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実存だけがしなかった

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「俺が九年間抱いてた、俺を九年間支配してた、俺に九年間ずっとてめえっつう存在を突き付け続けた、てめえへの憎しみとか嫌悪とか怒りとか――そう言うもの、そう言う感情、なあ、俺の心の――トムさんを信じるより、幽を大事に思うより、セルティやサイモンや門田に感謝するよりずっとずっと多くを割いて在り続けた、てめえへの」
 感情が、と、ひび割れ、揺らいだ声で、彼は繰り返す。
 拳を固く握りしめ、彼は俯いた。けれど15?と言う身長差は彼の影になった表情をしっかりと俺の視界に収めさせた。眉を引き絞り、眼を瞑り、歯を噛みしめて。
 彼は。
「ないんだ――」
 ――何も、無いんだ、と。
「どこにも、なにも。あれだけ強く濃く固く、俺の心に根を張ってたはずの、てめえへの憎しみが」

 もう、ないんだ――

 一瞬、世界が終わったのかと思った。
「ない――」
 ない。
 九年――俺たちの人生の三分の一以上の時間、抱き続けてきた感情が。付き合い続けてきた激情が。
「もう、ない――」
 使い切ったのではなく。
 使い果たしたのでなく。
 使い終わったのでなく。
 きれいさっぱり――消え失せた。
 摩耗など、疲弊など、減少など、可能性もないほど、完全完結に――失せ去った。
「………ない」
 一瞬、どうして世界が終わっていないのだろうと思った。
 重くも冷たくもない、ただただどこまでも空虚で果てしない沈黙が小さなその一室を支配した。時間にすれば僅かだったが、そのひりつくような絶望は確かに俺の身体と心を、浸していった。
「――っく」
 その静寂を破ったのは、小さな嘲笑。
 くつくつくつ、と喉を鳴らすように、シズちゃんは嗤った。
「くっ――ははははっ、ああ畜生、なんだノミ虫、嗤っていいぞ。嗤えばいい、馬鹿にすればいい、見下せばいい――俺は、この程度だった」
 この程度だった、と。
 運び屋が何か言いたそうにする。けれど彼は俯いたまま、友人を見ることなく続けた。涙に揺らぐ声で。
「この程度、こんなもんだった。俺の九年間は。俺の感情は。ガキの頃、必然だか進化形だかしらねえがたまたま持っちまった力のせいでしなくてもいい苦労としたくねえ後悔とするべきじゃねえ失敗をさんっざんぱら積み重ねた重さでぐしゃぐしゃに潰れかけた人生を背負ってそれでもそこそこ必死になって生きてきて、その中で――なあ、もうこっからして俺は俺がたまんなくクソだと思うんだけどよ、そん中で一番揺らがない、確かな絶対の指標が、ノミ虫――てめえへの感情だったんだよ」
 憎かった――と彼は言う。
「憎かった嫌いだったむかついた鬱陶しかった胸くそ悪かった嫌で嫌で堪らなかった。てめえを踏み躙りたかった侵したかったひれ伏させたかった殴りたかった潰したかった消したかった壊したかった殺したかった殺したかった殺したかった――」
 死なせたかった。
 なのに。
「それが――力で成し遂げられる唯一の俺の目的、力で叶えられる最後の俺の望みだったはずのそれが――それすらが、よお」
 ぽたん、と。
 彼の足下のフローリングに、水滴が落ちた。
 俯いたままの彼の頬を幾筋も伝う涙。笑うように歪んでいる唇。顰められた眉。こくんと首を傾げて、独白するように、確かめるように。
「それすら――あの力の、せいなのか」
 あの力の――あの力に掻き回されて圧し潰されてぐしゃぐしゃにされた人生の、そのうちの一つでしかないと。
 あの力の従属物として、付随品として、あの力をコントロールするために植え付けられたものでしかないと。
(そうだと、言うなら)
 彼は――人生どころか。

(心すら――ぶち壊されている)

 圧し潰されて、ぶち壊されて。
 何も――残らない。
 残っていない。
 彼自身の、ものなど。
(なにも――ない)
「なあ、臨也」
 湿った声で、彼は俺の名を呼んだ。
 顔を上げる。すると、こつん、と肩に額をぶつけるように乗せられた。頬に細い髪の毛がふわりと当たる。香水などつけない彼の匂いが鼻先を掠め、俺は息を飲む。
 子犬が雨の日にすり寄るように、蝶が花に留まるように。縋るように――寄りかかるように。
「っつ、」
 肩に感じる、ほんの少しの体温。それに、心臓が跳ねた。
(あったかい)
 当たり前のことだけれど――本当にそんなこと当然で普通なことだけれど、彼は温かかった。普通の、人間と同じに。
 その分、じんわりと染みる涙が、冷たい。
 俺はよ、と彼は呟いた。
 途方に暮れたように、呟いた。

「俺は本当に――どれだけあの力に引きずられて生きていれば、いいんだろうな」
 過去形じゃなく語られたその言葉を、ああ、聞かないままでいられたら。








実存だけがしなかった

 
作品名:実存だけがしなかった 作家名:上 沙