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さくら詩乃
さくら詩乃
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願いが叶うなら

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何故、あの時君に何も言えなかったのか。
何故、あの時君に触れることが出来なかったのか。

今ならオレは明確に言えるよ。
君に救われたかったんだ…。





 白龍の神子の進言により平家の裏をかく形でとりあえずの勝利を収めたことで皆この先の戦に光を見出したのだろう、兵士たちは名だたる武将から一足軽にいたるまでが口々に神子を讃え沸き立っていたが、それも夜半をすぎれば熱が引くように収まっていった、ようやく落ち着きを取り戻した陣内に彼女がいないことに気付いた。

「どこに行っちゃったのかな〜?」

 軽い調子で独りごちながらも内心の苛立ちは隠せない。
 あの少女は今自分が置かれている立場を解っているのか、今では源氏の陣内はおろか平家にまでその名が知れ渡っているというのに己の身に危険が及ぶことなどみじんも解っていないのだ。こちらが心配する言葉を発すれば軽やかに笑いながら『大丈夫ですよ!』と答える。

「大丈夫…か、ずいぶん気楽なこと言ってくれるよね。」

 思わず口をついて出た強い言葉に苦笑する、本当に気楽なことをいう少女だった、優しげに心配して見せる自分に何の疑いも持たずに素直な言葉を返してくる、己の心の内を知りもしないのに随分とお優しい神子様だ。その無垢な瞳に絶望を見せたらどうなるのだろう、それでも彼女は清い心のままであの綺麗な笑顔を己にむけるだろうか。

 チリリと心の隅に灼けるような痛みを感じたけれどその痛みに気付かないふりをするのはもう慣れているから、誰が見ている訳ではないのに軽薄な笑顔を顔に載せていつも近くにいたはずの少女を捜す。


 寝静まった陣中に緩やかな風が吹き抜ける、これから夏に向かうそれは少しだけ熱を孕み始めていた。
 この先の状況如何で自分の立ち位置が変わることは明白だった、初めて出会い行動を共にするようになってから、いつの間にか失い難い存在となっていた九郎にあの方の矛先が向かぬように上手く立ち回ってきたつもりだ。だがあの底の知れないお方は己の横に九郎が立ち並ぶことを良しとはしないだろう、その巨大な力が彼に牙を剥くのは時間の問題だった、そして九郎が奉じている龍神の神子も同じように利用価値が無くなれば容赦なく切り捨てるだろう、そしてその役を負うのは間違いなく自分なのだ、それが己の『梶原景時』の役割なのだから…。


「…いた。」


 小高い丘の上に生えていた一本松の側に佇んで、自分に背を向けて立っている少女は夜空に浮かぶ満月を見ているのだろうか、じっと夜空を見上げたまま、動こうとはしなかった。

 九郎が見たら烈火のごとく怒るだろう、『お前には『源氏の神子』としての自覚がないのか、一人で陣の外へフラフラと出歩いて、挙げ句の果てに人目の着きやすい場所で、突っ立っているとは!』と、頭から湯気を出さんばかりの勢いで怒鳴るだろう、簡単の想像できてしまう。ここにはいない実直すぎる男の声が聞こえたような気がした、あの男は真っ直ぐすぎるこんな裏切り者の己です「友」と呼んでそばに置いておくのだから。

期せずして漏らした溜息に近い音が聞こえたのかゆっくりと少女は振り返った。

 闇夜にただ満月があるだけなのにその満月を背に自分を見つめる彼女の表情がつかめない、月明かりに縁取られ淡く光を放つ姿に言葉を失う。
 まっすぐに己を見つめる彼女の瞳が一瞬泣いているように揺らいで見えた、けれどその儚さと同じくらいに強い意志のこもった光がその瞳にはある、声をかけることも忘れてその姿に見とれていた。月の光に彩られているからなのか普段の彼女の明るさは影を潜め厳かに佇む姿はまさしく龍神の神子たるものだ。

 自分が決して持つことの出来ない、どんなに望んでも届かない場所に彼女は立っているのだ。

「だい、じょうぶです。」

 何も言わないオレを訝しむこともなく真っ直ぐに見つめて発せられた言葉は鋭い刃物で斬りつけられたように心の中に入り込んでくる。

「2度となくさない、私が『守る』から。」

 押し込めていた激情がその言葉で溢れてゆく、一気に丘を駆け上がると何もためらわずに彼女を引き寄せて抱きしめた。
 言おうとしていた言葉も、余りにも真っ直ぐな彼女への劣情も全てが白く溶けて消えてゆく。
 ようやく自分の気持ちに名前が付いたことを悟る。愛おしいのだ、この真っ直ぐな瞳をして決して揺るがない少女が愛おしくてたまらない。

 苛立っていたのは、彼女の揺るがない心を意志を認めたくなかったから、苦しかったのは許されざる罪を重ねる自分を『救って欲しい』と切望していたから、そんな俺の心を全て包み込んで君は『大丈夫』だと言ってくれた。

「…だったら、オレが、君を守るよ。」

 抱きしめた君は泣きたいくらいに、柔らかくて暖かかった。




作品名:願いが叶うなら 作家名:さくら詩乃