チビエド事件簿
……
涙失くすほど強くなくてもいい
疲れた心休ませてね
素敵な 明日を願い
眠りについて
小さな子供のように…… (Motherland Crystal Kay)
ノイズ混じりの澄んだ歌声。
どこか懐かしいその声に、エドワードは導かれる。意識は依然緩やかな波に漂い、なかなか浮上しようとはしない。体全部が重たくて、ほんのちょっと動かすのさえも億劫だった。それでも、歌声はエドワードを誘った。だから、エドワードは重たい両目蓋を開いた。
視界に飛び込んできたのは、眼を射るような光の筋。目を開けたばかりなのにエドワードはまた閉じなければなかった。
自然の光ではない、人口の明かり。何度か瞬きしても慣れなくて痛い。でも、その光が当たるところ以外は真っ暗で、天井は見えないほど高かった。
「やあ、お目覚めのようだね」
光の向こうから、そんな高く上ずった男の声が聞こえた。どこかで聞いたことがあるのか、記憶に引っかかる声だ。
エドワードは未だ朦朧とする記憶の中に、その声の持ち主を探す。
ちらちらと脳裏によみがえるのは、白いシャツとアイボリーのパンツ。いつも重たい本を何冊も抱えていて、エドワードをみつけるとそそくさと逃げ出す。
はっと気付いた。
「てめぇ、図書館にいた司書じゃねぇか! オレをどうするつもり!!」
ガタン、と派手に音が鳴った。
立ち上がろうとしたエドワードは立ち上がることができなかった。
ひょろ長い青年は、そんなエドワードに焦り、慌てて駆け寄った。
「ああ、もう少しおとなしくしておいておくれよ、テディ。もうちょっとで準備が終わるんだから」
「誰がテディだ!」
「よし、これでいいかな」
「おい、きいてんのか!」
「だめだよテディ。君はそんな乱暴な口を利いちゃ」
「うるせぇ、オレの勝手だ! それより」
「ああ、そんなにあばれちゃまたドレスがしわになっちゃうじゃないか」
「だからなんでオレがこんなひらひらなドレス着せられて椅子に縛り付けられてなきゃないんだ!!」
エドワードは絶叫した。
その格好は、まさしくおてんばが過ぎて椅子に縛り付けられてお仕置きされてる一昔前のじゃじゃ馬娘である。
きらりと、青年の眼鏡がライトに反射した。
「それはもちろん、その格好が君にとっても似合うからに決まっているじゃないか!」
青年はエドワードの絶叫に負けず劣らずの大声で、変なポーズまでつけて一人恍惚とした。
そこまでいっちゃっていると、逆に聞いた方が呆れてしまう。まさしく、聞いたオレがばかでしたという心境だ。
だが、今のエドワードはそれで納得するわけには行かない。
「ああ、もうオレをどうするつもりだ!」
恍惚としていた青年がくるりと首だけをエドワードの方にめぐらせ、そしてにっと口の端を吊り上げた。
「どうって、君を愛してあげるに決まっているじゃないか! 初めて図書館で君を見たときから、この子だと直感したんだ! しかも、君は今もっとボク好みの格好でボクの前に現れてくれた! これが運命でないとしたら、何だって言うんだ!」
勢いよく青年はエドワードに抱きついた。
その瞬間、声にならない悲鳴がエドワードから上がった。椅子に縛り付けられているエドワードは避けることができない。愛しげに頬摺り寄せてくる青年から、全身に鳥肌を立てながら必至で顔を遠ざけようとしている。
エドワードはどうしてこうなってしまったのか、冷や汗が流れ落ちる頭の中で必死になって考えた。
たしか大通りでこいつに迷子と間違われて路地裏に連れ込まれて、そしたら何かかがされてこうなってしまったのだ。つまり、誘拐された?
ああ、なんという失態だ。いつもだったらこんなあほくさい状態になんてならなかったはずなのに! そもそも、アルフォンスが変な錬成をしたのが悪い。もしあんなことがなかったら、万が一誘拐されていたとしても今頃この男ぐらいエドワード一人で片付けられたはずだ。帰ったら、こっぴどくしかってやらなければ。
だが、今はそれよりもこの男だ。せめて、はぁはぁと荒い呼吸を繰り返しながら頬を摺り寄せてくるのはやめろ!
そう叫びたかったのに、身構えたエドワードはそのまま続けられた男の言葉に硬直していた。
「やっぱり本物はいいねぇ…。君と同じ愛称の子を身代わりにしてみたんだけど、やっぱり君よりはかわいくなくってねぇ……。つまらないから壊しちゃったよ」
身代わりの子供?
エドワードの頭の中にある光景がフラッシュバックする。公園に群れる人だかり。エドワードにはなにも見せないように遠ざけようとしたおばさん。ホークアイ中尉の報告。
「まさか…」
「たしか、彼はセオドア君って言ったかな。君もおとなしくしていてくれないと、彼と同じ目にあうかもしれないよ」
ちかりと青年の手元と眼鏡が光った。その手の中には銀色に光る出刃包丁。それが動けないエドワードの首に突きつけられる。
「ほんのちょっとでいいんだよ。僕だって、君を壊しちゃうのはもったいないしね」
気色の悪いトカゲみたいな笑い。
恐怖ではなく、怒りと嫌悪だけがエドワードの中にこみ上げてくる。
男が黙り込んだエドワードに抵抗の意思がないと思い込んだのか、嘲笑だけを残して踵を返す。
その瞬間にできた隙をエドワードは逃さなかった。
「ぎぇぁっ!」
男はつぶれたかえるみたいな悲鳴を上げて地面に倒れこんだ。
縛り付けられていなかったエドワードの足、しかも鋼鉄の左足が空気のうなりと共に男の股間にクリーンヒットしたのである。脂汗をにじませ、両目を見開いて男は悶絶していた。その顔に更に椅子をぐらつかせた勢いと共にエドワードの蹴りがめり込んだ。
包丁が手から放される。エドワードは椅子ごとそれに飛びついた。そのとき運悪く椅子の脚が男の鳩尾に追撃を加え、更に男は悶絶した。
その隙に、エドワードは口にくわえた包丁で器用に縄を切る。ようやく自由になり、ぐるぐると腕を回して身体をほぐす。服もどうにかしたかったが、自分の服が見当たらないのでどうしようもない。
それに、そんなことよりも今はやることがあった。
エドワードは振り返ろうとした。だがその瞬間、唸りを上げる風を聞いた。
光の塊がエドワードの頭上に降りかかり、次の瞬間鼓膜を突く破壊音と共に光とガラスが砕け散る。間一髪でスポットライトの直撃を避けたエドワードの顔に、飛び散ったガラスが傷を作った。
「ああ、君がおとなしくしてくれないから、せっかくの可愛い顔に傷ができちゃったじゃないか」
ぜいぜいと、荒い呼吸と笑い声が訪れた闇の中に響く。
男が壊れたスポットライトを抱え、エドワードに焦点の定まらない両目を向けていた。
「おとなしくしててくれれば、ボクだってこんなことしないのにさぁ…。ねえ、テディ!!」
スポットライトの軸が空を薙ぐ。大降りのそれを余裕で飛んで避け、エドワードは男との間に距離を開ける。
スポットライトは十分に長く、重さがある。直撃すれば小さなエドワードではひとたまりもないだろう。だが、男はそれをただ振り回すだけで有効に使えるわけではない。
鼻で笑うエドワードの嘲りが、男の怒りを誘った。