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シノ@ようやく新入社員
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断崖の幸福

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■第一話■



 四月。
 晴れて進級を果たした二年生は、始業式が終わってからも割り振られた席には着かないのが慣例だ。
 新しいクラスメートたちと自己紹介をしたり、去年から続く級友と春休みの思い出について語ったりと、一向に喧騒が止む気配はない。
 そんな中スコールは、周囲の知人に目もくれなかった。
 静かに着席して、頬杖をついたまま、担任が入ってくるはずの扉を機嫌悪く眺める。教室の騒々しさにうんざりしていた。
 既にホームルームの始業を告げる鐘は鳴っている。
 遅い担任の登場に、まさかな、と。嫌な予感が頭を過ぎった。
 教室の扉が開かれた瞬間、スコールの予感は的中する。
「ちゃーっす! おお、久々の学校! 久々の教室! そしてみんな若っ」
「勝手に歩き回るな、クラウザー。紹介するまでは大人しく教壇の横に立っているんだ」
「へいへーい」
 担任より先に教室に入ってきた生徒は、教室中を見渡して驚きの声を上げる。それを、担任のエクスデスが冷ややかに窘めた。
 あれだけ騒々しかったクラスメートたちの声が、徐々に囁き声に変わる。一年間この高校に通っているが、見知らぬ顔だったからだ。
 鮮やかな茶髪、両耳にはブルーのピアスを付けて、真新しいブレザーを着ている。
 目立つ外見にも関わらず、一度も見たことのない男を、クラスメートが興味深げに見つめる。そんな中でまた、スコールただ一人が片手で両目を覆うようにして、うんざりと嘆息する。
「今日からおまえたちのクラスに加わる、クラウザーだ」
「編入試験を見事ギリギリ合格した、バッツ・クラウザーでっす。歳はめでたく今年で、ピチピチの20歳! よろしくな、若人たちよ!」
「――20歳ッ!?」
 教室の誰かが叫ぶように言った。声がした方に視線を合わせて、バッツが楽しそうに笑う。
「そ、今年の12月で。だからまだ、19歳なんだけどさ〜……あッ!!」
 バッツがずびしっ、と指差した方角につられて、クラスの視線が注目する。
 指を差されたスコールは、途端に眉を険しくした。
「スコール! スコールじゃんか! おまえもこのクラスだったんだなっ」
「……でかい声を出して、指を差すな……」
 絞り出すように言った不平は、騒がしくなっていく周囲の声にかき消される。
 スコール、高校二年の春。
 嵐のような日々が、始まろうとしていた。


