敵中横断二九六千光年1 セントエルモの灯
プロローグ 海峡
まだ名のない海峡を、三隻の船がさまよっていた。1520年、南米のことだ。そこは恐ろしい海だった。波がうねり狂っていた。風は突き刺すように冷たく、轟々と吹き付けて、小舟と呼ぶのがふさわしいその船団を翻弄していた。
当然ながら帆船である。どれも全長30メートル。コロンブスの航海から三十年も経っていない。航海技術は未発達で、船は外洋の遠征に耐えられるようなものではなかった。
そして、嵐の海を抜けて進むにも……にもかかわらず、その三隻はそこにいた。国を出てもう一年になっていた。その海峡の入江を見つけ、入り込み、何週間も過ぎていた。決して長い海峡と言えない。にもかかわらず、抜け出せない。最初は五隻いたのだった。しかし一隻は難破して、また一隻は逃げてしまった。
無理もないのだ。それは無謀な挑戦と言えた。正気であるなら誰も行かないであろう海にその者達は挑んでいた。これは神に逆らうに等しい。バベルの塔を建てるのと同じ罪を犯している。
彼らは世界が丸いことを証明しようとしているのだった。
許されるはずのないことだった。彼らはまさに神の怒りに触れているかのように見えた。荒れ狂う風が船を進ませまいと、唸りを上げて吹きすさぶ。波は巨大な獣のように船めがけて襲いかかる。船はグラグラと大きく揺れた。いつ帆柱を水に倒して転覆してもおかしくなかった。柄杓(ひしゃく)を持った無数の手が波の下にあるかのように、水しぶきがなだれ込んだ。
行かせはしない。この海峡を通しはしない。神がそう叫んでいるようだった。人間どもよ、この世界は平たいものと思っていろ。それがお前達の分(ぶ)なのだからと、風に嘲笑う声が混じっているかのようだった。身の程知らずめ、どうしても刃向かうのなら沈めるのみだ。
そこはそんな海峡だった。船体はメリメリ軋み、舷がよじれた。板の隙間がこじ開けられて水が噴き込んだ。帆柱はヘシ折れそうになってたわんだ。綱という綱はちぎれそうに引っ張られて弦のような音を鳴らした。帆はバタバタと暴れて剥がれ飛びそうだった。
甲板は暴れ馬の背中のようだ。流れ込む水がすべてを攫おうとする。その中に、舵輪を掴んで立っている男がいた。舵はまるで言うことを聞かない。氷のようなしぶきが身に叩きつける。しかし男は時化(しけ)に向かい、舳先の向こうで荒れる波を見据えて舵輪をまわそうとしていた。彼は固く信じていた。海峡を抜けた先にはまだ知らない海があると。水はそこで落ちてはいない。東に通じているのだと。
西へ行けば、東に着くのだ。世界は丸い。証拠なら、おれはもう掴んでいるぞと彼は海に向かい叫んだ。あれだ、あれがそうなのだと空の一点を指差した。夜空に白く、一滴のミルクをこぼしたように、ボンヤリと見える小さな星雲。それこそが、世界が丸い証拠だった。この南の果ての海で、それは天高くそこにあった。夜の間、常に見上げるところにかかり、水平線に決して沈むことはない。
それは南極の星雲だった。北の空に北極星があるように、あれはこの南の空でほとんど止まったようにしてほんの小さくしか巡らない。答えてみろ、あれはなんだ。おれが南の半球にやって来たのでないなら、なぜあんなものが見える。世界が平たいのであれば、なぜこんなことが起きる。太陽も月も今ではおれの北を巡っているのはなぜだ。
これが証拠だ! 彼は叫んだ。おれは敗けない。必ずここを抜けてやるぞ。行く手に何が待ち受けようと、おれは必ず越えてみせる。この世界をダンゴに丸めて転がしてやるんだ。それを遂げない限りは死なん。
絶対にだ! 彼は叫んだ。名はフェルナン・デ・マガリャンイス。それはポルトガル語での読みだ。スペイン語ならマガリャーネス。英語式に呼ぶなら、マゼラン。
世界の地図を丸めて西と東をつないだ男である。このとき彼が突き破った海峡が、大西洋から太平洋に抜ける唯一の道だった。今では彼の名を付けて、〈マゼラン海峡〉と呼ばれている。はるかに技術の進んだその後の船にとっても、通過は極めて困難という世界有数の海の難所だ。
そしてまた、このときに指が差した星の雲にも、彼の名前が付くことになった。
〈大マゼラン〉――その南極の星雲は、今はそう呼ばれている。
作品名:敵中横断二九六千光年1 セントエルモの灯 作家名:島田信之