精霊の黄昏SSログ
キリリク
ちらちらとまぶたを通して感じる光によって、強制的に意識が眠りから呼び覚まされた。冷たすぎず、暑すぎもしない心地よい風が頬をなですぎていく。
だがまだ意識は間善意晴れ渡っているわけではなく、ぼんやりとしたままで、体も全身を強い倦怠感によって包まれていた。腕はおろか指先すら動かすのもひどく億劫。
それでも閉じた視界に相変わらずちらちらと送り込まれるまぶしさに耐えかねて、ようやく重いまぶたをこじ開けた。と、いきなり視界に飛び込んできたのがいつものような燦々と降り注ぐ朝日と、いつもならあるはずのない浅黒くたくましい腕。
その腕を見つけて、一瞬動き始めたばかりのまだるい思考がとまった。これはいったいなんだろう?
まだ感覚の鈍い指先でまさぐっていくと、やがて彼の程よく筋肉に覆われた肩にたどり着き、そして普通の人間にはない硬い突起に突き当たる。肩から生えたそれが、角のひとつであると気づくと同時。
「目が覚めたか?」
ちょうど自分の頭上付近から降ってきた低音に、視線を誘われた。
そこには慣れ親しんだ顔があった。しかしその姿に、自分は首をかしげずにはいられなかった。
「ダーク、何か悪いものでも食べたのか?」
尋ねると、ダークの額に血管が走った。
眠りから覚めての一発目にそんなことを言われたのでは誰だって怒るだろう。が、そのときの自分にはそれ以外何も考える余裕などなかった。寝ぼけていたせいもあるのかもしれないが、そのときのダークの表情に他の人間にはわからないだろう衝撃を受けていたからだ。なぜなら、あのダークが笑っていたから。
しかも今は青筋を浮かべながらも、その不自然な笑顔を崩さないという彼にしてはとても器用な真似をやってのけている。これで何か変なものでも食べたのじゃなければいったい彼に何が起こったというのだろう。
「カーグ、今日は何でも言ってくれ。お前が望むことなら何でもしてやる」
その上さらに、普段の彼ならありえないことを続けて言ってきて。
「一体どうしたんだ急に?変なもの食べたんじゃないとしたら、頭でも打ったのか?」
ますます青筋が増えた。
「いいから、何かないのか?」
重ねて問われて、とりあえず起きぬけで喉が渇いていたから水を頼んだ。すると彼はすぐに戻ると言って部屋を出て行く。
その間に自分はベッドから降りて辺りを見回した。そこは見慣れない部屋だった。まだ新しく、息を吸い込むと朝のさわやかな風と共に周囲を囲む木材のいい香りが胸を満たす。
一体ここはどこだろう?そしていつの間に自分は家からこんなところに移動してしまったのだろう?まったく昨日の夜からの記憶が無いので、わからない。
とりあえず何かわかるだろうかと思って、窓に近寄った時。
ガチャリと背後で扉が開いて振り返ると、ダークが片手にグラスを持ってそこに立っていた。
「持ってきたぞ、飲め」
と、優しいのだかぶっきらぼうなのだかよく分からない態度で、こちらに水の入ったグラスを押し付ける。
まあ、せっかくダークが汲んできてくれたらしいので、ありがたく自分は口をつけた。水はとても冷たくておいしかった。ただ、ユーベルでいつも飲んでいる水とは多少味が違うようだが気のせいだろうか。そういえば、ここがどこなのか確かめていない。
「なあ、ダーク…」
外を見ればいいとは思ったが、考えてみればダークに聞いてしまうほうが手っ取り早いと気付いて、視線を彼に向けたのだが、一瞬そこで自分は動きが止まってしまった。
ダークが、じっと自分が水を飲むのを見つめていた。
「ダーク、あのそんなに見つめられるとちょっと恥ずかしいと言うか…」
「気にするな。それよりも他に何かないのか?」
また更に問われて、質問する機会を逸してしまう。ちょうどそこで流し込まれた冷たい水に刺激を受けた胃が、恥ずかしげもなく高い音を立てた。
「そういえば腹が減ったな。少し待っていろ。何か作ってやる」
そのダークの台詞に、自分は耳を疑った。
「ダークが作るのか!?ポーレットは!?」
ダークが料理をする。そんな姿など想像ができなかった。それにこういうとき、いつも料理をしていたのはポーレットだったし、ついいつもの癖で彼女の名前を出してしまう。
だが、ダークがポーレットの名前を聞いた途端、むっと眉間を寄せた。
「この状況であの女の話を出すのかお前は」
ダークがあまりポーレットのことをよく思っていないのは知っていた。理由は分からないが、なぜか犬猿の仲なのだ。むしろ一方的にダークがポーレットを嫌っているような気がしないでもないのだが。
とにかく、ここにはポーレットはいないらしく、そうすると他の、皆もいない可能性が高い。なにしろここは自分の見たことのない場所なのだ。ユーベルではない。
とすると、ダークの機嫌を損ねると朝食にありつけない可能性も出てくるわけで。
「いやでも、お前料理なんてできるのか?」
「問題ない」
慌てて取り繕うと、ダークは平然とそう言って、再び部屋を出て行った。
「なんだか、すごく不安だ…」
以前自分が試しに何か作ってみようとした時のことを思い出す。そのときはもう全部黒焦げになったりどろどろになったりで、何がなんだかわからないものばかりが出来上がってしまった。ダークが自分の弟だと言うことを考えると、あまり期待できそうには無かった。
だが、その考えは約30分後、ことごとく覆された。
短時間で作ったらしく、皿の数も少ないしその内容は平凡なものだったが、その全てが、みごとに食欲をそそる出来栄えだった。朝食と言うことを考えれば、十分すぎるくらいだ。
「人は見かけに寄らないって本当だったんだな……」
「伊達にギドのところで小間使いしてたわけじゃないからな」
それを聞いてなるほどと思う。ダークの過去はある程度は教えてもらった。自分とは違ってひどく苦労してきたのだと言うこと。その中で、こういったことも覚えたのだろう。
さっそく、目の前に置かれた皿の一つを取って、口に運ぶ。
「うん、うまい!」
自然と、賛辞がこぼれた。
ダークが料理上手なんて一口食べた今の時点でさえ信じがたいが、味は文句なしだ。すぐに平らげてしまっておかわりも頼もうかと彼を見た。
そこでまた、さらに意外なものを、自分は見てしまった。本日2度目のダークの微笑だ。1度ならまだいい。珍しいこともあるものだで済む。でも、それが1日に2度もしかもこんな朝っぱらから続くなんて、やっぱりおかしい。
「…やっぱり今日のお前気味が悪いぞ?」
しかしそう言ったところでダークには気のせいだと一蹴されてしまった。
「それより、ついてるぞ」
ダークに言われて一体何のことだと思う間に、気がつくとダークの顔がすぐ側。ぎょっと身を引こうとしたが、そうする前に濡れた舌と唇の感覚が自分の唇の端を襲った。
思わず椅子を蹴立てて立ち上がり、唇を押さえてしまう。
ダークはだが、平然と舐め取ったトマトソースを嚥下している。
「何を今更驚く」
とまで言う。自分はと言えば今朝からありえないことばかりが立て続けに起こってもう頭はパニック寸前なのに。
とにかく、気を落ち着けようと一度息を吸い込んで席に戻る。