雀の翼を甘く見た
ええと、と言いながら花はぐるりと視線を回す。その途中で男の存在を忘れていたことに気がついたようだ。体がいきなり凍りついた。もう少し聞いてみたかったがまあいいかと孔明もまた男に視線を投げる。とたんに背を伸ばす男に、だから遅い、と今度はためらいなく不可をつけた。花を見てみろ、彼女はいつだって背を伸ばしているだろうと内心で吐き捨てる。真っ直ぐに伸びた背は自信の表れでもある。人を操りたいのならいつだってきちんと立っているくらいの余裕は必要だ。
「君は軍師ではなく兵として立ったほうがいい。……意味は分かった?」
何故起こったか、を考えるのは警備兵の仕事だ。案件の個を追い、原因を解明し、犯人がいるなら捕らえる。それはとても大切なことだし、なくてはならない存在でもある。が、軍師の仕事ではない。
今は人手が足らないから孔明も似たような仕事をやってはいるが、本来の軍師の仕事からは外れている。
軍師の仕事は調えることだ。追うことではない。
失礼します、ととりあえず無表情で出て行った男の背中を見送って、孔明は花の手の中を見やった。彼女の献策はいくつかとっておく。避難訓練と、消火手段の研磨。博望、赤壁と、この子はどうも火に業を負ってしまったようだからこの案件に携わらせてやりたかった。そういう意味でも丁度良かったと息を吐く。
「あの、師匠」
「んー?」
返してと手を振れば花は素直にその手に竹簡を乗せる。細かいことを詰めなければならないからこれはまだ棚へは戻せない。
それから彼だ。翼徳のところで潰されるのは怖いなと思った。案外頭は回るようだ。頭ごなしに叩いては反発が強くなっていくだけだろう。無表情で去っていった辺りから察するにどうやら自尊心も相当高そうだ。それでは子龍か芙蓉かと悩んで子龍と結論付ける。立場は上だが年下という存在と子龍自身の高い能力が彼の余計な自尊心を折るだろうし、何より子龍は実直だ。彼の下で学ぶことで自分の無自覚の卑怯さを思い知ることを期待しよう。
「さっきの、何であんな風に言ったんですか?」
「あんな風って?」
返すと花がだから、と苛立ったように眉を寄せる。首を傾げて見せればむうと唇がとんがった。
「美貌がどうとか、蔵がどうとか。そういうの、言う必要あったんですか?」
「ああ」
そういうこと、と孔明は頷いた。
細かな裏側を語ることで個を追えと暗に示したことを言っているらしい。
孔明のあの細かな説明とその裏に潜む意図に、花は嵌らなかったがあの男は嵌った。あれはそういう話だ。思いながら振り返ると花がいる。その僥倖にいつも目がくらむ。いつかは別れると知っているから余計に今が嬉しかった。
「あれはね、罠だよ」
笑う孔明に花はただ首を傾げるばかりだ。