Anytime smokin' Cigarette.
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空を目指して紫煙が立ち昇る。
たゆたう薄灰の霞を仰ぐ時に、いつも思い浮かぶ記憶は。
―――『アンタ、煙草なんか喫うのか』
そんな些細な質問をしてきた、知っているが知らない、そんな矛盾をそのまま姿にした少年の記憶だった。
§ § §
眩しいほどに青く空の高い、秋の日。
いつものように新都駅前を通り過ぎようとして、ふと目の端に見慣れた人物が引っかかった。
足を止めてその人物を直視する。
女性にしては長身な痩躯をダークグレーのスーツに身を包んだ、赤毛の人物。そして何より、両耳につけられたイヤリング。
間違いない。
オレの元マスター、バゼット・フラガ・マクレミッツだった。
「……何してるんだ、アイツ」
小さな興味を持ち、紫煙を揺らしながら観察し続ける。
新都駅前の、いわゆる待ち合わせ広場といわれる場所に一人所在無さげに突っ立っている。その姿がまた非常に目立っていた。
大体、彼女本人がその容姿のせいで人一倍人目を引くのだ。いつもは人を寄せ付けない鎧じみた雰囲気を纏っているので、誰も近づいてこない。……まあそもそも、彼女がこんな白昼の往来にいること自体極めて稀なのだが。
だが今はちらちらと視線をさまよわせたり、体勢を変えたりしてどうも落ち着きがない。いつもの強固なガードはどこへやら、一目瞭然で隙だらけだ。…………ああほら見ろ。どっかの命知らずが虎視眈々とアンタを狙ってるじゃねえか。
「しょうがねえマスターだ」
魔術師が相手ならともかく、一般人相手では分が悪い。得意の戦闘術も使えないわけだから(というより使ったら即警察行きだ)バゼットが不利なのは目に見えている。
タバコを足元にあった灰皿に捨て、ゆっくりと歩いて近づく。数メートルも離れていない場所にいても、まだ気づかない。これは相当何かに気を取られているな、と思いながら
「よう」
簡単な挨拶をかけた。ついでに背後の命知らずをひと睨みする。視線に込めた意味に多少は感づいたのだろう、こそこそとそいつは逃げていった。
「ら、ランサー!? どうしてここに!?」
慌てた声に応えて視線を戻すと―――― そこには頬を真っ赤に染めたバゼットが慌てた様子でオレを見上げていた。その表情の無防備さに、思わず笑いがこみ上げる。もっとも、そんなことしたらこのマスターはへそを曲げてしまうため、苦労してそれを飲み込んだ。
「バイトに行く途中。たまたまアンタを見かけたんでな、声を掛けてみただけだ」
「……………………バイ、ト………………」
一瞬呆然とした後、バゼットは難しい顔をして考え込んだ。早く仕事を見つけないと、と小さく呟く声が聞こえてくる。だいたい何を考えているかは丸わかりだが、そこを突っ込んだところで話はきっと平行線だろう。
「で、アンタは何をしてるんだ?」
思考に没頭しているバゼットを引き戻す。こいつのことだ、このままじゃいろいろな事を悲観し始め、挙句の果てには自棄を起こしかねない。一端その状態に突入したバゼットを呼び戻すのに相当苦労した数日間の記憶が、少し蘇りそうになった。
「待ち合わせです。働き口について士郎君に相談したら、心当たりがあるとかで」
「あの小僧とか。の割には坊主の姿が見えないが」
「凛が緊急の用事があるらしく、少し遅れると連絡がありました」
いつもの落ち着いた声だが、ほんの少し、気をつけていなければ聞き逃してしまうくらいにわずかに面白くなさそうな響きが交じっていた。ああ、またか、と。ランサーは心の中で呟いて目を細めた。
バゼットはどうも、家主であり恩人であるという以上にあの衛宮士郎を気にかけている節がある。理由は――もう考えるまでもなく明白だ。……廻り続けた四日間、『衛宮士郎』として在り続けた存在。そもそも、彼女があの家を一時的な住居として選んだのも、そのことが一因としてあるのだろう。既にいない存在を、未だに彼女は探している。どこかに、わずかでも、あの数日の断片でも残されていないかと。
……ああ、くそ。こっちこそ面白くねえ。
「そうか。じゃ、もうオレは行くわ」
「え、も、もうですか?」
苛立ちを振り払うように踵を返しかけたが、歩みはすぐに引き止められた。足を止め、視線を向ける。思いがけない言葉に驚いたのは事実だが、どうやら、バゼット自身が一番そうであるらしかった。明らかに慌てた様子の彼女に、表情だけで問いかけると、さらに狼狽を強めてバゼットは言い募った。
