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改・スタイルズ荘の怪事件

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「工場は危険が多いですし、視野の広さも考えて作業時以外は、おば様のくれたコンタクトをつけてるんです。ちょっと見え過ぎて落ち着かないから、家ではゴーグルなんですけどね。」
何か恐ろしい倒錯を感じるが、気にしないことにする。いくらコネクションがあるとはいえ、夫人のシンシアへの愛情をうかがわせる心温まるエピソードというやつだ。言うまでもないが、野暮ったいゴーグルを外した彼女は、魅力に溢れた美しい女性だった。
軽く内部を案内された後、わたしはシンシアの仕事場に招待された。そこはサッカー場の半分ほどの広さに、作業場と事務机のスペースが大まかに区分けされたような一角だった。
「町工場みたいですね。わたしは実物を見たことはありませんが。」
彼女はその言葉を聞いて見るからにはにかんだ。
「まさにそういうイメージで配置したんです。おば様の工場は素晴らしいけど、少し人間味に欠けるところがあるでしょう?」
少し見方を変えれば、ドールハウスのレイアウトを語る少女の様だと考えられないこともない。
溶接をしていた体格のいい老人が、こちらに気づいて会釈をしてきた。威圧的な印象を受けたが、シンシアに”師匠”と呼ばれると、一気に顔が好々爺へと変じたので、牽制の一種だったのだろう。
事務机のスペースの方にあるソファに二人して向かい合う様に座ると、何かを言う前から近くにいた無骨な若者がお茶を出してきた。それを当然のことのように受け止めるシンシアを見て、わたしは彼女がこの工場の責任者であるという話を思い出した。
「しかし、すごい煙突の数ですね。」
シンシアは意地悪そうに笑った。そうすると、血のつながらないはずのエミリー・イングルソープに似ているように見えるから不思議なものだ。
「ここに来た人はみんな同じことを言いますね。”すごい煙突の数だ”と言わない人がいたら、賞金を出してもいいぐらい。」
「それは惜しいことをしました。けど、そのルールはフェアじゃないですよ。」
「”どれくらいの人を搾取しているんです”」
わたしは天井を見上げた。次に言おうと思っていた言葉を取られたからだ。
「そこまで自分が単純だというのはショックですね。」
「そうですか、素直な人って素敵ですよ。わたしなんて、ほんとうは今日いないことになってるんです。まあ、そのお陰でヘイスティングズさんとデート出来たのだから、大目に見てくれるとは思うのだけど。」
彼女は悪戯めいた調子で言った。こうして見ると、シンシアは思った以上に若いのかもしれない。
「仕事だけが人生ではありません。」
「それは少しずるくないですか。軍人さんにそう言われたら、わたしには反論出来ません。」
「人の言葉を奪った復讐ですよ。」
わたしたちは二人して見つめ合うとクスクス笑った。なごやかなお茶の時間はゆったりと過ぎた。彼女の知性は大したもので、大陸でも検索機関に無しにこれほどの教養を披露できる人間は稀だった。自分の冗談を検索されることほど冷めるものはない。わたしの口からは数年来のとっておきが次々と飛び出し、彼女もそれを聞いて存分に笑い声を上げてくれた。
「いっしょに上に登ってみませんか。風向きが良ければ、ここら一帯が見渡せるんですよ。」
エレベーターと階段を使って一番高い煙突の上まで登ってみると、そこには既に先客がいた。その後ろ姿を見て、わたしは自分の顔が引きつるのを感じた。先客はこちらを振り向くと歓声をあげて、わたしを思いっきり抱きしめた。
「わが友、ヘイスティングズ。ヘイスティングズじゃありませんか。」
わたしたちの体格差ではポアロが抱擁しようとすれば、その身体は完璧にシンシアの死角に入る。ポアロはそれを良いことに、こちらの足を思いっきり踏みにじった。たぶん、シンシアとわたしが手をつないでいたのが気に喰わなかったのだろう。
「ポアロ──」
わたしもつい大声をあげた。実際、驚いていたのだ。後ろ姿を見た時点で分かってはいたが、計画では二人の再会は二週間ほど後のはずだった。スタイルズ荘の面々にわたしがポアロの偉業を周知した後、彼女が颯爽と登場する予定だったのである。
「驚いたな。思いがけない人に会いましたよ。ミス・シンシア。こちらはエルキュール・ポアロ、何年ぶりになるかな。」
わたしの言葉に促されて、彼女もまたポアロの姿を目に捉えた。
「わたしもソレのことなら存じています。お知り合いだとは知りませんでした。」
「実はそうなんです。」
ポアロはソレ呼ばわりも気にしない様子で言った。クメルであるということは、一面においてそういうことなのだ。
「マドマアゼル・シンシアのことは存じています。わたしがいまこうしていられるのは、あの親切なイングルソープ夫人のおかげですから。」
「おば様はクメルにもお優しい方ですから。大陸から逃げてきたクメルたちにも色々と便宜を図っているんです。」
シンシアはこれ以上ポアロに喋らせまいとするかのように、会話を強引に引き継いできた。大陸にいればクメルは手厚い保障こそ受けられるものの、それは厳しい制約と隣合わせでもある。
特にクメルには定住が禁止されており、終いの住処を求めるというのが、イギリスやアフリカへの逃亡の最大の理由のようだ。もちろん、そこでも迫害が止むわけではないのだが。
「あの方は私たち七人の救世主ですね。」
ポアロの言葉はまるでシンシアとの会話のようだった。シンシアはこれ見よがしに顔をしかめたが、それ以上の行動は何もしなかった。わたしはシンシアの開けた態度に感心した。人が人なら蹴りの二、三発がポアロの腹に決まっていてもおかしくは無い場面である。ポアロもそう思っているようで、それ以上はそちら側にちょっかいをかけることはしなかった。
「ボクは今、あそこに住んでいるんですよ。」
そう言ってポアロが指差したのは、工場の近くに建てられたみすぼらしいバラックの集まりだった。周辺から仕事を求めて集まってきた労働者が作ったドヤ街でだ。その外延部にある妙にけばけばしい小屋がポアロの今の家らしい。
「拝み屋とでも呼ぶんでしょうかね。ボクが来てすぐに評判が広まって、それで特別に工場に雇われたんです。いわゆる二束のわらじというやつですよ。」
ポアロは声こそ今にも自慢話を始めそうだったが、シンシアから隠れた左手によるハンドサインでは別の意見が垂れ流されている。ポアロの正体を考えれば無理もないとはいえ、人の愚痴を聞いて楽しい人間はいない。わたしはへきへきして後ろで黙りこんでいるシンシアに話しかけた。
「ミス・シンシア、それは賢明な判断だと思いますよ。昨日、少しお話しましたが、第八区時代に感心した刑事というのは、まさにポアロのことなんです。」
「あら、本当に奇遇ってあるものですね。是非、そのお話をお聞きしたいです。帰りの車の中で。」
わたしはポアロを近いうちに訪ねると約束すると、この場を離れたがっていることを隠さなくなってきたシンシアと共に屋上を後にする。ポアロは帽子を持ちあげて笑顔で会釈していたが、視線はわたしの手にずっと注がれていた。