名残の、(前編)
「・・・・・・・・・・えっと、ですね・・・・・・」
しばらくの沈黙の後、小さく足音が聞こえてきた。
場所を移動するのだろう。
それから、人通りの有る場所へと移ったらしく、電話口から聞こえてくる音に車の走行音や人々の話す声が聞こえてきた。
「・・・・・・・・・あ」
低い声が俺の鼓膜を振るわせる。
今更ながら、艶の有るいい声だと思った。
「・・・・・・・マクドナルドがあります」
「マック?どこのマックだ?」
言われた店名は、馴染みの有る場所だった。
そこから一歩も動かないように言って電話を切る。心なしか早足になった。早く直接顔を見てからかいたい、そう思っていたのに。
「もう、大丈夫です」
「は?」
再度鳴った電話に間抜けな声を出す。
あともう少し、と言うところだったのに。
「たまたまエリザベータに会いました。送っていって下さるらしいです」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
先ほどの、艶の有る声がなんだか憎らしい。
そうかよ、と言って乱暴に電話を切ると、近くのバーに入って強めの酒を頼んだ。
なんだってこんなにイライラするんだ。ちくしょう。
それから家に帰って、ローデリヒと顔をあわせるかわりに、フェリちゃんの部屋に突撃して、抱きついて、話をして、抱きしめたまま眠りに入って、起きたら午後を回っていて家に誰もいなかった、そんな日の夕方だった。
二日酔いの頭を抱えて昨日のことを思い出す。フェリちゃんを抱きしめたところまでは覚えてるんだ。それから、ぐだぐだと何を言ったか覚えていない。
やべぇな、俺の紳士なイメージが壊れてたらどうしよう、そんなことを思っていた時だった。
鳴った携帯に、着信者表示のローデリヒの文字を見て眉をしかめる。
昨日の今日でどういうつもりだ。
「・・・・・・・・なんだ」
心なしか声が重い。
しばらくの沈黙の後に低い声がした。
「迎えに来なさい」
「・・・・・・はぁ!?」
重いが、命令口調の声にこちらの声は裏返る。
「ざけんなっ!またリズに迎えに来てもらえばいいだろうが!」
「・・・・・・・・・昨日は失礼しました。あなたのせっかくのご厚意を」
「べ、べつにそんなんじゃねぇよ!俺は仕方なく」
「だから、謝っているでしょう?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
普通、謝るって言うのはこんな上からの口調なのだろうか。
電話口からは騒々しい車の音と話し声が聞こえる。今度はちゃんと目印の有る場所にいるのだろう。
「・・・・・・・・『お願いしますギルベルトさん、はやく来てください』」
いつぞやのセリフをそのまま繰り返す。
いっそ嫌味なほどだった。
「知るかよ。ルーイとかはどうしたんだよ」
「電話してません」
「はぁ?なんでだよ」
今日はルーイは実習は入っていないはずだ。
毎週この日は珍しく夕食時にルーイがいる。それはローデリヒも知ってるはずだ。
「・・・・・・・・・あなたに迎えに来てもらおうと思ったので」
その声が、耳に入って鼓膜を振るわせる。
けれど、震わされたのは鼓膜だけじゃなくて、俺の脳にまで振動が伝染したのだろうか、頭が真っ白になって急に焦る。
は、は、と裏返った声を出した後、どくんどくんと波打つ心臓を叱咤した。
心なしか携帯に触れた右耳が熱い。体温でしかないはずなのに、沸騰した湯を直接当てられてるような熱さだった。
「・・・・・・昨日はすみませんでした」
続く声が頭を振るわせる。
心臓の音がうるさくて聞いてられなかった。
「・・・・・迎えに来てくれませんかね?」
「・・・・・・・・・・・・・・」
再度の問いかけはどこかすがる様な声にすら気がした。
「・・・・・・・どこにいるんだ」
言われた地名は、最寄の駅だった。
はは、と笑う。
歩いて20分の距離なのに。
「仕方ねぇな。そこから動くなよ」
「ありがとうございます」
電話を切って軽く着替える。それから、電話と財布をポケットに入れて家を出た。
先ほどまでの動悸は少しずつ収まり、どこか心地よくさえ思えた。
着いたら何と言ってからかってやろう、そればかりが頭を占める。あの仏頂面を早く見たい。そう、思った。
散々からかって、嫌そうな顔をさせて、露店の甘栗を買って、二人で食べながら帰ってきた俺たちを迎えたフェリちゃんの顔は驚きに満ちていた。
「ヴぇ〜、二人とも仲直りしたんだね〜!!よかった」
「は?仲直り?」
嬉しそうにぴょこぴょこ跳ねるフェリちゃんに、ルーイが後ろから問いかける。
「うん、もう昨日大変だったんだよ〜!ギルってば、ずーっと俺の枕元で『せっかく迎えにいったのによー』とか言ってぐちぐちぐちぐち拗ねてるんだもん〜」
「はぁ!?そんなこと言ってねぇ!」
「・・・・・兄さん」
弟の白い目を見ないふりをしてフェリちゃんの口をふさぐ。
ぷ、と後ろで噴出す声が聞こえてきた。
・・・・・まさか。
恐る恐る振り返るとくすくすと笑っているローデリヒの顔。
そうか、そういうことか。
そりゃ、何を言っても怒らないはずだ。
あんなに下手に出てくるはずだ。
俺は赤くなる頬を盛大に眉をひそめることで誤魔化し、「んなこと言うわけあるかぁ!」と叫んで部屋に閉じこもったのだった。