春の空に
シニアで試合に勝ったらしい、と思ったのはそれまで勝ったとき以外の写真がなかったからであってもしかしたら負け試合だったかもしれない。シニアのユニフォームを泥だらけにして、ちょっとだけそっぽを向いてむすっとした顔で一人で写っているその写真が最後だった。
あとは、ページがまだ沢山あるのにも関わらず何もスリーブに入っていない。
不自然に何も挟まっていないページをいくらか捲ってみても何も、何も。
まるでそこから前は、
「あ…」
そうか 全部、抜き取ったんだ
榛名の話したことを思い出す、オレはそれを全部まとめたらいい思い出だと言ったけれど、今では分かる。いやオレが分かるなんて言ったらいけないのかもしれないけれど、それがどういったものだったのかということだけは嫌でも分かるのだ。
きっとここには野球をして、やっぱり笑顔で写る榛名の写真があったんだろう。
そうしてそれをどうしたのかまでは分からなかった、破ったのか、焼いたのか。でも、きっともうどこにもないんだろうと思った。
そう思うと急に胸の奥から何かよくないものがこみ上げてきて、弾かれたようにオレはアルバムを閉じた。どくどくと喉のあたりまで心臓がせりあがってきたみたいに大きな音がする。
見てはいけない…というか、多分見られたくないものを勝手に見てしまった、と思う。数回息を吸って吐いて、落ち着いてからアルバムを棚にそっと戻そうと立ち上がる。
目の高さくらいの棚に戻そうとして、下から一枚写真がはみ出しているのに気が付いた、閉じたときに挟んであるだけのものがずれたか何かなんだろう。一度そのページを開いて位置を戻そうとして、その写真がさっき閉じたページよりずっと前の…幼い頃にあたるところに挟んであるのを見てとる。パラパラと捲ってみればそれより以前の写真は全部きちんとそこに並べられていて、赤ちゃんの時のものだとか三歳の七五三のだとか…もう一度、さっきの落ちかけていた写真のページへ戻る。そしてそれをまじまじと手にとって見てみる。
真ん中の上方は少し破れていて、紙全体にも破ろうとした跡がはっきり残っていた。
そこには五歳かそこらだろうか、まだ小さな右手にグローブをはめて、屈託のない顔でカメラ側に軟式の野球ボールを持って左手を振る榛名の姿が写っている。
立っている場所はマウンドでなくただの公園の片隅で、球を握る手はその大きさに負けて今にも取り落としそうで、グローブは子供用だろうにそれでもぶかぶかで、ただのTシャツにハーフパンツにスニーカーで、それでも榛名は他のどの写真より幸せそうに笑っていて、そしてどれより榛名らしいとオレは思った。
それより幼い写真に野球に関したものはなくて、そして少しくすんだその画面の中でもグローブがぴかぴかだったからきっと初めて買ってもらったんだ、と分かる。破れなかったんだ、とも。
「スイマセンなんか飲みもん切らしてて…って加具山さん!どうしたんスか!」
ドアを乱暴に開けた音がして、榛名が困った風に言う語尾を焦らせるまで、オレは自分が泣いていることに気が付かなかった。こんなことってあるもんなんだ…
「あ、いやその」
ちょっと目にごみが、なんて嘘ですって言ってるような言い訳をして、ごしごし目元を擦って涙を拭う。
「…もー」
少し怒ったようにがしがしと頭を掻いて(これが処置に困ってうろたえてる時のこいつの癖だというのには最近気が付いた)榛名はとりあえずアルバムを取り上げることにしたようで、ひょいと奪い取ると棚の奥の方に横倒しにしてしまってしまった。
「ゴメン」
「別に、いいすけど」
泣かれんのはちょっと、と言ってティッシュの箱を差し出して榛名は目線をそらした。あんまりそれが殊勝なもんだからオレは思わず声をあげて笑った。
「なんすかもう!泣いたり笑ったり!」
泣きながら笑って、榛名が少し顔を赤くして大きな声で言うもんだからなんだかわけが分からなくて、でもちょっと楽しかった。
「次のは、もっとでかいのなんで」
ようやく笑いと涙が収まったオレの前で、あぐらをかいて榛名はぽつりと呟いた。
「…でかいの?」
アルバムが、か?と一瞬思ったがそれも変な話だ。
少し不機嫌そうに榛名は目を細めて、ちょっと拗ねたように続ける。
「写真、
次は甲子園で優勝して、
野球部全員ででっけえ写真に写るんです」
もしかしたらパネルかもしれないけど、と榛名がごく真面目に言って、ちらりと様子を伺うようにこちらを見た。こんなに図体のでかい男がこんなことを大真面目に、言う。
反射的に笑いそうになって、ぐっとこらえた。
そして頷いて、行こう、とだけオレは榛名と自分に言った。
空は大方の予想を裏切って、晴れていた。