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改・スタイルズ荘の怪事件

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0,1章


大陸とイギリスを結ぶ唯一の道であるリニアレイルの上を、一群の列車が疾走していた。
先頭を行くのは大陸鉄道に所属する護衛車。本当に襲われれば一分と持たない貧相な武装を青色の塗料で誤魔化した、「青ざめた馬」と陰で呼ばれている車両だ。
その次に行くのは、先頭車両の三倍の長さを誇る大物。持ち主は北アメリカ区の大富豪で、その外装には生体加工業でなした財が惜しげもなく詰め込まれている。黄金と大理石で形作られた脆いボディをわざわざ透明な強化装甲でおおった彼の愛車は、さながら動く神殿を思わせる。
三から五番目までは統合政府の公用車で、黒塗りの車体が周囲を威圧するかのように、夕日の光を浴びて鈍い光沢を示している。残りの六から十一までは、私人や旅行会社が観光用に仕立てた大した特徴もない車両だった。
そのため、先を走る機体の中にいる乗客より、七台目を走る平凡なメタリックグレイの車両の中にいる人物が、この一群の中で最も重要な存在であることを知る者は、乗客の中にはほとんどいなかった。
特注で作らせた完璧なシンメトリーの車の中で、その最重要人物は今まさに外へと意識を向けようとしていた。自分の車が到着に備えて減速に入ったのを、その二つの耳ではっきり知覚したのだ。
「これで終わりにしようか。ミス・レモン。」
車両を統括するAIであるミス・レモンは、仕事の終了を告げられると、主人が乗車中に処理した案件がちょうど三百であることに人間でいうところの驚嘆にあたる判断を下した。
「少し働きすぎたかな。」
「いいえ。その評価は正しくありません、我が主。あなたが三時間で処理した仕事量は平均的な頭脳労働者の五十年分に相当します。」
我が主と呼ばれた人物はそれを聞いて鼻をならした。一瞬だが、機械【ミス・レモン】に馬鹿にされたのかと思ったからだ。もちろん、三原則【オーダー】に縛られたミス・レモンには、そんな行動が出来るはずもない。
「英雄【アルゴノイタイ】と人間では尺度が違う。それだけの話さ。」
世界の四分の三を支配する統合政府【ガバメント】。それを運営するのは選挙で選ばれた議員たちとされているが、実際のところは、三十万を超える官僚たちが実権の全てを掌握している。その官僚群の頂点の一人、世界の支配者、人にして神代の名を有する者。それがここにいる英雄だった。
英雄は前方のスクリーンに移しだされた目的地へと視線を移すと、自分の姿勢に合わせて変化する椅子に深く身体を沈みこませた。
イギリス特別自治区。先の大戦での共和国【リ・パブリック】の中心地であり、統合政府に敗北後、技術閉鎖により二十世紀初期に巻き戻された世界の化石だ。
だがそれ故に、完全な社会管理を成功させつつ統合政府を嫌う人間や、法の外に出た享楽を望む金持ちどもを惹きつけてやまない背徳の楽園。それが英雄の旅の目的地だった。
「通信制限領域まで残り二分を切りました。イギリス潜入時の偽名の登録をお願いします。」
沈黙。ミス・レモンは人間風に言えば困惑した。主が自分の問いかけに十秒以上の時間をかけたのは、記憶する限りで初めてのことだったからだ。かつて彼女と主が戦ったときすら、こんなことは起きなかったというのに。
「私の経歴はかつてのフランス語圏に集中していたね。」
「はい。ベルギー区で出生した後、フランス区で二年間、治安部門の担当者であったことになっています。」
「それなら私の名前をフランス読みしてくれれば結構だ。称号もそれに倣うようにしてくれたまえ。」
「はい。いいえ。個人名を特定する可能性のある偽名は極力避けるべきであると判断します。まだ、偽名の変更は可能ですが。」
「だから少し迷った。そういうことだよ。」
英雄に選ばれた従者として、ミス・レモンは全てを了解した。危険を恐れる英雄はいない。それだけのことだ。
「はい。それではエルキュール・ポアロ、どうか、よい旅路を。」