甘い甘い毒
『髪よし、メイクよし、服よし。』
家を出る前から何度も繰り返したチェックをもう一度する。
どこにも問題はない。
我ながら上出来だ。
仕上げに、鏡の中の自分ににっこりと笑いかけてみる。
『笑顔、よし。』
大丈夫。ばっちりだ。
深呼吸をして、バッグの中に視線を落とす。
1年間、これがあったから頑張ってこられた。
『忘れもの、なし。』
前を向いて、歩き出す。
そこにあるのは、華やかな世界。
1年前の自分が迷い込んだ、日常とはかけ離れた場所。
「おねーさん!良かったらうちの店、どう?」
次々と声をかけてくる輩には目もくれない。
私が目指すのは、ただ1か所のみ。
喧騒の中を、ただひたすらに突き進む。
―――…あった。
あの時と変わらない外観で、そこに私の探していたお店はあった。
苦い記憶とともに懐かしさが込み上げてきて、何とも言えない気分になる。
緊張で早まる鼓動を落ち着かせるように胸に手を当て、目を閉じる。
大丈夫、あの頃の私とは違う。
そう自分に言い聞かせてドアノブに手をかける。
「―――いらっしゃいませ。」
溢れんばかりの光が、私を待っていた。
[ 甘い甘い毒 ]
『こんばんは。』
「こんばんは―――…おや?」
出迎えてくれたウェイターさんに挨拶をすると、
一礼し終えて私の顔を認めた後に、一瞬の間が出来る。
眼鏡の奥の瞳が驚きで丸くなり、けれどそれはすぐに笑顔に戻った。
「お久しぶりですね。」
『覚えていて下さったんですか?』
「えぇもちろん。忘れるはずがありません。
一段と綺麗になられていたので、少し驚いてしまいましたが。」
『そうですか?お世辞でも嬉しいです。ありがとうございます。』
あの日の私を知られているというのは少し恥ずかしかったけれど、
1年経った今でも覚えていてくれたのは素直に嬉しかった。
優しく笑う表情は、あの日ココアを出してくれた時のままだ。
「今日は、誰をご指名ですか?」
わかりきっているであろうに、わざわざ尋ねるのは意地悪なのだろうか。
ウェイターさんの浮かべる笑みには先程とは違う意味を感じ取れた。
お互いの意図がわかっているからか、思わず2人とも笑ってしまう。
『オーナーの…そ〜まさん、お願いできますか?』
「はい、お席にご案内しますので、少々お待ちください。」
私の返答に、ウェイターさんは満足げに微笑んだ。
からかわれているようで何だかくすぐったい感じはしたけれど、
このやりとりのおかげか私の緊張は少しゆるんでいたようだった。
前は落ち着いて周りを見る余裕すらなかったけれど、
待っている間に店内を見回してみると、お店はそれなりに繁盛しているようだった。
あちこちの席で楽しそうにお酒を飲みながら話している様子が伺える。
その中には以前も見かけた金髪のホストさんと、オレンジ髪のホストさんもいた。
あまりきょろきょろしていると不慣れなのが丸わかりかな、と
大人しくしようと思った矢先に、店内をせかせかと動き回る小さな影が視界に入った。
一瞬犬かと思ったそれは恐らく、目の錯覚でなければ、私の知りうる限りではたぬきと称される動物だった。
『なんで…ホストクラブに…たぬき………?』
「お待たせいたしました。」
『………っ!!』
思わず疑問を声に出してしまった瞬間、背後から声がかかる。
心の準備も何も出来ていなかったせいで、思わず体がビクッと反応してしまう。
幸い悟られはしなかったようで事なきを得たけれど、これは心臓に悪い。
何事もなかったかのように努めて平静を装いながら正面に回った彼に視線を向ける。
「ご指名ありがとうございます。
オーナーのそ〜まと申しま―――…」
そこで、そ〜まさんの言葉は途切れた。
私と目が合った状態のまま、フリーズしてしまっていた。
『えー…っと、あの、そ〜まさん?』
ほんの数秒のことだったけれど、
どうして良いかわからずとりあえず顔の前で手を振ってみる。
若干のラグはあったけれど、我に返ったそ〜まさんは慌てて取り繕った。
「す、すみません!
見違えるほど綺麗になっていらっしゃったので、思わず固まってしまいました…
あっ、えーとその、決してお世辞ではなくてですね!
と言うか以前お会いした時が綺麗じゃなかったとかでは決してなく!
