敵中横断二九六千光年1 セントエルモの灯
傾いた床
「君が古代か。よくこいつを届けてくれた」
古代を迎えた男が言った。迷路のような通路を抜けて銃を構えた者らに送られ、着いたところは大きな厨房のような部屋だった。大きな釜にオーブンに、麺を打つような台――しかし、どうやら違うだろう。それらはみな科学の実験装置であり、立ち働く者達はコックではなく白衣の科学技師らしかった。目の前に立つその男も、白地に青の宇宙海軍服の上に白衣を羽織り込んでいる。
表情は暗く、目に疲労の色が濃い。例のカプセルを見て言った。「しかし、やはり一個だけなんだな。まあわかっていたことだが……」
そこで急に、古代の視線に気づいたように口をつぐんだ。「こいつを分析にまわせ」と、傍らにいた男に押しやる。
「とにかく、ご苦労だった。疲れただろうが、今はシャワーを使わせてやるわけにもいかん。この通り床が傾いてるのでね」
言葉の意味がよくわからない。いや、よくわかるのだが、なんで床が傾いてるんだ?
「ここについてだが、質問するな。床の傾きも含めてだ。君は何も知らん方がいい」
「はい」
と応えるしかなかった。実際、古代は疲れていた。いろいろなことがあり過ぎた。しかし目の前の男を見ると、あまりに疲れきってるようすでそのまま倒れて死んでしまうのではないかと心配になるほどだった。この沈没船は一体なんだ? 何があなたをそんなに疲れさせているのだ? 聞きたい気持ちはもちろんあったが、聞いて知ったらおれもこの人みたいになってしまうのかもと思うと怖い――軍の機密がどうとかいうのより先に。
それにしても、と思うのは、この相手が白衣の下に着ているものだ。軍服は軍服でも、宇宙艦艇乗り用の船内服を男は着ていた。船外服を上に素早く着ることができて中でモコつかないという機能優先のものであり、白地の胸にセーラーカラーを図案化した識別コード付きとあって見た目はほぼスポーツウェア。水兵服が男が街で着るものじゃないのは大昔からの伝統と言えるが、コードの色が青いのは技術系の士官か兵員ということだろう。白衣で肩の記章は見えない。いずれにしても地上勤務の人間が着るものではないはずだが……。
「悪いが、君をすぐここから出すわけにいかん。数日間は留め置かれることになろう。それにおそらく、かなり質問を受けるはずだ。だがとりあえず、少し休んで……」
あなたの方こそ少しお休みを取られてはどうか、とほとんど言いかけたとき、扉を開けて部屋に入ってきた者がいた。
「真田君。君に用があって来た」
割れ鐘のような声、という言葉がある。割れた鐘がどんな音を鳴らすのか古代は聞いたことがないが、その形容がふさわしい声があるとすればまさしく、今の声がそれだった。その男の姿を見て、古代はこれだけいろいろあった一日の中でもこれが一番ではないかというほど驚いた。軍の制帽にモール付きのピーコート。白い髭で顔を覆った老人が、杖を突いて立っていたのだ。引きずってはいるものの力強い足取りで古代達の方に来る。
「艦長。なぜこちらへ」
白衣の男が言った。そう言えば名乗らなかったがサナダという名前なのか。
老人が言う。「さっきの沖縄で、この船に乗るはずだった人員が大勢死んでしまったのだ。わたしの副官も死んだ。そこで君にこの船の副長になってもらいたい」
「は? いえ、しかし……」
真田と呼ばれた男は泡食った表情になった。話の内容だけでなく、たぶんそれを聞いてはいけない古代の前で何を言うのかという顔だ。
「わたしは技術士官ですよ。軍人と言っても――」
「君以外にいないのだ! それからお前だ。ちょっと顔を見せてみろ」
古代のアゴを掴んできた。グイと前を向けさせられる。
「輸送機でガミラス三機墜としたそうだな」
「四機です」
「フン。逃げまわってるうち、向こうの方で勝手に墜ちただけだろうが。まあいい。ちょうど、そういうやつが欲しかったんだ。お前に航空隊を任せる」
「せ……」と言った。「戦闘機に乗れと?」
「航空隊の隊長になれと言っとるんだ!」
「ハア?」
「〈ゼロ〉に乗る者が死んだのでな。代わりに貴様にやってもらう」
「え、いえ、あの」
真田も言った。「艦長。わたしにはあれを調べる仕事が……」
「もうそんな時間はないな。それより、君は少し寝ろ。この船を十二時間以内に発進させる――君にはそのとき起きていてもらわなければならんのだ」
「いえ、しかし。あれをいったん船に組み込んでしまっては……」
「同じものを作る望みは絶たれる、か? 君の心労の種が消えていいではないか。寝ろ!」
言い捨てて去っていく。古代はただアッケにとられて見送った。傍らで、例のカプセルを持たされたやたらにガタイのいい男がオロオロしている。古代はそれを眺めるうち、これまでロクにものを考える余裕のなかった頭の中で何かがつながり出すのをおぼえた。
「そのカプセル……」
「知ろうとするな」真田が言った。「まだ出て行けるかもしれん」
本当にすぐに寝なけりゃ死ぬかもしれないくらいに疲れたようすのくせに、まだ古代をできることなら外に出してやろうと考えているらしい。だがどうなんだろう。航空隊の隊長だって? 〈ゼロ〉に乗る者が死んだから? 〈ゼロ〉って……。
不意に記憶に甦った光景があった。あの銀色の戦闘機。あのとき、〈がんもどき〉を救けるために自分からガミラス無人機に突っ込んでいった、あれは戦闘機〈コスモゼロ〉? 〈オスカー〉――おれのことだろう――を護れと無線で叫び続けていた、あれに乗っていたのが航空隊の隊長?
タイガー乗りのやつらは言った。沖縄基地が殺られたからだ。それもお前がつけられたからだ。やめろ、こいつが悪いんじゃない。ですが隊長はこいつのために――。
「沖縄基地が殺られた……おれがつけられたから?」
古代は言った。脳裏にあの巨大な炎が甦る。自分を迎え入れるため、開いていたあの入口。あの奥にはどれだけの人が――。
「それじゃ……あの基地が吹っ飛んだのは……」
「気にするな」
真田が言った。
「君のせいではない」
作品名:敵中横断二九六千光年1 セントエルモの灯 作家名:島田信之