こっちは正論を言っただけなのに。
「ところで。博識のオニオンくん」
 ジタンが不意に口調を変えて、芝居がかった動作でオリーブの実を拾った。
「こんな話は知ってるかい? オリーブの実が苦い理由」
「そんなの、植物図鑑にも薬学の本にも載ってませんけど」
「載ってないだろうなあ、そういう本には。博識なのは良いことだが、知識を詰め込むだけが男の嗜みじゃあないぜ? たまにはお伽噺や寓話も読みな」
 そう言ってジタンは朗朗と語り始める。
 観客はたった一人。
 いつのまにか始まったジタンの一人芝居に、オニオンは知らず引き込まれていった。
「とある国のとある地に、野の茂った森があった。今いるこの場所みたいなところさ」
 森の陰に、ひっそりと洞窟があった。
 ここにはニンフが住んでいたんだが、あるとき別の地から羊飼いがやってきて、ニンフを脅かしてそこから追い出してしまった。
 突然のことにニンフは驚いたが、相手がただの羊飼いと分かると洞窟に近付き、踊りを踊り始めた。
 これを見た羊飼いは、自分が軽く見られたことに腹を立て、ニンフの踊りを真似しながら卑猥な言葉を吐き、下品な言葉で罵った。
 しばらくそうした言葉が続いた後だ。
 洞窟の中が突然静かになった。おかしいと思ったニンフが見に行くと、羊飼いがオリーブの木に変わっていた。
「オリーブの実が苦いのは、羊飼いの性格や辛辣な言葉が実に移ったと言われてるんだ」
「……それで終わり?」
 ジタンの一人芝居は、今日みたいな賑やかな晩餐の最中、何度かみんなで観覧したことがある。
 普段なら、最高に幸せなハッピーエンドか、最高に切ないバッドエンドで終わるそれが、珍しくハッキリしない。
「おれが言いたいのは、『おまえは偉いよ』ってこと」
 目を瞬かせるオニオンの隣に、芝居を終えたジタンは座り直した。
「コスモスに選ばれた戦士の一人だってのに、子ども扱いするやつらに対して何も言わない。誇りを傷つけられても、相手を罵ったりしねえだろ」
「ボクを思い遣って心配してくれてるのは分かるから。誇りを傷つけられたとは、思ってません」
「でも、困ってるのは確かだ。変に子ども扱いしたり、かと思えば一人前の戦士として扱ったり。子どもの扱いに慣れてないヤツらが手探り状態で接してくるから、おまえも未だに、どう接していいか分からないでいる」
「…………」
 図星を突かれて、オニオンは口を噤んだ。
 戦士として初めて召喚されたとき、自分を見た者たちの驚愕した表情を、未だに忘れられないでいる。
 剣も魔法も、なんだって使いこなせる。なにより知恵がある。戦力になってみせる自信は十分にあった。それは今でも変わらないし、皆も認めてくれている。
 けれど、年の離れた自分に対する接し方だけは、いつまでも変わらなかった。
 戦いの度に「大丈夫か」とオーバーなくらい心配されるときもあれば、「彼にもプライドがあるのだから、あんまり心配するのもどうだろうか」と話しているのを聞いたこともあった。
 年齢差が見えない壁となって。
 いつしか、オニオンは皆と離れて一人でいることが多くなっていった。
 ――今日の晩みたいに。
「つらいだろ?」
 ジタンがグラスを傾けながら、そう尋ねた。
「……うん。ちょっと」
 つられるようにして、オニオンもオレンジジュースの入ったグラスを傾ける。
 ごくり。
「――!! 熱っ、あっつ〜〜〜ッ」
「ぎゃはははははは」
 オレンジジュースじゃ、ない!?
 胃の中が、炎を投げ込まれたように熱い。喉が灼けそうだ。頭もガンガンと痛い。
「なんだよこれ! オレンジの味するけど、お酒も入ってるじゃないか!」
 胃を押さえてジタバタもがきながら怒鳴っても、ジタンの爆笑を止めるのは不可能だった。
 それどころか逆効果で、更に苦しげにヒィヒィと笑い始める。
「杏子リキュールのオレンジジュース割り。美味いだろ? アルコール度数高くて初心者向きじゃねえけど、子どもの舌にはぴったり」
「……甘くて美味しいけど、身体ん中から灼け死ぬ……」
「ああーおまえ最高! なかなか飲まねえから笑い堪えんの大変だったんだぜ」