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断崖の幸福

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■第三話■



 下駄箱を開けた瞬間、バサバサと手紙の束が床に散乱した。
 毎朝の恒例なので、何の感慨も浮かばない。スコールが緩慢な動作で手紙の一つを拾う前に、バッツが驚いた声を上げながら、いくつか手紙を拾った。
「これも、これも、これも、女の子からラブレターじゃん! こっちもすげー綺麗な字で……あ、不幸の手紙だ」
「からかわれているだけだ。好意の手紙に似せて、誹謗中傷を書いた内容の物もある」
 スコールは紙の山から上靴を発掘して、中身を確かめもせずにゴミ箱の上で裏返した。靴の中から、画鋲がパラパラと落下する。
「うは、古典的。モテモテだな〜スコちゃん。ええっと、これは『果し状』……ハシジョウ? それを言うなら『果たし状』じゃね? オレに指摘されたらおしまいだろ。『放課後、体育倉庫前で侍つ』……待つの字もちげーし。サムライじゃねーよ」
「バッツ、それ捨てといてくれ」
 スコールは手紙の何枚かは鞄にしまったが、大半はゴミ箱に捨てた。
「喧嘩売られても毎回無視してるなら、挑戦状も嫌がらせも続くだろうなー」
 間違いだらけの果たし状をゴミ箱に投げ入れて、バッツはスコールの後を追った。
「まともそうなラブレターは読むんだな」
「たまに居るんだ。勝手に約束を取り付けるやつが。困ったことな」
 照れるでも、嬉しがるでも、恥ずかしがるでもなく、無感動に呟かれたスコールのそれは本音が混じっていた。
「枯れすぎだろ、17歳」
「やかましい」
 なるほど、敵も多そうだ。バッツは心底納得した。
「ところでスコ。今日の放課後、色んな部活見学しにいくから、スコも付き合うんだぞー」
「なんで俺が……」
「言っただろ。スコールを人慣れさせちゃおう大作戦! まずはオレと一緒に部活まわって、友だち増やしてくんだって」
「断る」
 二の句を継がせないほどキッパリ断ると、バッツは頭を掻きながら考える素振りを見せた。しばし唸ったあとで、何か思いついたのかポン、と手のひらを叩く。
「今日の五限体育だよな。バスケのスリー・オン・スリーで試合。その試合でオレのチームが勝ったら、部活一緒にまわってくれよ」
「断る」
「ダメでーす。これは断るの禁止な。約束だぞ、バスケの試合でオレが勝ったら一緒に部活見学まわる」
 だから、勝手に約束を押しつけるな。
 身近にも居た迷惑な輩に辟易するも、スコールは妥協案を提示した。
「……その代わり俺が勝ったら、その作戦とやらを白紙に戻せ」
「いいぜ。その代わり、約束守れよな!」


 どこから漏洩したのか。バッツとスコールの秘かな戦いは、五限の体育が始まる前にはクラスメイト全員に広まっていた。
 コートサイドは黄色い声援が多いスコール応援席と、野太い声援が多いバッツ応援席に二分され、図らずも男子と女子の天下分け目の決戦となった。
 コートの中で、バッツとスコール二人が対峙する。バスケットボールをサッカーのリフティングの要領で挑発するように玩んだあと、バッツがビシッとスコールを指差した。
「約束、忘れるなよ。――オレが勝ったら嫁にこい!」
「……そんな約束をした覚えはない……」
 スコールは目眩がして、くらりとよろけた。
 こんな大衆の前で何の冗談だ。そして驚愕する野太い声に混じって聞こえてくる、嬉々とした女性の歓声はなんなんだ。
「いいぞバッツー! 男の敵よ、大人しくもらわれちまえー!」
「バッツくん頑張ってー!」
 スコールの応援席までバッツの応援にまわり、完全にアウェー状態だ。のんきに観衆に向けて手を振るバッツに、その意図はなかったに違いない。無自覚で敵すらも味方につけてしまうのだから、人間としてある意味恐れ入る。
「敵に回したくはないタイプだな」
「スコもな。おまえが手加減するとは思えねぇし」
「当然だ」
 天下分け目の決戦とは言ったが、今は体育の授業中。チームは元から決まっていて、スコールにもバッツにも選択権はなかった。
 勝敗を決する一つの要因は、チームメイトだ。平均的な運動神経の二人とチームを組んだスコールと違い、バッツのチームには一人、恐ろしく上手いクラスメイトが入った。
「バッツ! おれが向こう回り込むから、いいパス頼むぜ」
「おっしゃ、任せろ!」
 ジタンが身軽な体格を生かして、素早さと相手を翻弄するドリブルで攪乱していく。簡単に相手チームに奪われていくボールと点に、スコールは為す術がない。激しく息を切らせながら、汗を拭った。
 冗談じゃない。このまま終わってたまるか。
 ジタンの動きを読んで、バッツからジタンへと放たれたボールをパスカットする。バッツが不敵な笑みを浮かべながら、目の前に立ちふさがった。
「そう簡単に抜かせないぜ?」
「やってみろ!」
 ドリブルをしていたボールを持ち、味方にパスを出す体勢を取る。反射神経のいいバッツが咄嗟にパスカットしようと動くのは分かっていた。
 身を翻してバッツのカットを躱し、跳ぶ。
 ストン、とボールは寸分の狂いもなくゴールネットに吸い込まれていった。
「……へえ、やるじゃん。スリーポイントラインから大分離れてたってのに」
「どうも」
 三点が追加された得点ボードを一瞥して、ジタンは挑戦的な目を向けた。スコールは額にかかった髪を鬱陶しく掻き上げながら、息を整えてそれに応える。
「じゃあ、こんなのはどうだ?」
 ボールがコートに戻ると同時に、バッツはスコールに向けて放たれたボールをパスカットした。さっきとは反対に、ディフェンスにまわるスコールの前で、バッツがパスを出す体勢を取る。
「させるか!」
「おっと」
 素早くカットに回ったスコールを見越して、バッツが身を翻す。そう来ると確信していたスコールは、更に前に踏み込んだ。
 こちらの真似をしてスリーポイントシュートを叩き込むつもりだろうが、そうは行かない。
 正面に踏み込んだスコールに、しかしバッツは不敵に笑って、背後を見もせずに後ろ手でボールを投げた。
「なッ、に!?」
「おわっとぉ!」
 ワンバウンドでジタンの手に渡ったボールがゴールに入るころ、バッツは踏み込んだスコールの体重を支えきれずに、体育館の床に尻餅をついた。スコールも眉根を寄せて、その傍で尻餅をつく。
 ワァ、と歓声が上がり、試合終了のホイッスルが鳴った。
「……負けか」
「スコの敗因はスタンドプレイだったってことだな。いいもんだぜ、チームプレイも」
 悔しそうな表情をしているスコールのチーム二人に、スコールは申し訳ない気分になる。
「まあ、そうだな。敗因は、アイツらを信じなかった俺のせいだ」
「それもあるけど、勝ったのはオレが凄かったからだぜ。やっぱオレ、ちょーカッコイイ!」
「……凄いのはおまえの馬鹿さ加減だろ……」
「二人とも、コートのど真ん中で何やってんだよ。次のチームが試合するからさっさと出ろって。……それと、スコール」
 ジタンに肩を叩かれたスコールは、差し出された手に些か戸惑いながらも、素直に握った。小さな身体にしては強い腕力に手を引っ張られ、その反動で立ち上がる。
「楽しかったぜ。今度は、この三人でやりてーな」
「いいねぇ〜! 最強タッグ誕生ってやつ?」