「あの、特に用事はないのですが……ただ、折角会ったのですから、このまま別れるのも……いえ、仕事へ行く途中でしたね、引き止めてしまってすみません」
「……何一人で納得してやがる」
呆れた声と共に、今度こそ堪え切れなかった苦笑を零す。幸いなことに、俯いているバゼットには口元に浮かんだ笑みは見えなかったようだった。
「ま、このオレともう少し一緒にいたい、と。そういうことならもちっとくらいなら時間あるぜ」
「な……! 私は、そんな、」
「何だ違うのか。それじゃあもう行くぞ」
「……いえ、違わなくは……ないんですが……」
何と続ければいいのか考えているのか、バゼットは歯切れ悪く口ごもった。そのまま黙り込みそうな彼女の様子に、これじゃ埒が明かないと、ランサーは軽い口調で話を振った。
「それで、その小僧の『心当たり』ってのはどんなとこなんだ?」
「え? ……ああ、確か」
思考に没頭していたのか、一瞬話を振られたことに気づかなかったらしい。
「彼のアルバイト先の知り合いの飲食店で急に人が足りなくなったらしく、臨時採用でもよければ、という話でした」
「てことはサービス業か。あんまりアンタに向いていないような気がするんだが」
接客業には、礼儀正しさ・愛想のよさ・話術などイロイロなものが要求される。礼儀正しさはともかく、その諸々の要素が悉くバゼットにかけているようであるのは、おそらく気のせいではあるまい。
「やってみなければわかりません。何事も経験ですから」
「やってみなくてもわかると思うが……ま、とりあえず頑張ってみろ」
「ええ、そのつもりです。必ず近いうちに正式な職を得てみせます」
結構な確率で空回りしそうな危うい熱意を込めて、大きく頷く。そして、力強くバゼットは言葉を継いだ。
「仕事が無事見つかった暁には、必ず貴方を迎えに行きます」
「はぁッ?!」
半ば無意識のうちに口にくわえていた煙草を、思わず取り落としそうになった。バゼットを見返すと、赤みがかった双眸と真正面からぶつかった。その瞳には、混じりけなしの真剣な色が浮かんでいた。そう純粋に自分を必要としてくれるのは悪い気分ではない。けしてそうではないのだが。
……オイオイ、そんな言葉は普通男が言うもんじゃねえか?
空を目指して紫煙が立ち昇る。
たゆたう薄灰の霞を仰ぐ時に、いつも思い浮かぶ記憶は。
―――『アンタ、煙草なんか喫うのか』
そんな些細な質問をしてきた、知っているが知らない、そんな矛盾をそのまま姿にした少年の記憶だった。
§ § §
眩しいほどに青く空の高い、秋の日。
いつものように新都駅前を通り過ぎようとして、ふと目の端に見慣れた人物が引っかかった。
足を止めてその人物を直視する。
女性にしては長身な痩躯をダークグレーのスーツに身を包んだ、赤毛の人物。そして何より、両耳につけられたイヤリング。
間違いない。
オレの元マスター、バゼット・フラガ・マクレミッツだった。
「……何してるんだ、アイツ」
小さな興味を持ち、紫煙を揺らしながら観察し続ける。
新都駅前の、いわゆる待ち合わせ広場といわれる場所に一人所在無さげに突っ立っている。その姿がまた非常に目立っていた。
大体、彼女本人がその容姿のせいで人一倍人目を引くのだ。いつもは人を寄せ付けない鎧じみた雰囲気を纏っているので、誰も近づいてこない。……まあそもそも、彼女がこんな白昼の往来にいること自体極めて稀なのだが。
だが今はちらちらと視線をさまよわせたり、体勢を変えたりしてどうも落ち着きがない。いつもの強固なガードはどこへやら、一目瞭然で隙だらけだ。…………ああほら見ろ。どっかの命知らずが虎視眈々とアンタを狙ってるじゃねえか。
「しょうがねえマスターだ」
魔術師が相手ならともかく、一般人相手では分が悪い。得意の戦闘術も使えないわけだから(というより使ったら即警察行きだ)バゼットが不利なのは目に見えている。
タバコを足元にあった灰皿に捨て、ゆっくりと歩いて近づく。数メートルも離れていない場所にいても、まだ気づかない。これは相当何かに気を取られているな、と思いながら
「よう」
簡単な挨拶をかけた。ついでに背後の命知らずをひと睨みする。視線に込めた意味に多少は感づいたのだろう、こそこそとそいつは逃げていった。
「ら、ランサー!? どうしてここに!?」
慌てた声に応えて視線を戻すと―――― そこには頬を真っ赤に染めたバゼットが慌てた様子でオレを見上げていた。その表情の無防備さに、思わず笑いがこみ上げる。もっとも、そんなことしたらこのマスターはへそを曲げてしまうため、苦労してそれを飲み込んだ。
