なずなのかんむり
少し周囲を気にするように目配せなさって、カナン様はひとつ声を落とされた。静かな図書室内での話し声は、結構響く。ということは、さっきの会話も筒抜けになっていたんだろうか。宿舎に帰っても、誰にもからかわれないことを祈ろう。一ヶ月以上留守にしていた反動か、最近、みんなの視線が生温かい気がする。何というか、「やっぱりセレストはこうでなくちゃ」とでも言うような無言のメッセージを感じるというか、みんな俺がカナン様に振り回されているのを見て楽しんでいるというか、やめよう、悲しくなってきた。
「将来、またヒライナガオの遺跡のように考古学の知識が必要になるダンジョンに当たったら、役立つんじゃないかと思ってな」
「やっぱりそういう動機ですか……」
向上心豊かでいらっしゃるのはいい。けれどその向上心をどうして、もうちょっとこう、違う分野に向けてくださらないんだろうか。結局この方の学んでいらっしゃることは、全てがダンジョン探索に結びついているような。
「む、動機とは何だ。備えあれば憂いなしだぞ。ダンジョンに潜る時にいつもヘルムトがいるとは限らないというか、実際いないんだろうから僕が学んでおいて損はないだろう。お前はやる気がないだろうし」
「当たり前です。そう頻繁に、カナン様をお連れしてダンジョンを探索するようなことがあっては困ります」
多分、カナン様はダンジョンを共に探索するパートナーとしての俺、にこの話を振っているんだろう。けれどここはダンジョンの中ではなく城内で、そうであれば俺が従者としての答えしか返さないのもカナン様はご承知だろう。俺の返答を意に介した風でもいらっしゃらなかった。実際、意図がどうあれカナン様ご自身が学びたいと思っていらっしゃる以上は、よっぽどのことでない限り止める権利は俺にはない。
「そうあからさまに胃が痛いような顔をするな」
「していません」
「どう思われようと暫くは、ヘルムトに文通で教えを乞いながら考古学について学ぶつもりだ。ふふふ、身近にその道のスペシャリストがいるというのはいいものだな」
カナン様がそう言って嬉しそうに笑われるので、私は人脈の広がり方に不安を感じます、と申しあげようとした言葉を呑み込んだ。言ってもカナン様には通じないだろうという予想もあったが、俺も大概この方に甘いのかも知れない。
確かにジョーンズさんは言動にこそ大きな問題があるものの、遺跡に関しての知識と経験に間違いはない。そういう方の知識をいくばくかご教授願うのは、カナン様のご成長にも大きなプラスにはなるだろう。まだ年若くいらっしゃるからという以上に、この方は経験の吸収が早く、日々、一足とんでご立派になられている。――俺はこの方のそうしたところも尊敬している。ただ、あまりにも早いご成長に、時折、保留にしたままの答えのことを思い出す。いつまでも保留にはしていられないことと、そして、その日は決して遠い未来ではないのではないかという予感を。
カナン様が遠くない未来の話として、王子様ではなくなったご自分のことを語られる時、勝手に俺が試されているような気分に陥ってることをこの方はご存知ないだろう。それでいい、悟られたくはないと俺も思っている。カナン様の将来設計が実現しないよう、この方をお止めするするのも俺の役目だ。保留したまま宙に浮いている答えをこの方に差し出せていない以上、口をついて出そうになる問いは、呑みこむのが正しい。
あなたの思い描く未来の風景の中に、私の姿はありますか。
たとえばその中にジョーンズさんの姿はないものだと割り切って口にされるように、あなたに応えなかった私の姿もそこにはないのでしょうか。あなたが思い描かれる未来のあなたは、おひとりなのでしょうか。それとも、他の誰かがいらっしゃるのでしょうか。
私ではない誰かが。
こんなこと、口にするだけで恐ろしい。万一肯定されてしまったら、身勝手にも立ち直れなくなる自信はある。そうでなくとも、厳しくお叱りは受けそうだ。自惚れでなければ、カナン様はある意味、他の誰よりも俺のことを評価してくださっている、と思うから。とにかく口に出した瞬間に、保留した答えは出さなくてはならなくなるだろう。カナン様がそうお望みになるだろうという意味ではなく、俺が、答えを出さずにこのことを話し合うことに耐えられないだろうという意味で。
「とりあえず、まずは何がわからなかったら困るかを見つけることから始めるぞ、セレスト」
「は。え、私もやるんですか?」
「当たり前だ。そのために、やる気のなさそうなお前をわざわざ引っ張ってきたんだからな。ほら、きりきり歩け。重いなら半分持ってやるぞ」
そう言って俺が抱えている本に手を伸ばそうとなさるので、慌ててカナン様の手が届かない位置まで腕を上げなければならなかった。
「だ、大丈夫です! ですからカナン様は本を探すことに集中なさってください」
「む。僕だってまだレベルは二桁あるんだ。ちょっと重いものを持って鍛えるぐらいいいじゃないか」
不服そうにそうおっしゃる。まだ二桁、ということは、ぎりぎり10ぐらいだろうか。さっさと連動の指輪を外しておいて良かった。いつも思うが、カナン様のレベル衰退は異様に早くていらっしゃる。
「とにかく、本は私がお持ちしますから。さ、カナン様」
「むー。まぁいい、そんなことを言ってられるのも今のうちだ。僕は将来的に、あぶとろに草もびっくりの成長を遂げる予定だからな。腹筋だって六つに割れて、語尾にムキムキがつくぐらい。魔法剣士がひ弱だというイメージを覆すぞ」
「目標を高く持たれるのは結構ですが、限度もお考えください……」
カナン様のお考えは、俺には窺い知れない。――ただ、自分自身の答えのことを考える。
そしてどんな未来であれ、この方のいらっしゃらないルーキウス王国で普通に生活している自分を、想像できないことに気付くのだ。