太陽と月と星(後)
いきなり随分具体的な話が出たな、とロイは黙り込む。…今まで気がつかなかったが、もしかして、エドワードには結婚願望でもあるのだろうか…。
「もっといてもいいんだけど、最低でもふたりはほしい」
何と答えたものかと思案しつつ、ロイは、とりあえず続きを待つしかない。…本当に、想像してないことだったので、何と言ったらいいかわからないのだ。
「だって、オレが星だったらあとは太陽と月が必要だろ」
「……………え?」
突拍子もない展開に、ロイは無言で瞬きを繰り返した。よく、理解できないのだが…。
ロイの困惑をどう取ったものか、エドワードは笑った。
「ま、そのうちわかるよ。きっと」
「…そう…だな」
ふふ、と笑う顔が楽しそうだったので、…まあいいか、とロイはそれ以上の追求をやめた。―――彼がこの会話の意味を真実理解するのは、もう少し先の話であった。
それからは、アエルゴにも来いといわれている話や、逆にエドワードが図書館で司書をしている話などを続けた。
「司書か…」
「ぴったりだろ?」
「うん…」
確かに本好きのエドワードにはぴったりかもしれないが、…ぴったりすぎというか、読み始めたら仕事にならないというか、誘惑がたくさんあって仕事にならないんじゃないかとか、そういうことをロイは考えた。
…恐らくこれは、資料を与えては、集中してしまって相手をしてくれないエドワードを知っているからこそのことであろう。
「…なんだよ。その不満そうな顔」
「いや…そんなことはないぞ」
「…。あ、そんでさ、シェスカ憶えてるだろ?シェスカも一緒に働いてるんだ!」
この発言で、ロイは今度こそ絶句した。
…それは確か、…本を夢中で読んでいて一度図書館を免職されたという、ヒューズがスカウトした、シェスカだろうかと。
…そんなシェスカとエドワードが、一緒に働いている図書館。
はぁ、と溜息をつき、ロイは額を押さえた。眩暈がする。
「ロイ?」
「…セントラルに戻ったら、菓子折りを持って挨拶に行くよ…私も…」
「はぁ?」
わかっていないエドワードは首を捻るが、ロイは、そうすることを心に誓った。
「…まあ、いーけど…。…あ、それよりさ、セントラルっていえばさ、美味い店教えてもらったんだ。今度一緒に行こうな」
「…ああ。…だが、ひとつわがままを言ってもよければ…」
「? なんだ?」
きょとんとした顔で首を傾げるエドワードに、ロイは今度は普通の笑顔でねだる。
「君の手料理がまずは食べたい。なんでもいいから」
「………………………」
ストレートな物言いに、エドワードは目を丸くして。
…ついで、頬を真っ赤に染めた。
「…エド?」
「…。わーったよ! …残さず食べろよ?」
照れ隠しにそっぽを向く少女には、笑って、当たり前だと返した。
「…ああ、そうだ」
話もひと段落した頃、ロイは、思い出した、という顔をした。
「なに」
「…本当は、…向こうに戻ってから渡そうと思ってたんだが」
そう言いながら、ロイは立ち上がり、荷物をまとめてある中から、…白い包装紙に包まれた、箱…らしきものを取り出した。
「…はい」
照れくさそうに手渡すロイから、ぼんやりと受け取りながら、エドワードは再会時にリザが言っていたことを思い出した。
そして、赤くなる。
「…これのおかげで、命拾いした」
「…。あ、…あけても、いいの」
「勿論」
そ、そうか、とどもりながらエドワードはリボンを解いた。そして、包装紙を極力綺麗に開いていく。そうして、出てきたのは、見事につやを出した細工物の木箱がひとつ。
「それも開けて」
「え、あ、うん」
それが本体かと思って眺めていたエドワードの心理を読んだものか、ロイは脇からそう口を出した。エドワードは、黙ってそれに従う。
「……これ…?」
箱の中から出てきたのは、…立方体だ。
無論、ただの立方体ではない。
「…蓋を、開けてご覧」
四隅と端に繊細な金細工を施し、広い面には貝パールを惜しげもなく使っている。所々にあしらわれた貴石も美しく、繊細な、…それは、ジュエリーボックスであろうかと思われる箱だった。
中にもまさか細工があるのかと、エドワードがその蓋を開いた時。
「細工」は、彼女の耳を打った。
「…憶えてるかい?この曲…」
あ、と小さくエドワードは声を上げた。
その曲を、彼女は知っていた。
―――なんて意味?
―――『あなたがほしい』
目を瞠るエドワードに、ロイは若干照れくさそうに微笑んだ。
「…憶えてくれてたか」
「うん…」
それは、かつて、ロイの生家でロイが弾いて聞かせてくれた曲だった。美しく、暖かで、軽やかな曲。
高い音になってはいるが、曲そのものは変わっていない。むしろ、どこか可愛い印象になっていた。
「音が出なくなったら、箱の底に螺子がついている、それを回せばいい」
言われて、エドワードは箱をひっくり返してみた。確かに、そこには螺子があった。
「…これはオルゲルといって。エルガーという街の名産でね、…これはジュエリーボックスの中にミュージックボックスを入れてあるわけなんだが…。仕組みはわかるか?」
「螺子がついてるから…中にぜんまいがあるのか」
「発条というか…、まあそうといえばそうか。シリンダーに突起をつけることで、それを弾くと音が鳴る仕掛けが中に組み込まれている。表現できる音域や時間は、どうしても大きさに制限されてしまうが、…大事なのは、大きさではないから」
ロイはやはり照れているようで、微妙に目を逸らしている。
「…本当は、もっと、…宝石とか、そういうものの方がいいのかと…そうでもなければ、本の方がいいかとも思ったんだが、…」
エドワードは首を振り、箱を大事に抱きしめた。そして言う。
「オレ、嬉しいよ」
「…そうか」
「ほんとに、嬉しい。…大事にする」
はにかんで言うと、…不意に、彼女は、服の上から胸元に手を突っ込み、何をするのかと唖然としているロイの前で、チェーンを引きずり出した。
「…あ、」
そのヘッドは、チャームではなく。
…ロイにも見覚えのある、古ぼけた指輪だった。
「…それは…」
呆然と目を見開くロイの前で、エドワードは、そっとチェーンを外し、指輪を取り出すとその箱の蓋をもう一度開き、静かにしまった。
「…大事に、・・・するね。…ありがとう」
小首を傾げて言う顔は、なぜだがとても幸せそうに見えて。ロイは、思わずそんな彼女を抱きしめていた。
「…エドワード、…エド、」
エドワードは、まるで縋るように抱きついてくる男の背中を、ぽんぽん、と軽く叩く。
取り戻した、右手で。
―――まだ、肝心の、これに関する話をしていなかったのだが、…まあそれは、アルフォンスと合流してからでもいいか、と思い、ふっと笑った。
それよりは、今は、…この大きな子供のような男が、どうしようもなく可愛いと思っていて、…だからできる限り受け止めてやりたかったのだ。
そして、数日後。
ロイ・マスタング大佐は、セントラル市民、いやアメストリス国民の熱狂的な興奮の中、堂々と帰還したのである。
…およそ、彼が国を出て、一年と半年が過ぎた時の話であった。