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断崖の幸福

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■第四話■



「遅いなあ、二人とも」
 地面に沈んでいた男子部員がちらほらと復活し始めた頃、女子部員の一人がグラウンドの外を見て呟いた。
「もうそろそろ解散の号令したいんだけどなあ」
「二人ともどこまで片付けに行ったんだ?」
「ハードルとトンボはすぐそこの、グラウンド用の倉庫だけど。高跳び用のポールは体育館用の倉庫だよ。体育館の裏に建ってるから、グラウンドから結構遠くて。ここまで持ってくるの大変なんだよね。んー……でも、それにしたって遅すぎ」
「……体育館用の倉庫?」
 聞き覚えのある単語に、バッツはきょと、と目を瞬かせ、ぽりぽりと人差し指で頬を掻いた。
「それって、体育倉庫?」
「うん、だから言ってるじゃない。体育倉庫」
「あー。ワリ、オレちょっと行ってくるわ。面白――じゃなかった、面倒なことになってるかもしんねーし。スコールと一緒に行った子には伝えとくから、先に解散しといてくれよ」
「面倒?」
 今朝スコールの下駄箱に入っていた、『果し状』を思い出して、バッツは呟いた。
「ハシジョウがなー。まだ居たのかもなー」
「はしじょう?」
 頻りに首を傾げる女子部員を残して、バッツは小走りで校舎に戻り、運動靴から上靴に履き替える。 
 校内の敷地の一番奥に構えている体育館は、校舎の一階と渡り廊下で繋がっていて、グラウンドから行くよりも校舎内から行った方が早かったはずだ。
 スコールに限って騒動になるような事件に発展するとは思えなかったが、気付くとやはり気になるもので、自然と余力を持って走っていた足も速度を増していく。
 しまいには全速力で廊下を駆け抜けるバッツを止めたのは、教室前の廊下で談笑していた、クラスメイトのジタンだった。
「バッツ、何やってんだよ。足速いんだから廊下で走るの止めろって。あぶねーだろ!」
「お、ジタン。ナイスタイミングだ! 急いで体育倉庫に行きたいんだけどさ。体育倉庫って、ドコ?」
「……って、知らないのに全力疾走してたのかよ……」
「なんとなくそれっぽいとこ走ってれば着くだろ、普通」
「なんちゅー行き当たりばったりな……」
 体育館の場所は未だ分からないくせに、バッツは今にも駆け出しそうに、その場で足踏みを繰り返す。ジタンは仕方ないな、と肩を竦めてバッツの背を叩いた。
「ちょうど体育館に行くところだったから、おれが案内してやるよ」


