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世話好きな猫【りんまこ】

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にゃあ、とそれは愛らしく鳴いた。

「お前、ほんっと鯖好きだよな・・・・・・飽きねぇの?」

凛はため息交じりに猫の裏顎を撫でる。
いつものようにプラスチックの皿を地面に置くと、待ってましたとばかりに猫は小さな体で明一杯皿の中を覗く。
そこには、ご所望の解された鯖が乗せられていた。

まるで「いただきます」とでも言うように一際丁寧な鳴き声を発し、鯖を食べ始める。
月明かりで光る金の瞳と白く撫で心地の良い毛並。
野良にしては綺麗な体のその猫は、夕食を終えた鮫柄学園男子寮によく現れる。
気まぐれに与えた残りの鯖が気に入ったのか、はたまた松岡凛個人に気があるのか。
ここ最近は頻繁に見かけた。
しかしそれは夜ばかりで、昼間この猫を目にすることはない。

どこかで飼われているのだろうか。
だとしたら飼い主が心配するだろうに。
毎回魚料理ばかり選ぶのも癪だ。
誰かに見られたら目も当てられない。

凛の頭は隅でマイナス面をこじつける。
さらに『餌を与えなければ、猫がここに来ることはなくなる』というロジックを組み立てるにもかかわらず、情が移ってしまったのか、凛はこの猫との接触を夜のロードワークと同じ基準でスケジュールに組み込んでいた。
あっという間に皿が綺麗になると、猫は凛の手に頭を摺り寄せてくる。
礼を言っているのかもしれない。
いや、もしかしたら単にもっとよこせと強請られているのかもしれない。
真意は分からない愛情に凛はぼんやりと思いをはせた。

橘真琴の優しい目に映る七瀬遙。
どんな時も、幼馴染に手を差しのべられる距離にいる真琴は、遙への無償の愛にあふれていた。
一ヶ月しか同級生ではなかったけれど、凛がそう感じるには十分な時間だったと思う。
しかし同時に、長男らしい柔和な微笑みの深部には暗いモノが宿っている、と幼心に感じてもいた。
秘密の宝箱に隠した心情。
【あの時】真琴に感じた恐怖の意味。
危うげな真琴の瞳の奥には、いったい何があるのだろう。
闇の中に沈む真琴の真実。
興味を持ってしまったが最後、凛は真琴に恋をしていた。

あれから5年。
月日が流れ、忘れたと思っていた感情が燻ぶり始める。
携帯に残された、聞きなれない真琴のメッセージ。
彼の低い声はドロドロと、ひたすらに甘い。
わざわざ部の設立を知らせるその伝言を、凛はいまだ消せずにいた。

「なにやってんだか、な」

自嘲気味に呟いてみる。
ゴロゴロと喉を鳴らす白猫が凛を見上げた。
ジャージのポケットに入れた携帯は無言のまま。
着信履歴を追えばすぐ真琴に繋がるのだが、凛はそれをしようとはしない。
何も話すことがないからだ。
本当にそうなのだろうか。
凛は自問自答をし、携帯を取り出すと慣れた手つきで留守録の再生ボタンを押す。
耳にあてがうと、愛しい声が聞こえてきた。

『凛?俺だよ、真琴―――』

記憶の中とはまた違う、真琴の声が電子になって凛の鼓膜を震わせる。
昔と変わらない八ノ字眉毛を思い出す。
自分に向けてくれた、優しいが故に儚さのある笑顔を思い出す。
全ては所詮過去の遺物だ。
さっさと忘れてしまいたいのに、消えない感情。
それに加え、何度となく聴いた内容でも手放せないほど、今の凛と真琴は遠かった。

「真琴・・・・・・」

縋るように呼んだ彼の名前に、猫が耳をピクリと動かす。
月食の眼球が幾分細くなり、にゃあ、と鳴く。
凛の掌があやすように猫の額を撫でる。
静かに尻尾を一振り。
暗がりで起きた一瞬の、猫の動作を彼が気づくことはなかった。


