甘い甘い毒
「えっ………」
そ〜まさんの表情が固まる。
今日2度目だ。
こうなるであろうことはわかっていた。
『私が好きなのはあなたです、そ〜まさん。
あなたがくれた優しさは、一夜限りのものだとわかっています。
ホストとして、お客さんに与えた夢だと、知っています。
それでも私は、あなたの言葉があったから、頑張ってこられました。
自信を持ってあなたに逢いにこれるように、この1年、自分を磨いてきたんです。
だから………見違えるほど綺麗になったと言ってもらえて、本当に嬉しかった。』
震えそうになる手を、ぎゅっと握って抑え込む。
食い込んだ爪が少し痛かったけれど、そうでもしないと挫けてしまいそうだった。
それでも決して、目は逸らさなかった。
「僕、は―――…」
『彼女になりたい、とかじゃないんです。
その気持ちがゼロかと言われたら、はいとは言えませんけど、
でも、今日というこの日に、あなたに逢って、感謝と、この気持ちを伝えたかった。
だから、後悔はしません。』
ホストに恋をするなんて、有り得ない話だと思っていた。
優しさを勘違いした、バカな女がするものだと思っていた。
多分、私もバカだ。
叶わないとわかっていて、それでも好きなのだから。
それでも、この人のために綺麗になりたいと、そう思った。
逢いたい気持ちを全部自分の成長に置き換えて、
次に逢った時に驚くくらい、心も体も磨こうと決めた。
1年前に彼とした約束は、全て果たせた。
だから、満足だ。
『自分勝手でごめんなさい。
言っても困らせるだけだとわかってても、言いたかったんです。
言って、区切りをつけたかったんです。
わがままで…ごめんなさい。
それから、聞いてくれて、ありがとうございました。』
ぺこりと頭を下げる。
震え出す唇を、ぎゅっと噛んで無理矢理抑え込んだ。
熱くなった目頭が落ち着かなくて、なかなか顔を上げられない。
イイ女なら、滅多なことでは涙を見せてはいけない。
ましてや、恋が終わる瞬間に。
『私っ…もう、帰りますね。
今日は、本当にありがとうございました。』
顔を見られないように、そそくさと席を立つ。
覚悟はしていても、やっぱり勇気が必要だ。
次に進むために必要なことだとしても、苦しい気持ちには変わりない。
「あのっ…!」
お会計を終えた後、ずっと何か言いたげにしていたそ〜まさんから声がかかる。
私は振り向けないまま、声だけで返事をする。
ただならぬ空気を察知してか、気付けばウェイターさんは姿を消していた。
「僕は、ホストです。
ホストである以上、誰か1人を特別扱いすることはできませんし、誰もが特別です。
ですから、あなたの気持ちに応えることはできません。」
わかっている返事でも、いざ言葉にされると胸に刺さる。
力を込めたバッグの持ち手が、小さく音を立てる。
「ですが、あなたの気持ちはとても嬉しかった。
こんなちっぽけな男の戯言を覚えていてくださったことも。
そして、本当に綺麗になりましたね。思わず、言葉を忘れるくらい。
その点については、あなたの元彼さんに感謝しないといけないのかもしれません。」
綺麗になったのは元彼を見返すためではなく、
あなたに逢うためだと言いたい気持ちを必死で押し戻す。
「あなたとの出会いがもしも違っていれば―――…
いえ、これは言っても仕方ないことですね。
あなたはきっと、これからもっと綺麗になります。
いつか、今度は僕が後悔してしまうくらいになる。そんな気がします。」
『………街ですれ違っても、気付かないくらい?』
「えぇ、そうかもしれません。
その頃には、僕もホストをやめていて、ただの僕かもしれない。」
『…そうしたら、初めまして、ですね。』
「そう、ですね」
『………ずるいなぁ』
「え?」
『いえ、何でもありません。』
ぽつりと呟いた言葉は、お店の喧騒に溶け込んで消えていく。
終わらせるために来たのに、これじゃあ、期待をしてしまう。
もしかしたら、と、思ってしまう。
でもきっと、これは彼なりの優しさだ。
私を傷付けないように、という、甘い、毒。
『………じゃあ私、帰ります。
終電、なくなっちゃうと困るし。』
「はい、お気をつけて。」
『・・・・・・』
「・・・・・・」
一瞬、会話が途切れる。
その間に逡巡して、私は勢いよく振り返った。
『"さようなら"、そ〜まさん!』
にっこり笑って、今度こそお店を出る。
これで終わりだ。
このお店には、もう来ない。
この街に足を運ぶこともない。
そ〜まさんにも、もう会わない。
それなら、笑顔の私を覚えていてほしい。
『よく頑張った、私!!』
お店を出て、大きく腕を広げて伸びをする。
あの時と違ってお守り代わりのハンカチもないけれど、きっと大丈夫。
今の私なら、きっと自信を持って、前を向いて進める。
綺麗になったのはあの人のお墨付きだ。
今日は自分を褒めてあげよう。
もう1つくらい、ケーキを買ってもいいかもしれない。
明日からまた頑張るためのご褒美だ。
『はっぴばーすでーとぅーみー…』
一人口にした旋律は、賑やかな街の中に消えていく。
目元に光る滴には気付かないことにして、私もまた、夜の街に消えていった。