Twisted tongue
女子寮の前まで八千穂を送ってから、少しその場で待つ。彼女の部屋でわずかな明かりがつくのを確認してから、俺たちも男子寮に戻る。こっそりとこちらに手を振ってくるのを振りかえしてから歩き出した。男子寮までの距離は短い。互いの部屋の前まで来てからようやく隣の男に声をかけてやる。
「どーしたの、無言で。超絶機嫌悪いな皆守」
「…………別に。何でもねえよ」
さっきから暗雲オーラ全開にしといて何が別にだ。この秘密もちの馬鹿め。
こいつの秘密くらいもう大体見当がついている。第一印象があれだけ最悪でお互い全然気に入らなかったというのに、それでも俺の側に寄る行為を見せたのが何処から来るものであるか、まあ、解らないほうがちょっとおかしいよな。
いまこいつが不機嫌なのも、さっきの俺の言い様が気に喰わないからだろう。
この学園の闇の側につけばそれこそ、『何時までもいつかにならない夜』が出てくるだろうことは想像に難くない。
取り返しのつかない失敗か、それとも徹底的な何がしかの、誰かの損失か。どちらにしても日の出てるときしか眠れないくらい、お前を苦しめてるものだろうことは間違いないだろう。授業を抜けて後者に姿の見えないとき、あの墓石の中のどれかの前でたたずんでいることを知っている。
その、多分おまえにしてみたら起こされることなんて、望んでなどいないんだろう。真面目な奴だ。枷を手放したくても、手放すことが出来ず、開放を望むことをもはや忘れている。罪だの何だのがもたらす、浅い眠りの中でそのまま朽ちるのを待っている。目を覚まさせに遠くから来た歴代の王子様たる同業者たちが、どうやって返り討ちにされたかは今だ想像の範囲内だ。
顔を覗き込んでそのまま、欺瞞を注視すれば、ふい、と視線を背けられた。ほんっと隠しごと下手だよな。壊滅的。
「それで、ほんとになんでもないってか?」
「くどい」
眉間のしわがさらに増えるのが好きだ。この男をもっと揺さぶってやりたくなる。
そのまま顔を寄せ、乾いた唇をぶつけた。
夜気のなかで、砂と黴臭い遺跡の匂いがお互いに染み付いている。接吻るのはべつに初めてじゃない。視覚では近すぎて捉えることが出来ないが、触れている気配から彼の不機嫌が更にそだっているのがわかる。更にそれを煽りたく、舌を出して、唇を丁寧に舐め上げれば動揺したのかわずかに隙間が出来た。逃さずに舌を突っ込んだが、流石にそこで沸点を越えたらしい。ちえ、上顎に触れてたらもうすこし引き伸ばせたのに。
名残惜しいが、右足がヒットする前に離れた。前髪をかすっていく革靴はあいかわらず、速くて重そうだ。
「何してやがるてめえは」
「お休みのキスじゃん。乱暴だなほんとに」
「こんな変態じみたのがか。だいたいそういう習慣は日本にないんだよこの馬鹿が!」
言い捨てると皆守は自室の扉を威勢良く閉めた。ひっそり帰ってきた意味が無いよなあ。
俺は一瞬だけ触れた皆守の舌を回想する。確かにやわらかく生ぬるく暖かい、生きている者の舌だった。それが何か意味も無く珍しいことのように思えてくる。
あいつのことは本当は気に入っているのだ。
たぶんそれこそ、初めに顔をあわせたあの屋上から。
こいつのすべてに腹が立つが、ひとつずつ突き詰めていけばその全てにさえやな感じに執着が付随しているのだということはわかっている。
それまで解っていても、子供じみた態度ばかり取ってしまうのは、まあ、あれだ。俺の大人げのなさではあるけど。
いじめるのも可愛がるのも、今時点では大差がない。硬く凝り固まっている、彼が揺れさえするのなら、ちょっかい出して苛めたほうが振れ幅はでかい。
明日顔をあわせたら何を言ってやろうかと考えて、俺は口笛を吹きながら部屋に戻った。
作品名:Twisted tongue 作家名:ろ き