敵中横断二九六千光年1 セントエルモの灯
〈ノアの方舟〉
「本来ならばこの建造中の船が逃亡船にならないことを見定めなければならないのですが、今の地球の現状を見ればそうは言っていられません。波動エンジンの〈コア〉を納める炉の完成を見た時点で良しとします」
と〈彼女〉は真田に言った。半年前。四月だった。この地下都市でも植えた桜がどうにか花を咲かせるようになった頃だ。
〈ヤマト〉はまだ形も出来ていなかった。常識的には有り得ないような建造計画ゆえに、上から――つまり、砲台や艦橋から先に取り付けてゆかねばならない。むろん船体のブロックも別に製作中ではあるが、それを繋ぎ合わせるのはかなり後のことになる。
こんな工法を可能にしたのは何より反重力ジャッキだろう。普通の造船ではクレーンがやることを、逆さまの機械で〈上に吊り下げる〉のだ。
船の建造は、もう何年も前から行われていたという。海が干上がりきってはおらず、地がドロドロだった頃に、まっぷたつで転がっていた〈大和〉の残骸を反重力で〈軽く〉して起こし、繋ぎ合わせて元からそうであったように偽装したのだ。しかしそもそも一体なんでそんな手間のかかることをというのは、聞いてはいけない話らしい。
「あの役人や政治家達を見ていては、イスカンダルが地球人を信用できないのも当然だと思います」
と真田は言った。〈彼女〉のもとには、絶えず、政府の高官や議員が日参していた。その全員が信じられないほどに愚かで無能であり、貴重な時間を無駄に費やすことにのみとめどもなく優秀だった。
《小娘ひとりどうにでもオレが懐柔してみせるわ》と黒々と墨で書いた顔でニタニタとやってくる。五分もすると青ざめて、一滴一滴がラッキョウほどもある脂汗をボトボト垂らして震え出す。十分後には頭を火山に変えてギャアギャア怒鳴り散らして暴れ、十五分後に掴みかかって〈彼女〉を犯す殺すと喚(わめ)き、二十分後に這いつくばって土下座するのだ。お願いですからどうか〈コア〉をワタシにください決してそれを爆弾にも逃亡船にも使いません――。
その同じ人間が、翌日ケロリとした顔でまたやってくるのだった。やあやあどうもきのうはみっともない真似をさらしてしまいましたな。しかし、今日はああはいきませんよ。地球が必ず爆弾など造らないとちゃんとご理解いただけましょう。ですから〈コア〉を百個ください。百個ですよ。今すぐに!
「このザマでは〈コア〉を納める炉の完成を見届けたうえで一個だけ、となってしまうのも仕方ない」
と真田は言った。あのバカどもは、地下都市の市民に対してもどうしようもない愚昧ぶりをさらしている。最近ついに施行された〈中絶禁止法〉がいい例だ。
〈メ号作戦〉の敗退後、世の女達はとうとう子を産まなくなった。生まれても放射能に苦しんで死ぬだけならばお腹にいる今のうちに――わずかな妊婦もそう考えるに決まってるのに、愚かにも法で中絶を禁じれば子を産むしかなくなると権力者どもは考えたのだ。
その結果がどうなったのか――むろん、女らは首を吊りモノレールに身を投げて自(みずか)らの体ごと腹の中の子を殺し、医者は警察に捕まる覚悟で堕胎手術を行うようになっただけだった。そうした医師を見つけられぬか、自殺もできなかった女は、やがて泣きながら、生まれたばかりの我が子の首に手をかけることになるだろう。
「しかしわからないことがあります。地球は今後何十年かのうちに〈コア〉を自力で造れる見込みがあると思います。その時間がもしも与えられたら、ですが……ですからもし、教えていただけるのが波動エンジンでなく放射能除去装置の作り方ならば、それを使って水を浄化し、滅亡を免れながらガミラスを退ける道を探っていけると思うのです。なぜそうしてはくださらないのです?」
「それもひとつの選択でした」と〈彼女〉――サーシャは応えた。「わたしも実は、できればそうしたかった……ですが、できませんでした。その理由をあなたに言うこともできません」
「なぜ?」
と真田は言った。これまでに何度もした質問だった。コスモクリーナーはナノマシンであるという。それだけは真田も聞いている。自己増殖する極小のロボット。最初はスプーン一杯でも、億兆倍に増えるのだ。ならそんなもの、小瓶に詰めて、地球に来るとき持ってきてくれればよかったではないか。どうしてそうしなかったのだ。
そう思わずにいられなかった。いや、もちろん、サンゴ虫のように働くマシンそのものは極小でも、制御する巨大な装置が必要といったことはあるかもしれない。あるいは、ナノマシンと言っても自分で増えるものではなく、無数の〈虫〉を造りバラ撒くサンゴ塚のような機械が要るとか――しかし彼女は、細かな問いに答えてくれない。何を聞いても、『教えられない』のひとことだった。
これではラチが明かない。だから、
「実は、やってくる連中の秘書などに何度も言ってみたのです。〈コア〉でなくコスモクリーナーをもらえるように交渉してみてはどうか、と。すると誰もが口を揃えて『それだけは絶対にダメだ』と言う」
「フフフ」笑った。「そうでしょうね」
「いや、しかし……」
「とにかく、言えないのです。ですがイスカンダルに着けば自(おの)ずと明らかになるでしょう」
と言った。彼女は地球人に合わせて〈イスカンダル〉のコードネームを使っていた。
「いずれにしても〈コア〉はいったん炉に納めると安全に制御され、あらためてそれを取り出し爆弾とすることなどもできなくなります。船がたとえ沈むことになったとしても、速やかに自動停止し、暴走などは起こしません」
それが地球で20世紀に造られたような初期の原子炉と違うところだ。
「それはわかります」
「また、わたしはあなたがたが〈コア〉を使って例の〈波動砲〉というのを造ることについてもどうこう言いません。それを用いて準惑星を吹き飛ばす件にもです。もし、その星が軌道を外れて地球に衝突するとしたら、あなたがたはどうにかしてそれを止めねばならないでしょう。それと同じだと考えるからです」
「それもわかります」
と言った。真田はもともと、波動技術を大砲として使う研究をしていた学者のひとりだった。
ガミラスが来る前からだ。むろんその頃は隕石や巨大落下物破壊装置とだけ考えて、兵器としてはいくらなんでも使い物になるものか、としか思っていなかったのだが――。
しかし人類が滅亡の瀬戸際にある今、『星ひとつを破壊してはいけない』などと正義面して言える者は、それは人の皮を被った悪魔以外のなんでもない。地下都市では一億もの子供達が、犬や猫を抱きながら、ボクは、アタシは、一体あと何年生きられるのと彼らの親に聞いているのだ。
彼らの前で同じセリフを平気で言えて、〈ヤマト〉の帰還が一日遅れて百万人の子が死のうと構うものかと叫ぶ人間は狂っている。だが驚くべきことに、今の士官学校で成績だけはとにかくいいのはそんな者達ばかりだとか。
真田は言った。「イスカンダルが認めないのは、あくまでもこの太陽系をブラックホールに変えてしまうことだけだと――」
作品名:敵中横断二九六千光年1 セントエルモの灯 作家名:島田信之