aph 『英国シンシの憂鬱』
■EUシンシの分裂■
これらはどれも、総菜パンではありません。
チーズも、ベーコンも、ソーセージも、コーンも、あんもジャムもクリームも、何も入っていません。
名前から察するに、これだけたくさんの種類のパンに分かれているのは、ハーブだったり、バターだったり、ミルクだったりと、基本的には味よりも香りのバリエーションだと言った方が適しているかもしれません。
「あの…パンの表面が、すごく黒っぽいんですね」
「そうか?」
「ええ、フランスさんのうちのパンは、もうちょっと淡い、狐色をしているものが多いようですけど ……って、あ」
フランスさんの名前を出した途端に、イギリスさんが固まってしまいました。呼吸が止まったのがわかります。
そう、うわさで聞くところでは、ここイギリスでフランスさんの名前を出してしまうと次の瞬間……
「はぁーい! ボンジュールにほーん! 芸術的グルメの守護者、フランスお兄さんだよ〜」
「出たなこのひげワイン野郎!」
そうでした……何故かは存じませんが、「イギリスさんの家でフランスさんの名前を口にすると、瞬く間にフランスさんが現れる」という噂があったのでした。
都市伝説だと思っていたのですが、まさか本当だったとは……
「だろだろー? 日本もそう思うだろ。お兄さんも前からこいつに言ってるんだよ〜 パンは黄金色に輝かなくてはならないのさ、お前のは苦そうだ、ってね」
「うるっせぇ! パンの焼き色は焦げ茶って決まってんだよ! 焦げ茶はイングランド魂なんだよ!」
「まぁ〜たまたそんなこと言っちゃって〜。どうせお前のことだから焼き加減がわからなくて、生焼けになるくらいなら良く焼いといた方がいいって思っただけなんだろ?」
ああ〜フランスさんが私のともした火に油を!
でも確かに、イギリスさんの作るパンは表面ががっちりしていそうですし、色も濃くて苦そうに感じられます。
ですのに、むしろ色も淡くて軽そうに見えるフランスパンの方が、思ったよりも固いと感じられる気がします。
というのは、焼き色の薄さでやわらかそうな印象があるにもかかわらず、実際には表面はパリパリ …… ああ私うまいこと言いました。フランスパンだけにパリ。今度誰かに言いましょう……中国さんあたりに。
ともかくフランスさんのパンを切る時にはぎざぎざのついたナイフでないと太刀打ちできませんし、切った後、さらにカリカリに焼いて召し上がる方が多いそうですし。
お味の方も、甘いものではなく、塩味です。
それに比べると、さきほどのキッシュのあとイギリスさんからいただいたひとかけのパンは、その見た目に反して意外と皮の層は薄かったのです。
そして、中も思ったよりずっときめ細かい……
味はほとんどないようでいて、じっくりとかみしめてみると、ほのかに甘いような気がするのです。
気のせいかもしれませんが。
隣で激しい闘いを繰り広げるお二人を横目に見ながら、ちょっぴり表面が堅そうで苦そうなイギリスさんのパンは、たしかに少し、イギリスさんご本人と似ているかもしれない…と思った私なのでした。
Fin.
作品名:aph 『英国シンシの憂鬱』 作家名:八橋くるみ