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山の中のおうちの3人

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「カブトムシだ!」
「いーや、クワガタだね。カブトムシは角はあるけど、挟めねーじゃん」
「でもカッコイイだろ! わかってねえなあエースは……」
「わかってねえのはてめえだ、ルフィ。いいか、よーく見てろよ、ほら。こうやってカブトムシとクワガタを向かい合わせるだろ、そうすると……」
「あっ」
「あ」
 籠から攫み出され切り株の上に向かい合った甲虫2匹は、兄弟が覗き込んだその瞬間、はじけたように大空高く飛び去ってしまった。
「あーあ、逃げちまった……ごめん、ルフィ」
「いーよ、カブトムシもクワガタも、家に戻りたかったんだ」
「そうかな」
「そーさ」

 海辺の村からルフィが越してきて、はや2週間が経とうとしている。潮風漂う盆地で育ってきた彼に辺り一面の山々はかなり新鮮だったようで、着いて3日は、ひとり落ち着き無く山を駆け回ろうとするものだから子守も大変だった。また、突如やってきたこの騒がしい異端者を、はじめのうちエースはあまり快く思っていなかったようで、まるでルフィと対を成すように家に篭もって絵を描いたり、本を読んだりと、その普段とはあまりにも違う様子にはひどく驚いたものである。
 しかし5日目のこと、ルフィが突然、家の門の手前に座り込んでわんわんと泣き出した。前日からあまり元気がなく、珍しく家の庭に留まって土いじりなどしていたものだから心配と言えば心配だったのだが、あの元気の良さからつい油断していた。しかし、思えば当然のことだろう。幼子が今まで住みなれた故郷や親しい人々から突如引き離され、テレビもラジオもない、電気もつい数年前に通ったばかりという、こんな山奥に放り込まれたのだ。
 意外だったのは、まるで花火のように泣き続け大人でも手のつけようのなかったルフィのそばに、エースが1日中付き添っていたことだった。食事も摂らず家にも入らず、日が暮れても泣き続けていたルフィのそばでエースは何をするでもなく、ただぼんやりと、空を見上げていた。夕食の時間になってルフィの手を握り家に帰って来たエースは、それまでとは一変、実に甲斐甲斐しくルフィの世話をした。おかずを皿によそってやり、口元に付いたソースを拭い、おかわりは? と聞く。面倒見の良い兄ちゃんだな、と言うと、恥ずかしそうに顔を背けた。

「テレビは見れねえ」 
 そうなのかい。
「山があるだろ」
「右から、ヘラクレス山、牛肉山、かいぞく山だ!」
「ばっかルフィ、お前勝手に名前付けるなって言ったろ。……あの、真ん中の山。高いだろ。あれが邪魔して、電波が来ねえんだ」
「えーうそだ、シャンクスが、あの山にはわるいやつらの秘密基地があって、おれたちがセケンに疎くなるように不思議なパワーで妨害してるって」
「あのオッサンの言うことは信じんなって」
 シャンクス?
「だから、オッサンだよ」
「すげえ、かっこいいんだ! おれの恩人だ」
「おれは、嫌いだ」
「エースの意地っ張り」
「なんだとルフィ!」

 自然以外は何も無いような環境に、ルフィは予想外の早さで慣れていった。それが子供特有の柔軟さゆえか、もしくはルフィがそういう性質だったのかはわからない。また、これは少々ロマンチックに過ぎるかもしれないが、エースの存在が大きかったと、そう思う。思いたい。事実、ルフィはエースのことをいつの間にか兄と呼ぶようになり、傍目からは彼らが本当に血の繋がった兄弟のように思われただろう。
 内向的というわけではないが少々控えめなところがあったエースは、ルフィに引っ張られ、やがて思うままに山じゅうを駆け回るようになった。快活に笑うその顔がそれまで封じ込められていた彼本来のものだと気付いたのはいつのときだったか、少々の口惜しさを感じはしたが、それはやはり喜ばしいことだった。活発の度を越してかなり危なっかしかったルフィは、エースにたしなめられれば渋々ではあっても大人しく言うことを聞いた。
 まさしく、2人は兄弟だった。
 ある春のはじめのことだったが、ふもとに住む婆さんがわざわざ山を登ってやって来て、「今、菜の花畑で、狐の子供が相撲を取っとってな」、と言った。いったいそれがどうしたのかと首を傾げていると婆さんは眩しそうに目を細め、「あんたんとこの子ぉらと、よお似とった」と、笑った。

「隣の山、あるだろ。ここらで一番高い山。そこには神様が住んでるんだ。ほら、雷が鳴ったろ。今日こんなに雨が降ってるのは、あの山の神様が山を降りてるせいだ……山を降りて、こっちの山に来てんだよ。探し物をしてんだ。あの山は一番高いから、てっぺんに住んでる神様は、ひとりぼっちなんだ。だから、誰かを連れてこうとしてこの山をウロウロしてる。だからルフィ、今日は家から出たら駄目だ」
「えー、それほんとか? エース」
「おれがお前に、嘘言ったことあったか」
「んー……ねえ!」
「だったら、今日は1日家で大人しくしてんだ。神様は、きっとお前を連れてきたがるから……」
「エースは? エースは、連れてかれねえのか?」
「おれは、大丈夫さ」
「なんで?」
「なんでも。いいかルフィ、神様はきっとお前を連れてきたがるんだ。絶対に、絶対に外に出るんじゃねえぞ」
「わかったよ、エース」
「絶対に、絶対にだぞ」

 エースは、ルフィと比べては勿論、その年頃の子供たちと比べてクールなところがあったが、時折、パチンとスイッチが入れ替わるように目に見えないもの姿のないものに怯えることがあった。後になって気が付いたが、これは、ルフィが山にやって来てからのことだったように思う。
 例えば大雨と激しい雷が1日中続いた日、エースは隣の山の神様がルフィを連れて行ってしまうのではないかと言い始め、始終イライラと爪を噛み、大人たちに当り散らした。
 また、山には秋の収穫の時期に山神様にお土産を持たせるため大量の料理を作る習慣があるのだが、それをつまみ食いしようとしたルフィを、エースがいつになく強い調子で叱りつけたことがあった。結局どれだけ問いただしてもエースがそれほど怒った理由はわからず仕舞いだったが、今になってみると、なんとなくわかるような気がする。
 他にも、山地蔵を蹴り倒したことがあったから何事かと問いただしてみれば「あいつがルフィのおやつを取ろうとした」とか、ルフィと2人で遊んでいたときに近寄ってきた蛇をひどく苛めたので、逆にルフィが怒ったこともあった。
 エースの“物語”は常になにかしらルフィと関係していて、また、それらは総じてナーバスに偏っていた。大人としては子供にはいつだって明るい夢を見てもらいたいもので、当時はそれなりに思い悩んだ覚えもあるが、いつの頃からかエースがそういうことを言うことはなくなった。だからと言ってエースがルフィに、ルフィがエースに、それまでと変わった態度を取ることもなく、2人はいつまでも兄弟だった。
作品名:山の中のおうちの3人 作家名:ちよ子