 ――面倒な。
 スコールは体育倉庫前に佇む男たちを前にして、長い溜息を吐いた。
「随分遅かったじゃねえか。校内一の色男くんよお。女の子とジャージデートの帰りかよ?」
 拳をポキリポキリと鳴らしながらいきり立つ四人衆は、髪を刈り上げ、脱色し、制服は着崩し、いかにも不良です、といった風体だ。三流の匂いがそこらじゅうに漂っている。
 スコールは一寸足りとも表情を変えず、スタスタと四人衆に近付いた。
「……あの、スコールくん?」
「………………」
「あ? 何……」
 唖然とする男たちを通り過ぎ、スコールは倉庫を開けて、高跳び用のポールをしまった。平然と倉庫の扉を閉め踵を返すと、女子部員の背を促しながら、無言でその場を去る。
「て、めぇ、シカトすんなゴルァ!!」
「きゃっ」
 背後から首根っこを掴まれた女子部員が、男の一人に羽交い締めにされる。
 まさか初っ端から人質を利用して脅されるとは思ってもみなかったスコールは、いつになく険しい表情で男たちに向き直った。関係のない人間を傷つけられでもしたら溜まらない。
「何の言いがかりかは知らないが、彼女は関係ないだろう」
「残念、おまえの女なら関係アリだ。なんせ、俺の女がおまえに泣かされてるんでね。この女にも泣いてもらう」
「……おまえの女なんか知らん……」
 いい加減、女が泣いてれば全部俺のせいだと思うのは止めてくれ。
「そのスカした面がむかつくんだよ。何でもかんでも平然とこなしやがって。スーパーマン気取りか、てめぇは」
「……褒めても何も出ないが」
「誰が褒めるか!!」
 男の一人が、倉庫の壁に立てかけていたバットを手にとって、スコールの鼻っ面に突きつけた。
 それでも平生と何ら表情を変えないスコールに、男が憎憎しげに唾を吐き捨てる。
「怖いものなんて何にもアリマセン、って顔してよお。その顔を、恐怖と屈辱に歪ませてやりてぇのよ、俺は」
「………………」
 怖いもの、か。
 下手な言いがかりばかり並べ立てる輩と対峙するたび、スコールの胸中には零下の風が吹き抜け、心が冷え冷えと凍っていく。
 他人が、自分の何を知っていると言うのだろう。
 肉体的にも精神的にも強くありたいと願いながら、人と関わることにすら恐れを抱く矛盾した自分。そんな自分を曝け出すことすら恐れて、誰にも本音を言わない自分。
 格好良いものか。粋がって、強がって。そして、これからも――。
「俺は、こんな風に生きていくんだろう」
 なんて情けない。
 倉庫の壁にかかっているバットを握り締め、スコールは相手の鼻っ面にそれを突きつけた。お互いにバットの先を突きつけ合って、挑戦的な目で睨み合う。
「格好良いねえ。俺もそこまで自分を好きになりたい、ぜッ」
 スコールのバットが弾かれる。振り回しやすさを考慮したのか、バットは木製の比較的軽いタイプを選んだようで、金属製のカン、という音ではななく、コン、という木と木がぶつかる音がした。
 他の男たちは、一人は女を人質に取り、残り二人はバットを手にしてはいるものの、戦闘の間に入るのが怖いようだった。
 どうやら、スコールがバットを取ったのは想定外だったらしい。女を人質に取ったのが仇となり、しっかり四人分用意していたバットの一つが余り、スコールに行き渡ることになってしまったようだった。
 木製といえど、竹刀に比べて重量感のあるそれは、手に馴染むまで僅かな時間を要した。
 スコールはいったん後退して、相手を見据えながら静かにバットを降ろす。それを好機と捉えたのか、男が大きくバットを振り上げて、突進してきた。
「じゃあなッ!!」
 スコールは即座に両手でグリップを持ち、身を屈めた。足を踏み込むのと同時に、下から上へと掬い上げるようにして、頭上から振り下ろされる相手のバットを打ち返す。
 男の手からバットが弾き跳んだ。それはくるくると回転しながら、呆気なく空に消えていく。
「アンタの負けだ。彼女を離せ」
「ッ……」
 男が呻いた。屈んだ姿勢から、スコールは男の顎をバットの先で押し上げる。それに気色ばんだのは、今まで周りでたじろいでいた男たちだ。
「てめえ、舐めた真似してんじゃね……ウゴッ」
「――ジャースティィィス!!」
「――とぅ!」
 バットを持った男二人が、揃って地面にダイブした。背後から盛大にドロップキックをかましたジタンとバッツが、男二人の背中を踏みつけ、特撮の登場シーンのように決めポーズ。
「天が呼ぶ! 地が呼ぶ! 人が呼ぶ! 悪を倒せと俺を呼ぶ! 聞け、悪人ども! 俺は正義の戦士、仮面ラ……」
「じゃねーだろっ」
 ジタンの裏手ツッコミに、バッツがこほん、と咳払いした。
「悪あるところに正義ありだ! オレは容赦しねぇぜ! くらえ必殺、ストロンガーキィィィック!!」
「なっ!?」