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シノ@ようやく新入社員
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断崖の幸福

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 バッツが飛び上がり、スコールにバットを突きつけられている男に向かって、回転飛び膝蹴りを繰り出した。男は間一髪で屈んで避けるも、もたついた足で引き攣った悲鳴を叫びながら退散していく。
 女子部員を人質に取っていた男は、派手に蹴りを繰り出したバッツに気を取られた一瞬の隙をつかれ、ジタンに一撃を喰らっていた。
「レディは返してもらうぜ」
「くそっ!」
 逃げていく最後の一人が校舎の裏手に消える。スコールは制服についた土埃を払いながら立ち上がった。バッツが消化不良気味に、くるくると腕を回す。
「呆気ないなー。久々の戦闘態勢だったってのに」
「容赦しないと言いつつ、本気で当てる気はなかったんだな」
 バッツが男に繰り出した跳び蹴りは、速度を落とした上にワンテンポ遅れていて、明らかに避けられる隙を作っていた。跳躍に回転を加えているにも関わらず、実に器用だ。並の実力では、到底出来るものではない。
「オレが本気でやったら、アイツ死んじゃうっしょ。……でも」
 スコールは首の後ろから肩にかけて腕を回され、バッツに強引に引き寄せられた。顎を掴まれ、耳元で囁かれる。
「スコが怪我してたら、本気出してたかも」
「ッ……!!」
 囁くバッツの双眸には、僅かに獰猛な色が宿っていて、スコールの背がぞくりと震える。
 だが、驚いて見開いた目を向けた次の瞬間には、バッツの表情は悪戯っ子のそれに戻っていた。
「なんちて〜」
「……おまえ、今俺をおちょくっただろう……」
「え、いやちょっと、スコールさん? 冗談だって、冗談!」
 バットの先でぐりぐりと頬をつつかれ、バッツの額から冷や汗が流れる。
 どうしてくれようかとバットを構えるスコールは、服を引っ張られてそちらを振り向いた。人質になっていた女子部員が、頬を赤らめて頭を下げる。
「あのっ、迷惑かけてごめん。スコールくん、あの人たちと関わりたくなかったのに。私のせいで」
「……いや。こちらこそ、面倒なことに巻き込んだ。……すまん」
 視線を逸らして謝ったにも関わらず、女子部員はパァ、と顔を明るくした。
「ねえ、陸上部にまた来てね。スコールくんが来てくれたら、嬉し」
「悪いが」
 スコールは踵を返した。女子部員の言葉を遮るように、背を向けて歩き出す。
「関わる気はないんだ、どこにも」
 遠ざかるスコールの背中と、悲しそうな女子部員を見て、バッツはしばし目を細めた。


 帰宅したスコールは、汗でべたつく身体をどうにかしたくて、真っ先に風呂に入った。
 スウェットパンツとTシャツ姿でリビングに入ったスコールは、予想外の光景に思考が停止する。髪を拭いていたタオルが両手から滑り落ち、ぱさりと床に落ちた。
「お帰りア・ナ・タ。お風呂は……もう入ったか。ご飯にする? テレビにする? それともワ・タ……ぶほぁ!!」
 スコールは無言で、バッツの頬に拳をめり込ませた。
「ヒドイわ! トドメスティックバイオレンス!」
 それを言うなら、ドメスティックバイオレンスだ。
 およよ、およよと床に崩れ落ちて、泣き真似までしてみせるバッツに、スコールはいい加減にしてくれと投げやりな気分になる。
 タンクトップと短パンの上に、フリル満載の白いひらひらエプロン。胸には真っ赤なハートマークが踊り、黄色い字で『LOVE』とロゴが入っている。
