改・スタイルズ荘の怪事件
「調べれば分かることだが、エヴィはその夜に宿のトランプ大会で一財産を築いている。もちろん替え玉の可能性はあるが、彼女の運の太さは近隣に名を轟かせるほどらしいからね。ほぼ本人と見て間違いないんじゃないかな。」
「そうですか。」
わたしはそれを聞いて少々面食らった。確かにポーカーフェイスを地で行ってはいるが、あの細腕で次々と運をたぐり寄せていくエヴィを想像するのは難しい。あるいは、その意外性こそが勝利の秘訣なのだろうか。
「実は彼女はアルフレッドを殺そうとして、間違って夫人に毒を盛ってしまったのではないかと思ったんです。エヴィの彼への悪意はちょっと強烈ですから。馬鹿馬鹿しい想像ですが、毒殺ならそういうことも起こりうる。」
ポアロが急に顔を、わたしの背中に強く押し付けてくる。隠そうとしているのだろうが、笑っているのは明白だった。
「標的は夫人ではなかったか。さすが‘ヘイスティングズ‘というべきなのかな。ところで、ミス・ハワードが殺意をもって夫人を殺さないと考える根拠はあるの?」
思わず、わたしは眉をよせた。
「あれほど親身になって尽くしていたんですよ。」
耳たぶに軽い痛みが走った。たぶん、ポアロに噛まれたのだ。
「また、そんな子供みたいなことを。夫人は彼女の雇い主なんだよ。得になるなら、いくらだって忠義を振りまくさ。逆説的に言えば、夫人を殺して得がなければエヴィに殺人の動機は無いということだけどね。」
「夫人が彼女に有利な遺言を作っていたのかもしれません。」
「ボクは必要以上に遺言状について検索することに意味があるとは思えないな。」
ポアロははっきりとそう断言した。そこまで言われれば、納得するしかない。わたし自身、心のどこかではそのような気がしてもいた。
「そういうことなら、ミス・ハワードは除外します。ですが、わたしの嫌疑のいくらはあなたに責任があるんですよ。審問についてのあなたの言葉に影響を受けたんですから。」
ポアロはさも心外そうな声で聞いてきた。
「検死審問での彼女の証言?ボクが何を言ったっていうんだ。」
「わたしがジョン・カウンディッシュと彼女の証言だけは信頼できると言ったときですよ。」
「そんなこともあったかな。」
ポアロはそれだけ言うと黙り込んでしまった。彼女が次に口を開いたのは、わたしたちが目的地の近くに着いたときだった。結局のところ、タドミンスターとはロンドン郊外の愛称か何かだったようだ。
彼女が指示した場所には、最近何処かで見たような、成金趣味丸出しの大豪邸が建っていた。ポアロは何も言わずわたしの背中から飛び降りると、一時間ほど戻ってこなかった。
帰ってきたとき、ポアロの足取りは危うく、その顔色は優れなかった。わたしは思わず、彼女に詰問調で質問を浴びせてしまう。
「何をしてたんです?」
「死ぬ準備かな。」
「悪い冗談はよして下さい。」
「ココアを調べて貰ってたんだ。」
「寝室の鍋にあったやつですか?そんなの博士が前に調べて何も出なかったし、第一こんなに時間がかかるとは思えませんよ。」
「念入りに調べてもらったのさ。」
この話題はそれきりで、何も聞き出すことは出来なかった。ポアロは明らかにわたしに隠し事をしていたが、わたしにはそれを暴く権限などないのだ。帰りの道、浅い呼吸を繰り返すポアロを背負いながら、わたしは夕暮れの山道を全力で疾走した。彼女をさっさと家で寝かすこと、自分に出来るのはそれだけだった。
次の日になると、ミセス・イングルソープの葬式がひっそりと行われた。故人と特別に親しかったわけでもないわたし達は遠慮したが、ジョンに請われて代表でわたしが出席することになった。
式の後、わたしに近づいてきたジョンは、ミスター・イングルソープが屋敷を出て、今後のことが決まるまで街の宿に泊まることになったことを教えてくれた。
「正直、ほっとしているんだ。彼を疑っていたことは悪いと思っているが、だからと言って彼への感情が変わるわけでもない。それを分かってのことだとは思うが、自分から言い出してくれてありがたいよ。この屋敷がもし彼に残されていたらと思うと、ぞっとするね。」
ジョンはいつにも増して率直だった。
「スタイルズ荘を維持出来そうなんですか?」
「ウェルズも大丈夫だと言ってくれた。それでも、最初のうちはキツイだろうがね。」
彼の頭の中には、明るい将来の展望がすでに描かれているらしい。現金なものだと思うが、彼を見ていると意地汚さというより生命力のようなものを感じるから不思議である。
その日の夕食は質素なものだったが、みなアルフレッドの件でほっとしたのか、事件の後にずっとあった居心地の悪さが薄れ、ゆったりとした空気が流れていた。
現在の英国では殺人そのものは日常茶飯とはいえ、公式に審問で手続きが行われた事件は珍しい。そのため、一部の報道関係者が葬式のときも周囲をうろうろしていたが、イングルソープの名はこの地域では絶大で、あまり取材は上手くいっていない様だった。
皮肉なことだが、夫人のいたときにも、これほど穏やかな雰囲気は存在していなかった。彼らはきっとこのまま静かに立ち直っていくのだろう。わたしはジョンたちを見ながら、そんなことを思った。
夕食が終わった後、何故かドーカスがわたしの方に近づいてきた。
ディスプレイの表示を見ると、どうやらポアロが実行したジャンク化した記憶領域の再生プログラムが効果を上げたらしい。ポアロが気にしていた緑色の衣服が、中央の屋根裏にある収納箱の中に収められているのだそうだ。わたしが忠実な文化女中器の頭部を撫でると、ドーカスはどこか満足そうに掃除へと戻っていった。
すぐにポアロに伝えた方がいい。そう思って、屋敷を出て彼女の住処に向かう。彼女はまだ具合が悪いのか既に横になっていたが、ドーカスの伝言を告げると、すぐさま跳ね起きた。
「予想しておくべきだったな。一時間待って、すぐに着替える。」
時間の感覚は人それぞれである。わたしたちは庭に面したフランス窓から屋敷に入った。毎回のことだが、ポアロはこの端正な庭と波長が合わない様子だった。
勝手に屋根裏にあがると、確かに大きな収納箱が置かれていた。十九世紀の後半に作られたと思しき古風な作りで、中にはラベンダーの虫除けと溢れんばかりの衣装が詰め込まれていた。
ポアロは次々と中身を外に放り投げたが、そのやり方はおざなりで、何かが発見出来るとは期待していないようだった。
突然、彼女は下手な口笛を吹いた。
「何かあったんですか?」
「これを見なよ。」
収納箱の底には肌色をしたゴム質の板のようなものがあった。彼女はそれを手に取ると、伸ばしたり光に当てたりしている。
「どうやら未使用だな。」
「大陸製の変容器【ラヴァーズ・ソール】ですか。」
個人認証に身体的特徴が使われなくなってから、大陸では肉体改造の技術が全面的に民間に開放された。ちょっとした洒落者なら、服に合わせて顔を変えるのも珍しくないのだ。
「これは普段使いじゃなくて、全面改造の前に想像との齟齬を起こさない様に使うものだよ。使い捨てだが、データを入力すれば髭どころか鱗や棘だって生やせる。」
「これが例のものだと思いますか?」
作品名:改・スタイルズ荘の怪事件 作家名:しかばね