「んー、どうすっかな〜」
 机に並べた部活勧誘のビラを前にして、バッツは腕を組んで考え込む。
 この時期はどの部活動も、新入生を獲得しようと躍起になる。バッツの気さくな性格がそうさせるのか、クラスメートの順応が早いのか。バッツは当日のうちに、早くもクラスにとけこんだ。
 年上のバッツが物珍しいのか、クラスメートは休憩時間のたび、次々に勧誘を始める。
 放課後になってもそれが止むことはなく。
 今もバッツの周りを取り囲んだクラスメートが、口々に誘い文句を口にして壮絶な奪い合いが繰り広げられていた。
「水泳部に、バスケットボール部に、サッカー部、野球部、卓球部……スカイダイビング部!?」
「お、食いついた。それ俺の俺の。うち金持ちのスポンサーついてるから、本格的なやつ楽しめるぜ」
「ムリムリムリ、ぜってぇ無理ッ! オレ高所恐怖症なんだって! 昔、ツキノワグマの子どもと裸でバンジーして死にそうになったことあんだって!! ったく、好きであんなのぶっ飛ぶヤツの気がしれねぇぜ……」
「いやいやいや、おまえの人生の方がぶっ飛んでるから! 何ツキノワグマって。裸でバンジーって。どんな経緯踏んだらそんなシチュエーションになんの!?」
「そのあと村長がクマ公捌こうとしたときはビビったな〜」
「喰ったの!?」
 おっかなびっくりの経験談に、周りを囲んでいる者たちが目を丸くする。閉鎖的な村には変な慣習が残ってるんだ、とバッツは遠い目をして説明した。
「村ではそれが、動物喰う前の儀式だったんだけど。一緒にバンジージャンプしてから、仲間意識芽生えちゃったんだよな。喰うのが嫌で、仕方なくクマ公担いで逃走したんだけど。逃げ延びた山の中で、担いでたクマ公の親が、オレのこと村の人間と勘違いして襲ってきてさ。あんときゃ散々だったぜ……」
「俺、バッツを勧誘するの諦めるわ。おまえの人生以上に、スリル満点の部活なんてないし」
「同感」
 さっきまで奪い合っていた者同士が、頻りに頷きあって互いに同意しては、順繰りに帰宅していく。
 なんだそりゃ、と唖然と呟くバッツに、最後まで残ったのは剣道部のクラスメートだった。
「頼むよ、バッツ! うち本気でメンバー不足してんだ。主力の三年が去年、全員卒業して。クマと死闘するくらいだから強いんだろ? 運動神経良いんだろ?」
「いや、死闘してねぇし。運動神経は良い方だけど……。あ、剣道ならスコール誘えよ。アイツ、子どもの頃から英才教育受けてっから、剣と銃持たせたら達人級よ? もののふよ? スコールっ」
「おいバッツ、スコールは……」
 帰り支度をし終えたスコールは、呼びかけるバッツと困惑顔の剣道部員を一瞥したが、素知らぬふりで教室を去っていった。
 ほらな、と。剣道部員が気分を害したように呟く。
「ああいうヤツなんだよ。いつもお澄まし面して、年がら年中笑いも泣きもしないで、格好付けてさ。去年だって、クラスの行事に何一つ参加しなかったし。朝から晩まで練習したり、テスト一枚で一喜一憂する俺らを馬鹿みたいに思ってんだろ。文武両道、眉目秀麗で有名な校内きってのクールガイさんは、みんなで必死に優勝目指すのなんて似合わねぇよ」
「お澄まし面? クールガイ? アイツが?」
 目を瞬かせて首を傾げるバッツに、剣道部員は心底呆れたように続けた。
「知り合いなら分かるだろ。さっきだって顔色一つ変えないでシカトだぜ? どこで知り合ったのかは知らないけど、よくあんな面白味のないヤツと付き合ってられるよ。バッツって付き合い良いんだな」
 それが、去年からクラスメートを続ける彼が評する、スコールの人となりだ。
 知り合って半年にも満たないバッツだったが、にわかには信じられなかった。


 窓から差し込む光が西日に変わる頃、静寂に包まれたリビングに玄関の開く音が響き渡る。
 リビングのソファに寝そべった体制で本を読んでいたスコールは、騒がしく廊下を駆ける音に眉を顰めた。
「バッツ、廊下は走るなと何度も言ってるだろ。子どもみたいな真似はするな」
「オレ子どもだもーん。老け顔のスコールより高校生似合ってるしな」
「言ってろ」
 スコールはソファの肘掛けに頭を乗せたまま、本から顔を上げずに言った。
 バッツがスコールの家に居候を始めてから数ヶ月。何度となく繰り返してきたやり取りだ。すっかり定番化していて、蒸し返す気も起きない。
 それが不服だったのか、スコールの本がバッツの手に奪われる。
 予想通り、バッツは不満そうな顔をしていた。
「なあスコール。おまえ部活に入ってないって言ってたよな。驚異的に人手不足な剣道部が、戦力になりそうなヤツを絶賛募集中らしいぜ。今なら速攻スタメンメンバーで超お得」
「阿呆か」
 スーパーの激安タイムセールばりの宣伝文句だが、スコールの心の琴線には一切触れなかった。