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断崖の幸福

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 バッツはまた不服そうな顔をする。
 ソファに背を向けてうずくまったかと思うと、絨毯の上にあぐらを掻いて座って、寝そべるスコールの腹に後頭部を乗せた。天を仰ぎながら、その頭でスコールの腹を何度も打ち付けてくる。
 痛くはないが、鬱陶しい。
「なあスコー。部活しようぜ部活。いいじゃん剣道部。おまえにピッタリで」   
「主力は毎年育てるもんだろ。戦力が欲しければ自分がなれと、今日おまえを勧誘していたヤツに言っとけ。それが嫌なら、おまえが入部でも助っ人でもしてやればいい」
「そういうつもりで言ってんじゃねぇってば」
 じゃあどういうつもりだと言い返そうとする自分に気付いて、スコールは心の内で嘆息する。
 ……いつもこうだ。
 スコールはソファに深く体重を預けて、天を仰いだ。
 どんなに距離を置こうとしても、いつだってバッツには無意味だった。
 一切の躊躇いもなく近寄って、遠慮のないスキンシップをしてくる。人懐っこい仕草や豊かな表情の変化を、誰にでも分け隔てなく見せる。頭がいいとは言い難いが、世知に疎いわけでも、相手の感情の機微に疎いわけでもない。大胆に近付いたかと思えば、相手が僅かでも嫌がる素振りをする前に、さり気なくするりと離れていく。
 出逢って数ヶ月。
 スコールは心の内に溜めていた声を、少しずつ吐き出せるようになった。
 それがバッツの前でだけだと自覚するのは、不本意極まりなかったが。
「スコちゃんさあ、朴念仁って言われてんだって? 無口で愛想のない、スカしたクールガイ」
「だから何だ」
 スコールの腹に乗っていた重みが、不意に遠ざかる。
 ……ようやく離れたか。
 ぐっと腹に力を入れて、寝そべった状態から僅かに頭を上げる。起き上がろうと顔を上げたスコールは、至近距離に迫っていたバッツの顔に驚いて硬直した。
 鼻頭がくっつきそうな程の予想外の距離に、思わず身を引いてソファに沈む。
 スコールの顔を覗き込むバッツが、悪戯を思いついたような笑みを浮かべた。
 腕をスコールの首に回して、がっちりホールド。割と本気のヘッドロック。
「ぐむっ……。はなせっ」
「オレの前ではこーんな、わっかりやすい面してるくせにっ」
「――!? おま、やめ、ろっ……ッ」
 こちょこちょと脇腹をくすぐられ、スコールはソファの上で暴れ回る。
 笑い声なんぞ上げてたまるかと、必死に唇を噛みしめながらバッツの手を避けようとする様を見たら、クラスメートたちはどう思うだろうか。
「いい加減、にっ……しろッ!!」
「うおっ!? とぉ」
 渾身の拳が顔面に直撃する寸前、バッツは慌ててスコールから離れた。
「あっぶねぇー。グーはねぇよグーは」
「正当防衛だ」
 果敢に抗議する間も、ソファの背を掴んで、ぜいぜいと息を吐きながら項垂れる。もっと抗議するべく睨みつける前に、バッツが激しく上下するスコールの肩に腕を回した。
「よし、決めた決めた。決めちゃったー」
「……何を」
「オレのテクで、スコールを人慣れさせちゃおう大作戦!」
 高々と言い放った科白に、スコールは自分の顔が険悪な表情に変わっていくのを自覚した。
 肩に回した方の手でスコールの頬っぺたをクィクィと抓って遊ぶバッツは、本気で楽しんでいるとしか思えない。
「は。……人慣れ」
 随分と縁遠いことのように思えた。実際に声に出してみてもそれは変わらず、知らず自嘲の笑みを唇が形作っていく。
 他人と関わる気があるなら、疾うにしている。
 ――冗談じゃない。