ですからあの、その…えーっと………」
職業柄、女性を褒めることには慣れているであろうに
完全に言葉に詰まっているそ〜まさんの姿を見て、思わず吹き出してしまう。
相変わらず、まっすぐで、優しい人だ。
『ふふっ…ありがとうございます。そして、お久しぶりです。』
「お久しぶりです。すみません、久しぶりの再会がこんな醜態で…」
前に私も随分と醜態を晒しているのだからお互い様な気もしつつ、
挨拶をすると、そ〜まさんは自嘲気味になりながらも挨拶を返してくれた。
彼も、私のことを覚えてくれていて、それがすごく嬉しかった。
あれだけ派手な出会いをしたのだから印象深くならないはずもないけれど、
それでもやっぱり、1年という長い時間忘れずにいてくれたことに思わず頬が緩む。
家を出る前から何度も繰り返したチェックをもう一度する。
どこにも問題はない。
我ながら上出来だ。
仕上げに、鏡の中の自分ににっこりと笑いかけてみる。
『笑顔、よし。』
大丈夫。ばっちりだ。
深呼吸をして、バッグの中に視線を落とす。
1年間、これがあったから頑張ってこられた。
『忘れもの、なし。』
前を向いて、歩き出す。
そこにあるのは、華やかな世界。
1年前の自分が迷い込んだ、日常とはかけ離れた場所。
「おねーさん!良かったらうちの店、どう?」
次々と声をかけてくる輩には目もくれない。
私が目指すのは、ただ1か所のみ。
喧騒の中を、ただひたすらに突き進む。
―――…あった。
あの時と変わらない外観で、そこに私の探していたお店はあった。
苦い記憶とともに懐かしさが込み上げてきて、何とも言えない気分になる。
緊張で早まる鼓動を落ち着かせるように胸に手を当て、目を閉じる。
大丈夫、あの頃の私とは違う。
そう自分に言い聞かせてドアノブに手をかける。
「―――いらっしゃいませ。」
溢れんばかりの光が、私を待っていた。
[ 甘い甘い毒 ]
『こんばんは。』
「こんばんは―――…おや?」
出迎えてくれたウェイターさんに挨拶をすると、
一礼し終えて私の顔を認めた後に、一瞬の間が出来る。
眼鏡の奥の瞳が驚きで丸くなり、けれどそれはすぐに笑顔に戻った。
「お久しぶりですね。」
『覚えていて下さったんですか?』
「えぇもちろん。忘れるはずがありません。
一段と綺麗になられていたので、少し驚いてしまいましたが。」
『そうですか?お世辞でも嬉しいです。ありがとうございます。』
あの日の私を知られているというのは少し恥ずかしかったけれど、
1年経った今でも覚えていてくれたのは素直に嬉しかった。
優しく笑う表情は、あの日ココアを出してくれた時のままだ。
「今日は、誰をご指名ですか?」
わかりきっているであろうに、わざわざ尋ねるのは意地悪なのだろうか。
ウェイターさんの浮かべる笑みには先程とは違う意味を感じ取れた。
お互いの意図がわかっているからか、思わず2人とも笑ってしまう。
『オーナーの…そ〜まさん、お願いできますか?』
「はい、お席にご案内しますので、少々お待ちください。」
私の返答に、ウェイターさんは満足げに微笑んだ。
からかわれているようで何だかくすぐったい感じはしたけれど、
このやりとりのおかげか私の緊張は少しゆるんでいたようだった。
前は落ち着いて周りを見る余裕すらなかったけれど、
待っている間に店内を見回してみると、お店はそれなりに繁盛しているようだった。
あちこちの席で楽しそうにお酒を飲みながら話している様子が伺える。
その中には以前も見かけた金髪のホストさんと、オレンジ髪のホストさんもいた。
あまりきょろきょろしていると不慣れなのが丸わかりかな、と
大人しくしようと思った矢先に、店内をせかせかと動き回る小さな影が視界に入った。
一瞬犬かと思ったそれは恐らく、目の錯覚でなければ、私の知りうる限りではたぬきと称される動物だった。
『なんで…ホストクラブに…たぬき………?』
「お待たせいたしました。」
『………っ!!』
思わず疑問を声に出してしまった瞬間、背後から声がかかる。
心の準備も何も出来ていなかったせいで、思わず体がビクッと反応してしまう。
幸い悟られはしなかったようで事なきを得たけれど、これは心臓に悪い。
何事もなかったかのように努めて平静を装いながら正面に回った彼に視線を向ける。
「ご指名ありがとうございます。
オーナーのそ〜まと申しま―――…」
そこで、そ〜まさんの言葉は途切れた。
私と目が合った状態のまま、フリーズしてしまっていた。
『えー…っと、あの、そ〜まさん?』
ほんの数秒のことだったけれど、
どうして良いかわからずとりあえず顔の前で手を振ってみる。
若干のラグはあったけれど、我に返ったそ〜まさんは慌てて取り繕った。
「す、すみません!
見違えるほど綺麗になっていらっしゃったので、思わず固まってしまいました…
あっ、えーとその、決してお世辞ではなくてですね!
と言うか以前お会いした時が綺麗じゃなかったとかでは決してなく!
ですからあの、その…えーっと………」
職業柄、女性を褒めることには慣れているであろうに
完全に言葉に詰まっているそ〜まさんの姿を見て、思わず吹き出してしまう。
相変わらず、まっすぐで、優しい人だ。
『ふふっ…ありがとうございます。そして、お久しぶりです。』
「お久しぶりです。すみません、久しぶりの再会がこんな醜態で…」
前に私も随分と醜態を晒しているのだからお互い様な気もしつつ、
挨拶をすると、そ〜まさんは自嘲気味になりながらも挨拶を返してくれた。
彼も、私のことを覚えてくれていて、それがすごく嬉しかった。
あれだけ派手な出会いをしたのだから印象深くならないはずもないけれど、
それでもやっぱり、1年という長い時間忘れずにいてくれたことに思わず頬が緩む。