断崖の幸福
だが、絶対に気付いていない、分かるはずもない――と思っていたバッツに、人に対する恐怖と葛藤を言い当てられて、動揺すると同時に、自分の変化に気付いてしまったのだ。
バッツは、スコールが作った壁をものともせずに飛び越える。まるで、人見知りをしない子どもが無邪気に近付いてくるように。
バッツが構ってくることで、スコールのなかに何らかの変化が訪れたわけではなかった。
スコールが心地良いと感じているのは、バッツが驚くほど簡単に、するりと離れていくからだ。風を捕らえることができないのと同じ。容易に壁を越えるくせ、相手に一切の執着を見せない。
それが、スコールには心地良かった。バッツといるときは、心安らぐことの方が多かった。
バランスの取れた関係だと思っていたのに。
「……なんなんだよ……」
そう呟いたのは、スコールだけではなかった。
リビングのソファに腰掛けて、バッツは天を仰ぐ。染み一つない天井を見上げながら、落ち着かない様子で嘆息する。腕で両目を覆い視界が暗転すると、少しずつ平静を取り戻していったようで、自然と空笑いが洩れる。
「ハハ……オレが本気になっちまったら、ダメだろ……」
自嘲交じりに呟かれた言葉は、誰に届くでもなく。暗鬱とした部屋の空気に溶けていった。
作品名:断崖の幸福 作家名:シノ@ようやく新入社員