翌日。
いつもの白猫は、まだ日が高いうちにやってきた。
真夏の太陽が揺らぐ木陰に反射して宝石のように輝き、どこにいるのか蝉の声も聞こえてくる。
どこにでもあるような、夏の時間だ。
ちょうど休日練習を終えた凛が寮の裏側を通っていた。
まるでこの時間、彼が通ることを予測していたかのように、タイミングよく猫は鳴く。

「どした、まだ餌やる時間じゃねぇぞ・・・・・・?」

その気まぐれさに少々面食らいつつ、なるべく優しい声色で猫に話しかける。
腹を空かせたのだろうか。
猫は凛の足もとに体を擦り寄らせた。
今の凛は猫の喜びそうな物をなにも持っていないのだが、普段以上に白く柔い体を押し付けて来る。

いよいよ困惑してきた彼は、周囲に誰もいないか辺りを見渡した。
人の気配がないことを確かめると膝を折り、猫を抱き上げる。
そういえばいつも餌をやったり撫でたりはするが、彼はこの猫を抱いたことがなかった。

「お前、ちっせぇな」

思った以上にしなやかで小さい雲のような存在に、そっと目を細めてみる。
どこを通って来たのか、毛の間からかすかに潮の香りがした。
船乗りだった父親が脳裏に過る。
猫は凛に抱かれたまま喉を鳴らし、ペロリと彼の唇を舐めた。
不意をつかれ、目を見開く凛。
猫はしてやったりと、自慢げに鳴いてみせる。
行き場のない羞恥心に当てられ、凛の頬が僅かに赤くなった。
なるべく動揺を隠すようにゆっくりと、ジャージの袖で口元を拭う。
と同時に、猫は彼の腕をすり抜け地面に見事着地した。

そのまま寮の裏口まで猫は走って行く。
門の内側で来ると振り返り、凛を呼んだ。
正確には呼ぶように、鳴いた。
どうにもこの猫は凛をどこかに連れて行きたいらしい。
動物が、人間を呼ぶのだろうか。
猫の声が鼓膜を揺さぶる。
凛に背を向けて白い体が走り出す。

昔から猫は魔力があると言われているけれど、こんなことがあっていいのだろうか。

松岡凛は頭で何か考える前に、その小さな背中を追い掛けていた。


―――――俺はどこを走ってるんだ?

猫を追い掛けて校門を出た凛の網膜には別世界が後ろへと流れていく。
いつもの風景ではない。
道もコンクリートではなくまっ黒だ。
ただ道しるべのように猫の白い尾が、付かず離れずの距離で揺れている。
横を過ぎるのは川だ。
凛はこの景色をよく知っていた。
小学6年生の寒い冬。
睦月橋を4人で走った情景だ。


渚や真琴や、凛が笑う声。
それに合わせて弾む白い息。
川面を撫でる風の音。

遙の走る後姿と呆れた声。
渚のキョトンとした幼い顔。
真琴と顔を見合わせて笑った凛の胸の鼓動。


遠い昔のことなのに、彼は鮮明に思い出していた。
季節も真逆で、記憶が誘発される要素は一つもない。
走馬灯のような光景に父親の広い背中を思い出す。
訳も分からないうちに死ぬのかもしれない。
凛の胸に一抹の不安が宿った。

少し太い眉がハの字に下がって彼に笑いかける。
ダークグリーンの瞳も同じように下がり、幼い水着姿の真琴が可愛らしく笑う。
無表情の遙と嬉しそうな渚。
これはリレーで優勝したときだ。
たゆたう水がただただ美しかった。
『見たことのない景色』が『見たことのある景色』に変わった瞬間。
あの頃にもう一度戻りたい。
しかし戻ることは決してない。
変わらない過去。
全部背負って進める道は、自分の前にあるのだろうか。

答えは出ない。
どうやったら前に進めるのだろう。

頭を抱えてみるけれど、案外それは彼の傍にあるような気がしていた。

――――あ、抜ける―――

根拠もなく凛は思った。
作品名:世話好きな猫【りんまこ】 作家名:美潮