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改・スタイルズ荘の怪事件

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地上に降りて何本か道を曲がると、工場の一角に白いシトロエンが駐車しているのが見えた。これも夫人からのプレゼントなのだろう。わたしは素早く車のドアを開いて、レディーファーストを気取ってみた。一度やってみたかったのだ。
「まさか知り合いだったなんて。」
助手席に座ったシンシアが言った。それほど含意はない口調である。
「軍務についていれば色々なモノと出会いますよ。それに向こうでもポアロはなかなかの名士でしてね。」
わたしは帰り道の間ずっと、自分とエルキュール・ポアロが立てたさまざまな手柄を話した。ポアロと自分の立場を逆にはしたが、この場合は仕方がなかったと思う。
わたしたちがなごやかな雰囲気で玄関のドアをくぐると、ちょうどイングルソープ夫人が書斎【ラボ】から出てくるところだった。
「おや、君たちか。」
その表情は冷え冷えとして、他人のわたしがおいそれと話かけられる空気ではない。
「何かあったんですか。おば様。」
「べつに。」
家族でも無理だったようだ。
「何もないよ。」
夫人はそれだけ言うと、食堂の近くにいた文化女中器のドーカスを呼びとめ、ラボに切手を持ってくるように命じた。
「かしこまりました。」
「おば様、ちょっとお休みになって下さい。お疲れなんじゃないですか。」
奥に消えるドーカスと入れ替わりに、シンシアが心配そうに話しかける。今度は夫人も薄く笑った。
「もう徹夜をごまかせない歳になったか。まあ、夕食が済んだらすぐ寝むるさ。今日中に読んでおきたいレポートを読み終わったら。」
ラボに戻っていく夫人の背中を見ながら、シンシアは疑問を口にした。
「徹夜なんて効率の悪いことする人じゃないんだけど。」
家族に分からないものがわたしに分かる道理も無い。首をかしげるシンシアと別れて部屋に引き上げようとすると、ちょうど二階からメアリが降りてきた。彼女は妙に慌てた様子で、何かを探すように顔を左右に動かしている。
「バウアスタイン博士との散歩はいかがでしたか。」
「お義母様はどこかしら。」
どうやら彼女はわたしの声が聞こえなかったらしい。気が気でないということなのだろう。わたしは素直に質問に答えた。
「書斎だそうですよ。」
それを聞いた彼女は握り締めた両手を胸の前で軽く振り、よしっ、とばかりに気合を入れると、ホールを横切って書斎に入っていった。
わたしは気になって耳の感度を上げてみたが、部屋にはかなり厳重な防音処理がほどこされおり、ノイズをつぎはぎして内容を想像するのが限界だった。
「じゃあ、駄目ってことですね。」
メアリの声にはまるで抑揚というものがなく、今にも泣きそうな自分を必死にこらえているかのようだった。
「必要が無いからね。これはあの件とは別件だから。」
「それだったら──」
「君が思ってるようなものじゃないんだ。君には本当に関係ないんだ。」
「この分からず屋。そうやってあの人を庇うんですね。」
精一杯の毒を込めてメアリは言い捨てたようだ。
そこまで聞いたところで、ゴーグルをつけたシンシアが戻ってきて盗み聞きは不可能になった。耳の感度を上げているときのわたしは、外から見ると酷く間が抜けているのだ。
「今、ドーカスのアーカイブを見てきたんですけど、派手な喧嘩があったみたい。」
「喧嘩ですか。」
「おば様と彼がやりあったの。二人の口論なんて始めてかもしれないわ。」
「夫婦をやっていれば、喧嘩の一つくらいありそうなものですけどね。」
「エミリーおば様は人に逆らわれるのが嫌いだから。たぶん、彼は追い出されることになると思うわ。」
シンシアの憶測は当たりそうにわたしにも思えた。英雄の決断は常に果断なのだ。
もはや階段の横にいる理由もない。わたしはシンシアを応接間に誘った。だが、そこには既に先客があった。ミスター・イングルソープである。
夫人と離れて一人のときの彼の寄る辺なさは、妙にわたしを不安にさせた。夕食まで、わたしたち三人は仲良く話し合ったが、その中身の無さには愕然とするものがあった。
その日の夕食の席に最後に現れたのはイングルソープ夫人だった。夫人の静かな苛立ちは、食卓の会話をほぼ根絶していたが、夫の方は昨日と同様に甲斐甲斐しい世話を妻に向けていた。わたしには彼のどこに夫人と喧嘩するほどの気力が存在するのか疑問だった。あるいは、喧嘩することも夫としての役割か何かなのだろうか。彼の姿を見ているとそんな馬鹿げた問いすら思い浮かぶ。
「メアリ、コーヒーを入れといてくれるかな。ドーカスには出せない濃いやつを。」
食後酒もそこそこに夫人はラボに戻るつもりのようだった。昨日はシンシアに入れさせていたことを考えると、これはある種の確認でもあるのだろう。無言でコーヒーを入れにいったメアリが、わたし達の分も用意してきたのは、彼女なりの意地なのかもしれない。
夫人はそれを白けたような顔で眺めた後、何も言わずに席を立った。その後ろを夫がコーヒーカップを持って追いかけていく。
わたしがは言いたげにシンシアを見つめたが、彼女の方もよく分からないという顔をしていた。夫婦の仲は、外からでは分からないということなのだろう。
わたしとシンシアが応接間に移動しようとすると、カウンデイッシュ夫妻もそれにならった。わたしたちはそれぞれのコーヒーを手に持ちながら、妙にゆっくりと短い距離を歩いていく。
応接間の窓を開けると涼しげな風が入り込み、夫人のせいで張り詰めた神経が癒される心地がした。わたしたちは窓から見える月を眺め、森のざわめきに耳を傾けた。大陸では望むべくも無い実に素晴らしい夜だった。
しばらくして、この調和に満ちた時間を打ち破ったのは、遠くから聞こえてきたバウアスタイン博士の声だった。
「珍しいですね、こんな時間に。」
言葉の内容とは裏腹にメアリの様子は不審ではなく喜びに満ち、頬には血が上っている。
メアリがいそいそと博士を応接間に案内してきた。見ると、博士は全身が泥にまみれ、本人もそれを気にしている様子だが、メアリはそれでも彼の近くに居たいらしい。
「これは博士、どうしたんです。」
二階から降りてきたアルフレッドが聞いた。
「好奇心は何とやら、というやつですよ。池の近くで珍しいものを見かけて、手を伸ばしてみたらこの有様です。」
そう言って博士がおどけて見せると、ほぼ同じタイミングでイングルソープ夫人の声がホールから聞こえてきた。
「シンシア、寝る前に確認しておきたいことがあるんだけど。」
シンシアが応接間を出ていくとき、開いた扉からイングルソープ夫人の姿が見えた。わたしは彼女のなみなみと注がれたコーヒーカップが気に掛かったが、隣にいたジョンは夫人の少しばかり大胆な寝巻きが気になったようだった。
気を取り直してお茶会を再開すると、バウアスタイン博士はなかなか味のある人物だった。
「政府の犬など信頼に値しませんが、それはそれとして上手くやっていきましょう。」
笑顔で握手を求めてくる人間の台詞ではないが、博士の心情から言えば正直なところだろうから拒否する理由もない。
「こちらこそ、あなたの様な無能な科学者に時間を割けて光栄です。」