Hesitatingly
周りはしんとしていて、さっきまでの試合の熱や試合後の気だるさなんてどこにもない。それは一種の神聖な空気みたいなものだった。
「…なん、だよ」
「手を」
突き合わせろ、とカケルが言って、ショウはそれに戸惑いながらも従う。
右手同士を突き合わせて、背格好だけは良く似た二人はしばしの間見つめあった。
数秒の後赤毛のエースは先ほどとは違う、柔らかな笑顔を浮かべてそして手を下ろす。
それがカケルにとって何の意味があったのかはその場に居た誰にも分からなかっただろうけど、それがあの子にとって大事なことだったんだということも皆分かっていた。
こげ茶の髪の少年はそれにどこか不快な気持ちを抱いたらしくまだ上げていた右の手を握り締めた。
「…勝ち逃げだ」
「は…」
カケルが言ったことが理解できない、といった風にショウはもう自身に背を向けた黄文字の14を目で追う。
「どういう、」
未だ彼は手を下ろせないままだった。
ぼくは、未だ笑ってるカケルの顔を見れないでいた。
今日はあの子の最後の試合だった。
ユニフォームを脱いで、首に巻いた布を解く。
「カケルちゃん」
もう全員が帰った部室の中で、ぼくはカケルが泣いているんじゃないかと思って中を覗いた。
こちらを振り向いた青い瞳は揺らぐことなくただ水の色をたたえている。いっそ泣いていてくれていたほうがぼくも泣けたのにな、昔からぼくよりこの子はよっぽど強い。
「帰ろう、ショウくんもいい加減諦めたみたいだ」
「…やつは、どうせまた来るだろ」
そうだろうけどねえ、いきなりこんな半端な時期に退部するとか、多分ボクが聞いても他人事だったらわけが分からないだろうから。何より勝ち逃げだなんてあんな言い方しなくてもよかったのに。
「うん、直接聞いてもどうせ教えないだろうからってぼくがメアド聞かれちゃったよ。変な友達が増えちゃったなぁ」
カケルはずっと上半身に何も着ないまま鏡の前に立っていて、さっき帰ろうと言ったぼくはでもそれを急がせようとはしなかった。
大丈夫かなんて訊けなかった。この子にとってバスケットは息をするのと同じくらい大切なものだったんだもの。もしかしたら息をするよりも大事だったと本人は言うかもしれない。
「…………」
「…………リク」
「、うん」
カケルが自分の起伏のない首元を擦ってぼくの名前をよんだ。
「…なんで、だろうな」
「何でだったんだろうね」
ゆら、といつもみたいに軸のないみたいな歩き方で、入り口近くに立っていたぼくの方へカケルは寄ってきた。
「なんで、」
ぼくには何も言うことが出来なかったけど、結局どんなに頑張ってもぼくみたいには背の伸びなかったカケルの体を抱きとめていた。
大丈夫、なんてかっこいい言葉をかけることもできなくて、やっぱりぼくはだめだなって苦く笑おうとしてそれもできなかった。
でもね、でもね
ぼくはカケルちゃんがどんなことを考えてるか今でも知ることはできないけど、
部活を最初辞めさせられかけたとき唇を噛み締めてたのも、
公式の試合には出られないって分かったとき手のひらに爪の痕がつくくらい手を握り締めていたのも、
どうやっても他のメンバーに体力が追いつかなくて倒れるくらい走りこんだのも、
わざとのどを潰して首に布を巻きつけていたのも、
全部ぼくは知ってるよ。
カケルちゃんが辛かったこと、沢山知ってるよ。
「カケルちゃん」
こうやっていると、思っていたよりずっとその肩は細くて白い。
「ショウくんね、決闘を申し込む気満々みたいなんだ」
やっと本物の水分をあふれ出させた青い双眸はゆらゆら揺れていた。
「だから、だいじょうぶだよ」
「いつかきっとあの子がカケルのことを諦めさせてくれるよ」
ぼくは生まれて初めて彼女を自分から抱き締めた。
「その時までちゃんと待ってるよ」
君が速く走るときに重みになるならぼくは愛の言葉なんて忘れてしまおうと思うんだ。
だから君が、走る必要がなくなって、ぼくと一緒に並んで歩いていいって思ってくれたそのときにはそれを思い出させて。
「俺の、ライバルをなめるな」
顔は、ぼくの胸元に埋まっているから見えない。
「あいつは、いつかじゃなくて すぐにでもわたしを追い抜く」
時々きこえるしゃくりあげる音に合わせてぼくはカケルの荒れた髪を撫でた。
「そうしたら、」
彼女はショウと右手を付き合わせたときのようにぼくの胸に腕を突き立て、
「ここにかえるから」
と、何より美しく笑ってみせた。
「…懲りずに来たねえ」
「カケル、今日こそ1on1で抜いてやるから!」
「いい加減お前もいつもとちがうことがいえないのかためらいうどん」
「ためらいうどん!?」
…遠いみたいだよ?
うるさいな
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作品名:Hesitatingly 作家名:工場の部品