「バイトに行く途中。たまたまアンタを見かけたんでな、声を掛けてみただけだ」
「……………………バイ、ト………………」
一瞬呆然とした後、バゼットは難しい顔をして考え込んだ。早く仕事を見つけないと、と小さく呟く声が聞こえてくる。だいたい何を考えているかは丸わかりだが、そこを突っ込んだところで話はきっと平行線だろう。
「で、アンタは何をしてるんだ?」
思考に没頭しているバゼットを引き戻す。こいつのことだ、このままじゃいろいろな事を悲観し始め、挙句の果てには自棄を起こしかねない。一端その状態に突入したバゼットを呼び戻すのに相当苦労した数日間の記憶が、少し蘇りそうになった。
「待ち合わせです。働き口について士郎君に相談したら、心当たりがあるとかで」
「あの小僧とか。の割には坊主の姿が見えないが」
「凛が緊急の用事があるらしく、少し遅れると連絡がありました」
いつもの落ち着いた声だが、ほんの少し、気をつけていなければ聞き逃してしまうくらいにわずかに面白くなさそうな響きが交じっていた。ああ、またか、と。ランサーは心の中で呟いて目を細めた。
バゼットはどうも、家主であり恩人であるという以上にあの衛宮士郎を気にかけている節がある。理由は――もう考えるまでもなく明白だ。……廻り続けた四日間、『衛宮士郎』として在り続けた存在。そもそも、彼女があの家を一時的な住居として選んだのも、そのことが一因としてあるのだろう。既にいない存在を、未だに彼女は探している。どこかに、わずかでも、あの数日の断片でも残されていないかと。
……ああ、くそ。こっちこそ面白くねえ。
「そうか。じゃ、もうオレは行くわ」
「え、も、もうですか?」
苛立ちを振り払うように踵を返しかけたが、歩みはすぐに引き止められた。足を止め、視線を向ける。思いがけない言葉に驚いたのは事実だが、どうやら、バゼット自身が一番そうであるらしかった。明らかに慌てた様子の彼女に、表情だけで問いかけると、さらに狼狽を強めてバゼットは言い募った。
「あの、特に用事はないのですが……ただ、折角会ったのですから、このまま別れるのも……いえ、仕事へ行く途中でしたね、引き止めてしまってすみません」
「……何一人で納得してやがる」
呆れた声と共に、今度こそ堪え切れなかった苦笑を零す。幸いなことに、俯いているバゼットには口元に浮かんだ笑みは見えなかったようだった。
「ま、このオレともう少し一緒にいたい、と。そういうことならもちっとくらいなら時間あるぜ」
「な……! 私は、そんな、」
「何だ違うのか。それじゃあもう行くぞ」
「……いえ、違わなくは……ないんですが……」
何と続ければいいのか考えているのか、バゼットは歯切れ悪く口ごもった。そのまま黙り込みそうな彼女の様子に、これじゃ埒が明かないと、ランサーは軽い口調で話を振った。
「それで、その小僧の『心当たり』ってのはどんなとこなんだ?」
「え? ……ああ、確か」
思考に没頭していたのか、一瞬話を振られたことに気づかなかったらしい。
「彼のアルバイト先の知り合いの飲食店で急に人が足りなくなったらしく、臨時採用でもよければ、という話でした」
「てことはサービス業か。あんまりアンタに向いていないような気がするんだが」
接客業には、礼儀正しさ・愛想のよさ・話術などイロイロなものが要求される。礼儀正しさはともかく、その諸々の要素が悉くバゼットにかけているようであるのは、おそらく気のせいではあるまい。
「やってみなければわかりません。何事も経験ですから」
「やってみなくてもわかると思うが……ま、とりあえず頑張ってみろ」
「ええ、そのつもりです。必ず近いうちに正式な職を得てみせます」
結構な確率で空回りしそうな危うい熱意を込めて、大きく頷く。そして、力強くバゼットは言葉を継いだ。
「仕事が無事見つかった暁には、必ず貴方を迎えに行きます」
「はぁッ?!」
半ば無意識のうちに口にくわえていた煙草を、思わず取り落としそうになった。バゼットを見返すと、赤みがかった双眸と真正面からぶつかった。その瞳には、混じりけなしの真剣な色が浮かんでいた。そう純粋に自分を必要としてくれるのは悪い気分ではない。けしてそうではないのだが。
……オイオイ、そんな言葉は普通男が言うもんじゃねえか?
作品名:Anytime smokin' Cigarette. 作家名:緋之元