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断崖の幸福

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 誰にでも分け隔てなく親愛の情を向ける、こんなにも人懐っこい性格をしたヤツが、親しかった人間を失って何も感じないなんて。それこそ、有り得ないことのように思える。
「頼むからっ、オレがまだ平気なうちに……離れてくれよ……」
「……頼まれてやるか、馬鹿」
 胸の奥から熱いものがせり上がってくる。掻き抱くように柔らかな髪へと指を差し込んで、慟哭するバッツを胸へと押しつけた。
「怖いのは俺も同じなんだよ。俺が逃げないうちは、おまえも逃げるな。バッツ」
 抱える想いが深くなるたび、恐怖に心が震える。
 目尻の辺りが焼けそうなくらい熱を持ち始めて、視界の端から歪んでいった。嗚咽が漏れそうになったのを、息をとめてこらえる。
「それなら……オレが戦ってるうちは、おまえだって戦ってもらうからな」
 唇が重なった。胸中を暴き立てるような深いキスをしながら、互いの髪を挑むように掴む。
 強烈な充足感と、焦燥感が支配していた。欠けた空洞を埋めるように何処までも互いを求めて、愛すれば愛するほど失ったときの恐怖に怯える。
 まるで断崖の上を歩くような、不安定で危うい幸福が始まろうとしていた。
「逃がさねーよ、スコール」
「望むところだ」
 たとえ断崖の幸福だろうと、キス一つでこんなにも幸せになれる相手を知らないまま一生を終えるほうが、とてつもなく虚しいことのように思えた。