奏で始める物語【春】
「おー、土方君は本当に真面目で良い生徒だねー」
感心したよ、と言いながらも土方には揶揄に感じ、目を吊り上らせて強い瞳で銀八を見上げた。
銀八は土方の視線に気付かず、何故かキョロキョロと辺りを見渡していた。何をしている? 土方は益々眉間の皴を増やした。
「うーん」
顎に手を当てて何やら思案を巡らせた銀八は土方に何も言わず急に踵を返した。
職員席まで戻った銀八は周りの教師と二言三言交わしたと思ったら、再び土方の元に戻ってきた。その手には職員用らしき弁当とお茶の入ったペットボトルを手にして。
土方が訝しげにしているのを気にも留めず、銀八はそのまま土方の右隣でどっかりと腰を下ろしてしまう。
「何、してるんですか?」
戸惑った土方の物言いも銀八は飄々と受け止める。
「ん? これが綱引きの準備に見えるか?」
「……見えないですけど」
「先生も此処でご飯食べようかなーってな」
「はぁ?」
半ば予想していた事とは言え、土方は間抜けな声を上げずにはいられなかった。
マジマジと隣に座り、既に箸をつけ始めている元担任を見つめる。その視線に気付いたのか、銀八は視線も箸も弁当に向けたままおもむろに口を開いた。
「いやぁ、先生さ。教師に囲まれて飯食うのってちょっと面倒くせーなーとか思ってたわけよ。そんな時にお前が一人で飯食ってるの見つけてラッキーって思っちゃったわけ。こりゃ、いい口実が出来た! ってなもんでね。あんなテントの下で食うよりこうやって青空の空の下で食べた方が楽しいだろ?」
同意を求める言葉と共に銀八は土方へ屈託のない笑顔を向けた。
本当は銀八の言葉が直ぐに嘘だと分かった。何故なら職員席で服部とおかずの取り合いを楽しげにしている銀八を土方は見ていたからだ。
では、何故銀八はこんな嘘を吐いてまで土方の隣に居るのだろうか?
心中で行われた質疑の答えは直ぐに出た。
職員席の近くには実行委員の集合場所がある。そして、その近くでは土方以外の実行委員が四人一組であったり、それぞれ親しい委員同士で食事をとっていた。銀八は先程周囲を見渡した時にそれに気付いたのだろう。そして、土方が一人な訳も。
伊達に一年間担任を務めていたわけじゃないということか。
土方は羞恥と悔しさを感じ、唇を噛む。
本当は近藤や沖田と昼食を取りたかった。
人間関係を築く事が苦手な土方は他の実行委員とも短期間では仲良くなることは出来ず、こうして一人で昼食を取ることになってしまったのだ。
本当はそれが寂しかった。
それに気付いた銀八は態々嘘まで吐いてこうして土方と食事を取ろうと思ったのだろう。
羞恥――己の不得意な事を見破られ、同情ともとれる行為を好意も信用もない教師にされた。
悔しい――しかし、それを心の底で優しさだと受け止め、そして嬉しいと思ってしまった自分。
何も答えない土方の表情を見た銀八は普段は余計な事を好き勝手に喋る口を閉じ、食事を再開させた。
時々「うめーなー」と呟いたり、「お! お前の弁当美味そうだな! 母ちゃんのお手製か?」と土方のおかずをくすねようとしたり。銀八はあくまで土方の隣に『自然に居た』。
空になった弁当を脇に置き、ペットボトルのお茶を飲んでいた銀八は手首に着けていた腕時計に視線をやる。
「そろそろ時間だな」
「そうですね」
「まあ、午後からも頑張ってくれや。先生は職員席でまーったり見てるから」
「はい」
「お前のクラス、確か今三位だよな? で、お前は最後の全員リレーのアンカー。お前が頑張れば優勝も夢じゃないじゃねーか」
「……はい」
「って、プレッシャーだったか?」
「いえ、そんな事ありません。試合の時に比べればどうって事ないです」
「そうか。じゃあ、委員の仕事も大変だろうが、アンカーも頑張れよ」
弁当とペットボトルを抱えて立ち上がった銀八は瞬間柔らかい笑みを浮かべ、土方の真っ直ぐな黒髪を撫でた。
その時、土方はハッキリと自分の鼓動の音を感じた。
太陽を背に見下ろしてくる銀八の姿に。
自分の髪に触れる優しい手つきに。
土方の口から言葉が発せられる前に銀八は職員席へ戻っていってしまった。
何度か開閉をした口は銀八が席に着いた時、漸く音を発した。
「……ありがとう、ございました」
決して本人には届かない言葉だったが、今の土方の精一杯だった。
二年生の体育祭。土方は銀八へ対する印象が大きく変わる転機点となった。
その後、土方は何度となく銀八と接しようと試みた。しかし、それは見事に毎度毎度失敗に終わった。
他の生徒と話す銀八の邪魔をする事が出来なかったとか、折角一人で居る銀八を見つけたのに土方の方が友人と話していた所為で声をかけそびれたりだとか。
要は土方の不器用さが大いに発揮されたのが原因である。
しかし、友人の近藤や沖田が銀八と仲が良いおかげで傍に近寄れる事は出来るようになった。ただ、近くに居るだけだが。
最初土方は銀八と話しをしたかった。そして、少し打ち解けた所で体育祭の礼を言いたかった。
なのに、何故だろう。日を追う毎にその機会は遠のき、気付けば銀八は黙っている土方が当たり前のように感じてしまったかのように、近藤らと共に近寄ってきた土方に軽い挨拶をするだけでその後は視線をくれることもなくなってしまった。
そして、それがとてつもなく悲しいことだと土方は感じていた。
銀八は土方に興味がない。
別段面白いことを言うわけでも、楽しい行動をするわけでも、奇怪な言動をするわけでもない極々平凡な真面目な生徒。そんな土方に銀八は興味がないのだ。
気付いた時、土方は自室で知らずに涙を流していた。
涙なんて試合で負けた時でさえ我慢することが出来るのに。その時の土方はどれだけ目に力を入れようが、何度涙を拭おうが、それが止むことはなかった。
そして、唐突に気付く。
――俺、好きなんだ。先生の事が好きなんだ。
益々溢れ出てくる涙に対する抵抗心を土方はすっかり失った。
だって、そうだろう。自覚した瞬間失恋が決定している恋だなんて。馬鹿馬鹿しくて、滑稽で、本当に。
「俺、すげーダサい……」
こんなにも寂しい気持ちで一杯なのにあの優しい笑顔も手も、もう何も二度と一瞬でも自分だけのものになる事はないのだ。
絶望にも似た思いを抱きながら過ごした二年生の冬。気付けば季節は春になり、新学期が始まった。
掲示板に張り出されたクラス表を見て土方は複雑な心境になった。
近藤や沖田と同じクラスになれた。嬉しい。
再び銀八が担任になった。怖い。戸惑い。そして、やはり嬉しい。
今だに自分は面白いことを言えない。楽しい行動も出来ない。奇怪な言動で気を引くことも出来ない。
こんな自分に一年間銀八はどう接してくれるのだろうか。
恋情と不安とほんの僅かな期待を胸に土方は新しい教室に足を踏み入れたのだ。
十人十色。三人三様。
様々な想いを抱きながらこうして春は始まった。
続。
作品名:奏で始める物語【春】 作家名:まろにー