 ひらひらエプロンだけなら、まだいい。百歩譲ってもいい。だが、バッツの着ている服がタンクトップと短パンなので、完全にエプロンの下に隠れており、正面から見ると裸エプロンに見えなくもないのだ。
「……俺は疲れているんだ。これ以上疲れさせるな……」
 ソファの上に仰向けに寝転ぶと、ひらひらエプロン姿のバッツが上に伸し掛かってきた。
「……オイ」
「つれないなー、スコちゃん。折角オレさまが枯れた17歳に、青春を思い出させてやろうとしてるってのに」
「そのふざけた格好でか」
 バッツがちぇ、と拗ねながらエプロンを脱ぎ捨てた。
 一体どこから持ってきたんだ、こんなもの。
「ジタンに借りたんだ。アイツ演劇部でさ。部室にコスプレグッズ一杯あって、結構面白かったんだぜ。今度一緒に行こうな」
「行くなら、おまえ一人で行け」
 俺は行かない。
 そう続ける前に、スコールの耳元でバンッ、と音がして、反射的に瞼が閉じる。バッツがスコールの顔を挟むようにして、ソファに手を突いたのだ。
 身を竦ませたままゆっくり瞼を開けると、珍しく顔を顰めたバッツと目が合った。複雑な表情をしている。怒っているようにも、悲しんでいるようにも見えた。
「バッツ……?」
 驚くスコールが名を呼ぶと、バッツは静かに息を吐きながら瞼を閉じた。目を開けた次の瞬間には、大声で喚きながらスコールの両脇へと攻撃開始する。
「だぁぁぁあああもう! なんでスコはそうなんだよっ!!」
「おま、止めっ。くすぐる、のは、止めろっ」
「一人でいいって、いつだって平然としてっけどな。心んなかじゃ自分で作った壁に歯痒い思いして、苦しんでるの知ってんだぞオレはっ」
「なっ……」
 スコールは反論しようとして、閉口した。バッツのくすぐり攻撃に、思うように思考が働かない。
「――俺はッ、おまえが……!!」
 口を突いて出た言葉に、スコールは後悔の念が押し寄せてくる。咄嗟に口元を覆うと、バッツがくすぐるのを止めて、不穏な気配をさせながら顔を近づけてきた。
「なんだよ。おまえが?」
「………………」
「スコちゃーん」
 両手をグーパーさせてニヤニヤ笑うバッツに、スコールは思わず視線を逸らした。暴れ回ったお陰でハァハァと息を切らせながら、仕方なく口を開く。頬が熱くなっていくのが、自分でも分かった。
「おまえが、いるから、別に」
 辛くは、ない。
 最後まで声に出すことはできなかったが、声に出してみると殊更恥ずかしく、頬が熱くなっていく。
 本人を目の前にすると照れくさく、スコールが恐る恐る逸らしていた視線を戻すと、バッツが見たこともないような顔をしていた。照れくささよりも、驚きが勝ってしまうような表情だ。
 険しく眉を寄せて。苦虫を噛み潰したような、酷く不愉快な表情をしながらも、熱情を孕んだ目をしている。
「バッツ……? ――ッ!?」
 髪を鷲づかみにされ、スコールは呻いた。だが息つく間もなく、噛みつくようなキスをされる。
「…………」
「っ……ふっ……。ふぁ……っ……」
 何が、起きてるんだ。
 バッツの手がTシャツの裾をまさぐり、スコールの素肌に触れる。その手の冷たさに、驚いて停止していたスコールの脳は途端に覚醒した。
 全力で、バッツの胸を突き飛ばす。
「ッたぁ〜〜……マジ痛ってぇって!」
 ソファの上から転げ落ちて尻餅をついたバッツは、打ち所が悪かったのか腰に手を当てて、涙声で叫ぶ。
 スコールは無言で立ち上がり、リビングを出て、盛大に扉を閉めた。
 落ち着かない胸中に促されるようにして、早足で自分の部屋へと辿り着き、また扉を閉める。そこでようやく立ち止まると、自室の扉に背を預けるようにして、ずるずるとへたり込んだ。
「なんなんだ、一体……」
 らしくない、と思った。
 バッツの行動もだが、自分の言動も。普段なら絶対に言うはずもない。