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I’m mine.

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そのとき、泰衡は柳ノ御所において、書面に目を通していた。近々、大社付近の土地を新たに区画整理し、居住区とすることになっており、この計画を記させたものだ。
 大社の建立から既に三年近くが経過し、奥州平泉における数年振りの大きな事業となる。これに伴い、大社の向かいには新たな寺院の建立も始まることとなっていた。
 とにもかくにも、事は大詰めと言える段階まで漕ぎ付けていて、もう間もなく着工となる段階だ。忙しいことこの上ないが、ある意味では充実しているとも言えた。何にしても、戦をするよりはずっと益のあることだ。
「泰衡様」
 不意に声がかかり、文机に置いて見下ろした書面から顔を上げる。その途端に、眩暈を覚えて、こめかみを押さえた。
「どうかなさいましたか?」
 慌てて近づいてきた郎党――銀に、なんでもない、と言い切った。立ち眩みのようなものだ。今まで顔を下向けていたのを急に上げたせいだ。何と言うこともない。
「用件は何だ?」
「中尊寺の御坊がおいでになっております」
「すぐに行こう」
 新たに建立する寺院については、中尊寺に伺いを立てている。そのことでわざわざ出向いているのだろう。客人の待つ部屋へすぐさま向かうべく、泰衡はおもむろに立ち上がった。
 しかし、またもや頭の芯がぐらりと傾いだような感覚を覚えた。それこそただの立ち眩みだ、そう思い顔を上げようとしたものの、それは適わなかった。額を手で押さえたまま、倒れかける。
「泰衡様!」
 彼の目前まで一息に寄ってきた銀に、肩を支えられる。俯けた泰衡の顔を覗いた気配がある。
「お顔の色が……」
 相当悪いのだろう、銀はそれ以上は口にしない。
「御坊には、本日はお引き取り頂くよう、申し上げておきます」
「いや、いい。すぐに行く」
「しかし、」
 なおも言い募る銀の肩を押し、泰衡は自分を支えていたものを失う。しかし、倒れはしなかった。
「御坊にはしばしお待ち頂くよう伝えろ。すぐに向かう」
 まだ治まりきらぬ眩暈をやり過ごしてから会うことを伝えると、銀は当然のように良い顔をしない。眉を顰めながら、しかし、主の命には逆らえぬと見て、御意と言い置いて、去って行った。
 長く息を吐き、一度文机の前に腰を下ろす。気分が優れないのは、朝からのことだ。このところ忙しく、寝食に時間を割いていられなかったためだろう。ややもすれば、過ぎ去ることだ。
 そう思い、僅かに目を閉じた。
 瞼の裏には、今朝の妻の顔が浮かんだ。先程の銀のように、あるいはそれ以上に、眉間に皺を寄せ、泰衡の袖を掴んだ。
「心配なんです!」
 泣きそうにも見えたが、彼女の手を振り払って出てきた。
 己の体を気遣っている場合ではない。すべきことはどれほど時が経っても多く積もっていて、それを一つずつ成し遂げて消化していくことこそが、彼の役割だった。増して、今は大きな事業が始まるときだ。己の体調を鑑みている状況にはない。
 こんなところで、倒れて寝込んでいるわけに行かない。
 そろそろ行こう。目を開けて、ゆるりと眩暈をやり過ごそうとしながら立ち上がる。
 ――しかし、突然、眼前の景色は闇に閉ざされた。





「泰衡さん、今日は休んだ方がいいんじゃないですか?」
 いきなりそう言って来たのは、彼の妻だった。娶ってから二年近く経とうとしていて、彼女の気質はおよそ理解していた。逆に、相手も泰衡と言う人間をある程度把握しているだろう。
 朝は泰衡の目覚めの方が早い。隣に眠る妻を、わざわざ起こすことはなく、彼は一人起き出して、勝手に身支度を整え、大抵は一人で朝餉を取る。食事が終わろうと言う頃に、ようやく遅れて妻が顔を出すのが、ほぼ毎日のことになっていた。
 この日も、彼女は泰衡がそろそろ朝餉を終えるというときになって、お早うございますと眠たげな声で言いながら現れた。意味もないのだが、泰衡の隣に据えられた膳の前に座った。
 それから、泰衡が食事をすっかり終えて、この場を去ろうと立ち上がったとき、妻が休んだ方が良いと言い出したのだ。
「別に、休む必要などないが?」
 何をいきなり言うのかと、下らない言葉を一蹴する。けれども、構わず去ろうとした泰衡の袖を、彼女は突然掴んだ。思わず眉を顰めて半ば腰を浮かした妻を見下ろす。しかし、彼女もまた、眉を寄せていた。彼と違い、怒っているのではなく、どこか不安げに見えた。
「顔色、良くないですよ」
「気のせいだ」
「そんなんじゃありません。そりゃあ、泰衡さんはいつも血色が良さそうって顔じゃないですけど、でも、すごく青白いですよ」
「体調は悪くない。休む理由はない」
 しかし泰衡の素っ気ない態度など、彼女もすっかり慣れたものだ。泰衡の袖を掴んだまま、
「駄目です」
 強引に引き止めようとする。
 溜息が漏れた。今は休んでいるようなときではない。増してや、顔色がどう見えても、具合が悪いわけでもないのに、忙しいこのときに休んでいるわけに行かない。
 それより、彼女の言葉を疑う方に意識が向いた。時折、一緒にいたい、という全く理解できぬ理由で、泰衡に休息を求めるような人だ。よもや今回も、顔色がどうだと言って、本心はそういうことかも知れぬ。
「あなたもご存知だろう? 今は平泉の大事の時だ。俺が休む間はない。――あなたの我が儘に付き合っている暇はない」
 彼女は明らかに気分を害したようだ。我が儘と言われたことに腹を立てたのだろう。眉間に刻まれた、彼女に不似合いの皺がさらに深くなる。
「気づいてないのかも知れないけど、本当に、顔色が悪いんですよ!」
「そうだとしても、体調は悪くない」
 切り捨てて去ろうとするも、彼女は袖ではなく、今度は泰衡の手首を掴んだ。
「心配なんです!」
 その目が濡れたようにも見えたが、構ってやる気は全くなかった。
 今は、本当に平泉、あるいは奥州の大事なときだ。土木には人手が多く必要となる。その分だけ、多くの者が駆り出される。そうした一人一人の辛苦を、利益に変えねばならない。手を抜くことは出来ない。
 泰衡は、彼女の手を振り払った。
「自分の体のことならば、自分が最もよく分かっている。心配は無用だ」
 言い置いて、常の居所を出てきた。彼女のことを、振り返ることはなかった。





 気がつくと、牛車の中だった。泰衡は、揺れる車の中に横たわっている。起き上がり、窓の外を見やる。伽羅御所へ向かう道筋だ。
「銀」
 郎党の姿を見つけて呼ばわる。すぐさま、彼は近づいてきた。
「気がつかれましたか、泰衡様」
 安堵の表情を見せる銀に、ああ、と簡潔に応じる。
 それから、苦々しい思いが胸に去来してきた。中尊寺の御坊が訪ねてきたと言うのに、結局は顔色の悪さから指摘されたとおり体調が思わしくなく、意識を失ってしまったのだ。
「御坊はどうなさった?」
「泰衡様がお倒れになられたことを告げますと、すぐにお引き取りになりました。早々に体調が良くなられるよう、祈祷をしてくださるとのこと」
「……そうか」
 加持祈祷までされるほど、体調が優れぬわけでもないつもりなのだが、事が大きくなりそうで、頭が痛い。
作品名:I’m mine. 作家名:川村菜桜