GS/左斜め前窓側の席 嵐バン
琉夏くんに腕を掴まれて、そのまま走らされる。なに?なに?なに?
こないだの帰り道よりずっと速い。私が走ったこともないような速度で引っ張られて、何も考えられなくなる。
昇降口で急かされながら靴を履き替えて。そのまままた引っ張られる。速い、速いよ。
「はあ、は、はあ、な、なに…」
やっと二人が止まってくれたのは校門の近く。校門の脇、そこに立っていたのは。
「…あ」
「お願いしまーす!」
不二山くんだ。ビラ配ってる。不二山くんだ。
あれ?なんだか現実感がない。もう数歩踏み出せば声が届くのに。なんだか足が動かないよ。
へんだ、わたし。
「どしたの?美奈子ちゃん。ほら、行きなよ」
「なんだあ?固まってんのか?」
「………」
声も出なくなっちゃった。どうしよう。
救いを求めて琉夏くんの顔を見ると、にっこり笑顔が返って来た。…なに?その澄んだ瞳。なんか怖いんですけど。
「しょうがないな。…えい」
「え?…わあ!」
琉夏くんにいきなり背中を押されて、わたしは前につんのめる。わ、わ、転ぶ、転んじゃう。
目をぎゅっとつぶった瞬間、誰かの腕がわたしの体を支えてくれて、かろうじて転ばずにすんだ。
目を開けると、がっしりした腕が見える。
これ、これって、もしかして。
「大丈夫か?」
「…!」
ふ、不二山くんだ。力強い瞳がまっすぐにわたしの顔を見つめてる。
近い。こんなに、近い。
「あ、あ、ありがとう!」
あ、声ひっくり返った。
「いや。…あれ、おまえ、同じクラスの…」
「えっ!?」
わたしの顔、覚えてくれてるの?一度もしゃべったことないのに。
不二山くんの席からはわたしは見えないのに。
わたしだけが見てると思ってたのに。
どうしよう。頭がぐるぐるする。
顔を覚えてくれてたってだけなのに。そしてやっぱり、名前は覚えてもらってないみたいなのに。
さっき走ってた時以上の速さで、心臓が走ってる。
「うん。わた、わたし、小波美奈子。よ、よろしくね」
「不二山 嵐。よろしく」
うん、知ってる。すごく知ってる。
でも真正面からこんなに近くで向かい合って顔を見たことなんてなかった。
よく知ってるのはすっと伸びた背中と、お日様の当たる制服の青い布地と、遠くを走る姿。
こんな顔で笑うなんて。こんなにまっすぐ目を見て話すなんて、知らない。
その後何を話したのか、正直あんまり覚えていない。でも最後に不二山くんが言ったことは、耳にがっちり食い込んで離れなかった。
「すぐに来いとは言わねー。けど、空けとく。おまえのために。…気が向いたら来い。じゃあな」
そういって、不二山くんはさっさとランニングに向かってしまった。
空けとく?
わたしのために?…わたしの、ために?
ぽわわわわ、と音がしそうなくらいぼーっとしているわたしに、後ろに隠れていた琥一くんと琉夏くんがニヤニヤしながら近づいてくる。
「恋だな?」
「恋だねえ」
うるさいな。そんなんじゃないよ。
だって今初めてしゃべったんだもん。
はじめてしゃべったのに。
わたしのために、って。
わたしのために。
「……ふあああああ……」
「え?どしたの?」
「壊れたか?亀」
ぐぎぎぎ、と動かない体を無理矢理後ろに向ける。
夕日に染まってオレンジ色の琥一くんと琉夏くんの顔を見たら、なんかもう、ああ、たまらない。なにこれ。
「うわああああん!!」
「うわ!」
「おいコラ、急に抱きついてんじゃねえよ!」
「ふ、ふたりとも、ありがとー!!」
感極まったわたしは、なんだか分からないけど二人にしがみついてわあわあ泣いてしまって。
しょうがないなあと言う顔の二人が、ぽんぽん頭を撫でてくれた。
恋じゃないと思うよ。
でも、嬉しいんだ。
なんだかとっても、嬉しいんだ。
作品名:GS/左斜め前窓側の席 嵐バン 作家名:aya