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シノ@ようやく新入社員
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断崖の幸福

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■第九話■



 5月。
 日が沈みはじめた頃、通学路を並んで下校するスコールとジタンの傍を、真新しい制服を着た賑やかな集団が駆けていった。
 学校の先生や昨日観たテレビドラマ、好きなミュージシャンの話題を大声で話しながら並木通りを抜け、駅前のファーストフード店に入っていく。
「もうすぐだな、新歓祭。なんとか間に合って良かったよ。当日も裏方でフォローしてくれるんだろ?」
「……成り行き上な」
「よく言うぜ。断る気なかったの知ってんだぞ」
「おまえこそ、はなっから当日も手伝わせるつもりだっただろ」
「あれ、バレてた?」
 べー、と舌を出しておどけるジタンは、自身の小柄で愛らしい外見から繰り出される、こういった子どもらしい仕草の威力を知っている。毒気を抜かれて、スコールは理不尽な思いをしながら口を噤んだ。
「ところで、バッツとは仲直りしたんだよな」
「……ああ」
「の、わりには浮かない顔してっけど」
「…………」
 スコールはまた口を噤む。
 仲直りしたかと聞かれれば、ああ、と返答できる。ただ、バッツが今どんな心境でいるのか、スコールには分からなかった。学校に行けば教室で普通に会話し、以前のように構ってくるようになったが、屋上でのあの後も、バッツはスコールの家に戻らなかったのだ。
 家に置いていった通帳は素直に受け取ったので、金の心配はしていないが。
 バッツのことだ。ネットカフェや漫画喫茶に入り浸っているのかと思い、一度どこで寝泊まりしているのか尋ねたが、それはもういっそ見事なぐらいにはぐらかされた。
「そんな悩みの尽きないスコール・デ・ポンデに、おれからのプレゼント。協力してくれたお礼にな?」
 電車に乗り、何駅か各停した先にある住宅街の一角に、ジタンの家はあった。いかにもお金持ちです、といわんばかりの西洋風建築。インターフォンを押した後、全自動で開いていく正門に圧倒されながら、スコールはジタンの部屋の前まで案内された。
「どうぞ、お客様」
 何やらニヤニヤ笑いを浮かべるジタンに促され、スコールが扉を開いた途端。騒がしい叫び声とともに顔面へと何か黄色い物体が飛来してくる。
 それを、間一髪で避けた。
「待ったぁー! 待った待ったセシル! オレのライフはもうゼロ寸前だって言ってんだろーっ!」
「うん。だから、最後のトドメを」
 憐れみも同情も一切映さない壮絶な笑顔で、セシルは強力な一撃を放った。
 バッツの手から、無情にもカードがパラパラと落ちる。二人のカードゲームを観戦していたクラウドは、バッツに憐れみの籠もった目を向けた。
「〜〜〜ッ!! この天使の顔をした鬼ー!」
「……バッツ、いい加減ぬいぐるみを投げるのは止めろ」
 クラウドが止める必要はなかった。ぬいぐるみを振りかぶった格好のバッツが、扉の前のスコールと目を合わせた瞬間、そこだけ時間が停止したように硬直する。
「ス、ススス、ススコールさん、なんでこんなとこに」
「……ジタン。全部知ってたな?」
「文句ならバッツに言えよ。スコールには黙っといてくれって頼んできたのアイツなんだから。おれは痴話喧嘩に巻き込まれた可哀想な被害者。普通にインターフォン鳴らせば客として出迎えたのに、無断で屋敷に侵入しやがって。終電終わってる真夜中に、だぜ? 番犬は総出で騒ぎ出すわ、赤外線センサーは反応しまくるわ、大騒動だったんだからな」
「……あんときはマジで悪かったって……。酒呑んでて、テンションゲージ限界突破してたんだ。ジタンなら、待ってりゃ入れてくれる気はしてたけど」
「ほとんどザルに近いおまえが酒に酔うって、一体どれだけ呑んだんだ……」
「どれだけ、だったっけな? 家出る直前に、スコールんちから親父さんの酒しこたまくすねて、ジタンちへの道すがら全部呑みきった」
 そういえば、後々楽しむつもりで何本か買い置きしておいたお気に入りの一升瓶が全部なくなったと、父親が嘆いていたのを思い出す。
「スコール……。こんな手のかかる非常識男捨てて、おれんとこ来ないか」
 スコールはジタンに顎を掴まれ、上向かされた。包容力たっぷりに微笑するジタンの顔が、スコールの少し見上げた位置にある。お互い美形なので上半身だけクローズアップすれば見事な絵面だが、全体像を映してしまうとジタンが身長差をカバーするべく椅子の上に立っているので、きらびやかな雰囲気なのに一切甘さを感じない。
「ジタン……」
「ポンデまみれの生活が待ってるぜ」
 すかさずポンデライオンのぬいぐるみを渡され、戸惑うスコールに衝撃が走った。
「こ、これは……!!」
 どこにでもある綿素材ではなく、ビーズクッション素材を採用した新感覚の肌触り。綿の代わりに細かいビーズを入れたことで、ぬいぐるみを握る手に見事なフィット感を与えている。柔らかな生地。掴む手に力を入れるたび、吸い付くような感触と、餅のような弾力。もちもち。
「ジタンくんジタンくん。まさかスコールが、そんなぬいぐるみに心奪われるわけ……」
「…………」
「え、どうすりゃいいのオレ。人生最大の危機?」
「意外だなあ。クールガイで有名なスコールにこんな一面があったなんて」
 目を瞬かせるセシルの言葉に、スコールは、はたと我に返った。
「ああ、コイツか。竹刀一本でここいら一帯の不良集団を壊滅させたとか、ヤクザの元締めだけど年齢偽称してホストやってるとかウワサの。そんな破天荒な人間には見えないが」
「ライトが部員に欲しがってたくらいだもの。きっと良識のある子だよ」
 ライト、という名前には聞き覚えがある。試合の大小を問わず無敗記録を更新し続けていることで有名な剣道部主将だ。演劇部と剣道部は体育館での練習日が何度か重なったので、スコールは遠巻きにだが何度か姿を見た。詳しい人柄は分からないが、威厳のある存在感はまさしく主将に相応しく、誠意誠実な後輩指導をしていた。
「……欲しがられるようなことをした覚えはないが……」
「スコールは、ライトと直接会って話してはいないけど、少なくとも悪い印象は持たなかったでしょ? 人の本質って、外面よりも行動に出るからね」
「人間ってのは、自然と耳にしたウワサ話や他人が下した悪評に惑わされやすい。だが必ずしも、そうでない人間もいる」
「つまり。他人がどう思っていようが、スコールらしくしてりゃいいってこと」
 初対面のセシルやクラウド、ジタンに続いて、バッツがスコールの頭に顎を乗せて、悪戯を企む子どものような笑顔で背中にのし掛かった。
「クラウド曰く、人間ってのは他人の言葉に影響されやすいんだろ。だったら、オレに名案がありマース」
「名案……?」
「当日になってからのお楽しみ、な!」
 得意気にウィンクしたバッツからは不安しか沸いてこない。結局、バッツの思惑は誰も聞けぬまま。その後はその場に居たメンバーの誰かが飽きるまで、散々カードゲームに明け暮れて終わった。


 そして、新入生歓迎祭当日。
 あの日バッツの思惑を無理にでも聞き出さなかったことを、スコールは全力で後悔した。
「みんなぁー! 楽しんでるかぁー!」
 体育館は異様な熱気に包まれている。